:〔続〕ウサギの日記

:以前「ウサギの日記」と言うブログを書いていました。事情あって閉鎖しましたが、強い要望に押されて再開します。よろしく。

★ 北海道の森

2022-09-26 00:00:01 | ★ ホイヴェルス著 =時間の流れに=

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北海道の森

ホイヴェルス著 =時間の流れに=

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北海道の森

 この夏に北海道に行きました。これで三回目ですが、初めて苫小牧まで行きました。あの有名な製紙工場の組合に招待され、そこで労働、学問、信仰について講演をしました。その翌日工場を視察して、労働と科学との完全な一致をまのあたりにしました。

 若い技師が私たちを案内して、まず戸外で、北海道の山林からおろされた丸太の山を見せてくれました。丸太はそこから狭い運河に浮かべられ、運河の水の流れのままに運ばれて、おとなしく工場の前の一つのプールの中に着きます。この丸太を見て、何か深い同情を感ぜずにはいられませんでした。丸太はやさしい水の中から出ると人間の頭脳で考え出した無数のむごい機械に委ねられて全くその個性をなくし、つぶされ、やがて薄い紙になってしまうのです。デパートのエスカレーターみたいなものにのせられて丸太は工場の中へ送られ、まず二重の鋸で三つの部分に切断されます。何から何まで機械が仕事をして、全く考える者のように機械がこの丸太を受け、そして別の場所へ運んで行きます。 

 そこにはまたたくさんのめずらしい機械が並んでいます。くさびみたいなものが上から下へたえず動いていますと、そばの労働者が丸太をその下に立てます。するとくさびがそれを割ります。労働者は三つ四つの部分に割るようにします。よい材木を右側の走り道の上に乗せ、悪い材木を左側へ捨てます。すると今度はどこか違う場所で、このよい材木は機械に入れられ、熱と圧力に潰されて、何かパルプみたいなものになるのです。 

 そこまでは、この工場の機械の働きはわかったのですが、あとの工程(プロセス)は技師の熱心な説明を受けても機械の騒ぎのために半分しか聞こえず。聞こえてもたいしたことはわかりませんでした。機械と化学と薬品と圧力などが、かわるがわる働いて、もうこのパルプは十分よいものとなったと思われても、工場ではまだ満足しませんから、無数のプロセスを通すのであります。でも結局パルプは紙にならなければなりません。そのために工場の大きい(数百メートルもある)ホールには輪転機みたいなものがぐるぐる廻って、パルプは真中の部分を通るときに熱さを感じて、そこで半分ぐらい紙になったものが乾かされ、やがて終わりの方に完全な紙として出て来て、また丸太みたいなものになってしまいます。これもやはり新聞紙用として便利なように三つの部分に切ります。…… 

 すべてを見学したあとで、若い技師にたずねました。「この工場のすべての機械を徹底的に知っている人があるでしょうか」

「はい三、四人の技師はすべてがわかっています」

 驚くべき知識だと思いました。あらゆる哲学にまさる知識ではないでしょうか。なお人間の科学と工業の偉大な仕事のために、たいへんな力の誇りを感じることも不思議ではないと思いました。この騒音や秩序正しく働く機械を支配する人は、森の中に静かに働いてくださる神を忘れるようになることもめずらしくありません。しかしながら、いろいろな心配も心の中に浮かんできました。北海道の森にはいつまでも木の丸太がそんなにおとなしく運河の中を流れてくるのでしょうか。案内者に聞くと「当分の間は大丈夫ですが丸太はだんだん細くなる、政府もそれを心配する」と答えました。

 案内者は、また言いました。「実はこの点について困った問題が起こりました。日曜日までも機械を走らせて、ほとんど年中無休で紙を製造すればよいという注文があるのです。新聞の方でもっと紙がほしいというのです。もちろん、もうけることがその動機です。広告で生きているのですから。そして流行雑誌もずっと大きな一頁ぐらいの広告を出したいのです。」「なるほど、どこへ行っても、手近な利益を求める世の中ですね。やはり政府が熱心に全国民の幸福を深く考えませんと、北海道の森は『禍いなるかな』ですね。」 

 機械のそばに立っている労働者をみて、こちらからまたたずねてみました。「たとえば朝から晩まで、年がら年中、三分の一に切った丸太をくさびの下に立てる仕事、これは人間の心を満すでしょうか。」案内者は、「まあこの工場でも人びとの文化的な教養、娯楽などのために十分努めています。またそれだけではまだ足りないとしたならば、このように先生におねがいして労働・学問・信仰についての講演を頼んだわけであります」と笑いながら言いました。いっしょにそばに立っていた一人の技師は「昨晩の講演の終わりにお歌いになった『Die ganze Welt ist wie ein Buch――全世界は書物の如し』の歌詞を書いて下さいませんか」とたのみました。 

 喜んで書いて上げました。 

 まことに北海道においても世の中は神のお書きになった本のようです。この本を人びとがもっともっと熱心に読まなければなりません。この工場では山林の材料を切ったり、薬品に浸したり、幾度も機械の中を通したりして平気で使っていますが、どうかこの木材に適した本質をそなえ給うた神を忘れないで下さい。また、この工場で製造した紙を使う新聞・雑誌出版社の方で、せっかく人びとのために読物を提供するのですから、ときどきはその中にも昨晩の歌の終わりにあった『Lasst uns dem Herrn lobsingen――われわれはそろって神を讃えよう』のような文章も出たらよいと思います。同時に神のそなえた北海道の森をつつしんで使うように切にお願いいたします。

 まだテレビのモーニングショウやワイドショウがなかった時代、学生や市民や労働者を対象とした「講演会」なるもの全国で数多く催されていた。誰から伝え聞くでもなく、北海道の工場が従業員の教養を高めるためにホイベルス神父のような宗教家のところにまでお声がかかるのだった。

 工場見学をするホイベルス神父の観察眼は鋭い。原材料の木材の丸太が新聞紙に変わるまでの全工程を細大漏らさず追っていく。自然と科学の調和。チャーリー・チャップリンの「モダンタイムス」ではないが、巨大なシステムになった機械の要所要所で日永一日同じ単純作業を毎日繰り返す機械の奴隷のような労働者の問題にも正しく疑問を呈している。

 森の木材を見て新聞紙を創ることを思いつく人間の想像力とそれを実現する技術力を評価するかたわら、資源の有限性やエコロジーへの配慮もにじみ出ている。しかも広告収入で成り立つ新聞がそのためにより多くの紙面を要求する現実を見落とさない。何という高い俯瞰的視点の持ち主かと、わが師ながらつい賞賛したくなる。そして、最期はやはり神への賛美で締めくくられる。こんなに豊かな構想で私も物が書けるようになりたいものだと、しみじみ想う。

 

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