:〔続〕ウサギの日記

:以前「ウサギの日記」と言うブログを書いていました。事情あって閉鎖しましたが、強い要望に押されて再開します。よろしく。

★ 珍しい世の中

2022-09-19 00:00:01 | ★ ホイヴェルス著 =時間の流れに=

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めずらしい世の中

ホイヴェルス著 =時間の流れに=

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めずらしい世の中

 私は人はなんのためにこのめずらしい世の中に生れて来たのかという言葉を書きました。するとこれを読んだある人が注意してくれました。「どうか、めずらしい世の中と書かないで、ただ世の中とだけ書いて下さい。一般の人は何も世の中をめずらしいとは思わないのですから」 

 でも、どうして一般の人は世の中をめずらしいと思わないのでしょうか。私は今日一日だけでも世の中を不思議に思わずにいられないことが、二、三度ありました。 

 ある出版社から新刊書がとどきました。ヘルマン・ヴァイル著「シンメトリー」です。あちこち拾い読みして、新しい方面から世界宇宙がまたどんなにめずらしいものであることかとしみじみ思いました。東洋と西洋のシンメトリー(調和)の感じ方の相異、東洋では西洋のシンメトリーは固いもの、不思議なものと感じますが、西洋の学者は大自然の中の固いシンメトリーまでも発見します。そしてまた東洋の自然的なシンメトリーについて非常に適したドイツ語をみつけました。すなわち、アウスゲヴォーゲンハイト(Ausgewogenheit)という言葉です。ものの調和的なつり合いを意味をするこの言葉こそ東洋と西洋の両方のシンメトリーをうまく包括しています。旧約の預言者が歌ったように、神のすべてのものを寸法、数、重さによってアウスヴィーゲン(計量)されました。私たち人間としての使命は結局そのもののつり合いを見つけ、自分の心もこの幸福なアウスゲヴォーゲンハイトにすることにあるのである。 

 またイグナチオ教会の前を何も考えずにぶらぶら歩いていきますと、急に二人の異国人がそばに立っていて、この教会にスペイン語を話す人はいませんかとたずねました。「ほう、どこの国から」と聞きますと「エチオピアから」と答えました。エチオピアの人に会ったのは始めてです。父親とその娘でした。父の方は聖堂の中のちょうどクリスマスに飾ったベトレヘムを訪れるエチオピアの王様のようでした。ブロンズの顔に輝く目、娘はまっすぐな姿勢で父のそばを元気よく小股で歩きながら、真珠のような白い歯をブロンズの顔から光らせていました。まるで三千年前ソロモン王をおとずれたシェバの女王のようでした。二人とも私たちと同じ信仰の人で、ミサの間、その娘は日本婦人のヴェールとは違った白いかぶりものをつけていました。それは大昔ピラミッドの中で発見されたトゥートモーゼス王のそばに立っている女王様のかぶりものとそっくりのものでした。 

 それからまたやはり何も考えずに聖堂の前を通っていったとき、意外なさわぎが耳にさわりました。どこか近い所でブルルブルルとトラのようなうなり声。どこから来たのかと目をみはっていますと、すぐ足もとで、となりの坊ちゃんがオモチャの自動車を引っぱりながらこの音をたてていました。かわいい坊ちゃんで、私もこのいやな騒がしい音をすぐゆるしてやり、子供とオモチャの上に身をかがめて、「坊や、自動車の中にネコかトラがはいっているの」と聞きますと、坊ちゃんは無言のまま、もの知り顔して大得意になって自動車を引っぱりながら、この音が科学の力によって起るゆえんを実地に教えてくれました。 

 私は六十四年前始めて体験したクリスマスを思い出しました。同じように引っぱる車をもらいましたが、それはトラのうなり声でなく美しいメロディーをかなでたもので、私もそれに合せて歌をうたい、たいへん楽しかったのです。 

 どうも世の中はかわりました。自動車のなかった時代と今の自動車とはずいぶん違います。トラのようなうなり声をたてる自動車、もの知り顔の坊ちゃん、一般の人が世の中をめずらしく思わないのも当然かも知れません。

 ホイヴェルス神父の日本語は、これが成人してから日本語を学んだ外国人の言葉かと疑いたくなるような美しく、しかも平易なものが多い中で、この短編をよく味わうためには、多少の世界史の知識と初歩的なドイツ語の知識が助けになるかもしれない。そして、願わくば若干の哲学のセンスもあると大いに役立つでしょう。

 普段ボ~っと生きている私たちにとって、日常的出来事は何もかもあたりまえ、不思議でも珍しくも何ともありません。しかし、詩人であり哲学者であるホイヴェルス著にとっては、その当たり前の日常が、一つ一つ珍しいものに映るのでしょう。

 ホイヴェルス師はまだ自動車が珍しかった時代から、ジェット旅客機でヨーロッパに帰国できる時代まで生きられました。いま80歳を過ぎている私が見るのは、せいぜい月に人が住むところまででしょうが、今の小学生は人が火星に人が住むのを見るかもしれません。新しいこと、珍しいことはどんなに時代が進んでも尽きることはないのです。

 木の姿からは想像もつかない美しい花が咲き、生まれて間もない赤ん坊がほほ笑み、衛星軌道に浮かぶ望遠鏡が届けてくる宇宙の銀河の美しい姿に驚き、世界は、宇宙はなんと珍しいものとして神に創造されたかを見て神様を賛美することは、まことに人間に相応しいことです。

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