神が宿るところ

古社寺、磐座、不思議・パワースポット、古代史など極私的な興味の対象を見に行く

先宮神社(静岡市葵区横内)

2011-06-07 21:53:52 | 神社
先宮神社(さきのみやじんじゃ)。
場所:静岡市葵区横内111。県道67号線(静岡清水線。通称:北街道)沿い、浄土宗「来迎院」(「大用山 来迎院 英長寺」)の西隣。駐車場なし。
社伝によれば、創建は宝亀9年(778年)。創建については次のような伝説がある。往古、全国に旱魃が広がり、苦しむ庶民は降雨を祈った。すると、ある農夫の前に1人の美女が現れ、「我は神である。天下万民を救うためにやってきた。3日以内に雨が降るであろう。汝は正直者であるから、これを授ける。」と言って、榊葉を与えて消えた。すると、急に雨が降り、大地は潤った。この御神徳を讃えて小社を建てたという。農夫の前に現れた神の名は明らかでないが、この伝説に因み、農業神である保食神(ウケモチ)が現在も当神社の祭神となっている。
また、別の伝説によれば、浅間大神がここで足を濯いだということから、元は「足濯神社(あしすぎじんじゃ)」といい、当神社の北東にある「足洗」地区の地名の由来になったともいう。「静岡浅間神社」(富士新宮)の門前参道(通称「長谷通り」)は東に真っ直ぐ延びているが、「NTT西日本静岡支店」付近で直線道路は突き当たりになるが、地図上でそのまま東に延ばせば当神社に至る。そのため、「静岡浅間神社」の先にある神社ということで「先宮神社」と称するようになったという。
そして、当神社が「北街道」に面しているということが重要で、要するに、当神社は「長谷通り」と「北街道」の結節点にあるということになるのである。「北街道」は、別名「鎌倉街道」といい、中世東海道であったとされている(因みに、江戸時代に近世東海道が整備されると、その北にあることから「北街道」という名で呼ばれるようになった。)。そして、「北街道」は古代東海道と同じ条里の方向に沿っている、すなわち、古代東海道と「北街道」は平行になっていることから、「北街道」は古代の伝路だったのではないかともいわれている。駿河国府の所在地は確定されていないけれども、古代東海道(駅路)が駿河国府に面していなかったことはほぼ確実なので、伝路が駿河国府、総社(式内社「神部神社」)、安倍郡衙などを結ぶ機能を持っていたものと思われる。そういう意味で、当神社の位置の重要性が再認識されるものと思われる。


静岡県神社庁のHPから(先宮神社)


写真1:「先宮神社」鳥居


写真2:「先宮神社」本殿。なお、現在の本殿は、元は「静岡浅間神社」の山上にある「麓山神社」の本殿を移築したものという。


写真3:「北街道と横内川」の石碑。場所:「北街道」に面した「しずおか信用金庫横内支店」前(静岡市葵区太田町33-1)。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする