川合の水神(かわいのすいじん)。「神明社」(静岡市葵区川合)の境内社「水神社」。
場所:静岡市葵区川合2丁目29。「静岡東高校」の東北角(「竜南通り」の突き当たり交差点)から東南へ約250m。駐車場なし。
通称「川合神明社」の創建は不明。最古の棟札には天正2年(1574年)のものという。祭神は天照大神。
徳川第11代将軍家斉の時(在位:1787~1837年)、江戸城内の紅葉山に怪物が出た。駿州小島藩一万石の領主であった松平丹後守は、若いが武勇に優れており、志願して怪物に立ち向かった。しかし、怪物は強く、丹後守が危うくなった時、白髪の老人が現われて加勢してくれ、とうとう怪物を仕留めることができた。この怪物の正体は年経た狸で、加勢してくれた老人は小島藩領内の川合の神であった。丹後守は褒美として加増になり、川合の「神明社」の社殿を再建した、という。
また、「川合神明社」の境内には「水神社」(祭神:弥都波能売命)の小祠がある(写真3)が、この社は元々、日本武尊が喉の渇きを癒すため、剣で地面を突くと、清水が湧き出したので、この地に水神を祀ったのだという伝承がある。「川合神明社」の鳥居前に神橋があるが、これは単なる飾りではなく、地下に暗渠の水路が通っている。その流れを辿っていくと、神社の北、約180mのところ(長尾川右岸の土手下)に水源がある。そこに「川合水源之神池」の石碑が建てられている(写真4)。川合の水神から流れ出る泉は日照り続きでも枯れないが、おりおり色が変わる。夏、日照りが続くと、夜明け方から日の出少し前までは濃い茶色になり、底が見えない。それが何日も続くと、その年は天災や地震があるという。地下に竜神が棲んでいて、そうするのだという。(伝説については、小山枯柴編著「駿河の伝説」(昭和18年3月)による。)。
「川合の神明」の伝説では、神は「白髪の老人」となっていて、祭神の天照大神(一般に女神とされる。)と異なるが、日本武尊と天照大神とは縁が深い。駿河国では、式内社「焼津神社」、同「草薙神社」など日本武尊を祀る神社も多いが、日本武尊自身が神助を祈って祀ったのは天照大神だった。
日本武尊に関わる伝説はともかく、当神社の創建がかなり古く遡るかもしれないのは、当神社が「安倍郡家」跡と考えられる「川合遺跡」と隣接しているからである。「川合遺跡」は、竜爪山・文珠岳から連なって静岡平野に突き出した南沼上丘陵先端の南麓にあり、長尾川と巴川に挟まれた交叉地に当たる。弥生時代中期以降の集落の遺構があり、奈良時代から平安時代にかけての掘立柱建物遺構、「専當」と記された須恵器などの出土物を伴う官衙遺跡が発見された。長尾川・巴川を利用した水運の要所で、後背湿地、背後に低い丘陵地などの立地が、志太郡家跡に比定される「御子ヶ谷遺跡」(2011年4月11日記事)に類似していることが指摘されている。
「川合遺跡」では、約4.7m四方の方形、深さ約1.2mの井戸跡も発掘されており、ひょっとしたら、「川合の水神」はこの井戸を祀ったものだったかもしれない。
写真1:「神明社」境内入口
写真2:正面鳥居。鳥居前に神橋があるが、地下に水路が通っている。
写真3:末社の「水神社」(「神明社」本殿の向かって右奥)。背後に見える高架道路は国道1号線(静清バイパス)で、「川合遺跡」はその工事中に発見された。
写真4:「川合水源之神池」石碑
写真5:川合の水源
場所:静岡市葵区川合2丁目29。「静岡東高校」の東北角(「竜南通り」の突き当たり交差点)から東南へ約250m。駐車場なし。
通称「川合神明社」の創建は不明。最古の棟札には天正2年(1574年)のものという。祭神は天照大神。
徳川第11代将軍家斉の時(在位:1787~1837年)、江戸城内の紅葉山に怪物が出た。駿州小島藩一万石の領主であった松平丹後守は、若いが武勇に優れており、志願して怪物に立ち向かった。しかし、怪物は強く、丹後守が危うくなった時、白髪の老人が現われて加勢してくれ、とうとう怪物を仕留めることができた。この怪物の正体は年経た狸で、加勢してくれた老人は小島藩領内の川合の神であった。丹後守は褒美として加増になり、川合の「神明社」の社殿を再建した、という。
また、「川合神明社」の境内には「水神社」(祭神:弥都波能売命)の小祠がある(写真3)が、この社は元々、日本武尊が喉の渇きを癒すため、剣で地面を突くと、清水が湧き出したので、この地に水神を祀ったのだという伝承がある。「川合神明社」の鳥居前に神橋があるが、これは単なる飾りではなく、地下に暗渠の水路が通っている。その流れを辿っていくと、神社の北、約180mのところ(長尾川右岸の土手下)に水源がある。そこに「川合水源之神池」の石碑が建てられている(写真4)。川合の水神から流れ出る泉は日照り続きでも枯れないが、おりおり色が変わる。夏、日照りが続くと、夜明け方から日の出少し前までは濃い茶色になり、底が見えない。それが何日も続くと、その年は天災や地震があるという。地下に竜神が棲んでいて、そうするのだという。(伝説については、小山枯柴編著「駿河の伝説」(昭和18年3月)による。)。
「川合の神明」の伝説では、神は「白髪の老人」となっていて、祭神の天照大神(一般に女神とされる。)と異なるが、日本武尊と天照大神とは縁が深い。駿河国では、式内社「焼津神社」、同「草薙神社」など日本武尊を祀る神社も多いが、日本武尊自身が神助を祈って祀ったのは天照大神だった。
日本武尊に関わる伝説はともかく、当神社の創建がかなり古く遡るかもしれないのは、当神社が「安倍郡家」跡と考えられる「川合遺跡」と隣接しているからである。「川合遺跡」は、竜爪山・文珠岳から連なって静岡平野に突き出した南沼上丘陵先端の南麓にあり、長尾川と巴川に挟まれた交叉地に当たる。弥生時代中期以降の集落の遺構があり、奈良時代から平安時代にかけての掘立柱建物遺構、「専當」と記された須恵器などの出土物を伴う官衙遺跡が発見された。長尾川・巴川を利用した水運の要所で、後背湿地、背後に低い丘陵地などの立地が、志太郡家跡に比定される「御子ヶ谷遺跡」(2011年4月11日記事)に類似していることが指摘されている。
「川合遺跡」では、約4.7m四方の方形、深さ約1.2mの井戸跡も発掘されており、ひょっとしたら、「川合の水神」はこの井戸を祀ったものだったかもしれない。
写真1:「神明社」境内入口
写真2:正面鳥居。鳥居前に神橋があるが、地下に水路が通っている。
写真3:末社の「水神社」(「神明社」本殿の向かって右奥)。背後に見える高架道路は国道1号線(静清バイパス)で、「川合遺跡」はその工事中に発見された。
写真4:「川合水源之神池」石碑
写真5:川合の水源