神が宿るところ

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鳥見神社(千葉県印西市大森)

2013-08-10 23:38:58 | 神社
鳥見神社(とみじんじゃ)。通称:大森鳥見神社。
場所:千葉県印西市大森1943。印西中学校の西、約900m。県道4号線(千葉龍ヶ崎線)の「大森坂上」バス停付近の交差点を西に真っ直ぐ進むと、正面。駐車場有り。「大森坂上」というバス停の名の通り、東西に長い台地上の西の端に東向きの社殿がある。
社伝によれば、崇神天皇5年(紀元前93年)に創建、大同2年(807年)再建。古代物部氏が当地に進出した際、祖神である饒速日命(ニギハヤヒ)、宇摩志真知命(ウマシマジ)、御炊屋姫命(ミカシキヤヒメ)を祀ったのが創建の由来という。なお、当神社境内入口に印西市が設置した説明板では、「大森鳥見神社(おおもりとりみじんじゃ)」、鎮座年不明となっている。
印旛沼の北岸、印西市を中心とする地域に「鳥見神社」が現在も20数社あるといわれるが、その他の地域では殆ど見られない。「常陸国風土記」(成立:養老5年(721年))の行方郡の記事に、「(行方)郡家より南へ二十里のところに、香澄(かすみ)の里がある。古伝によれば、大足日子天皇(景行天皇)が下総国印波の鳥見の丘に登られたとき、東方を望んで「海には波がゆったり漂い、陸には霞が棚引いて、(常陸)国が波と霞の中にあるように見える」と仰せられたので、それ以来「霞の郷」と呼ぶようになった、という記述がある。「香澄」というのは、いわゆる二字の好字に変えたものだろう。平安時代中期の辞典である「和名類聚抄」にも行方郡の中に「香澄郷」があり、現在の茨城県潮来市の永山・清水・牛堀・上戸の辺りといわれている。これは「香澄郷」の地名発祥伝説であるが、「常陸国風土記」の編纂時期には既に、印旛地区に「鳥見の丘」があったということになる。因みに、「和名類聚抄」によれば、下総国印旛郡に「言美郷」があるが、これは「登美(とみ)郷」の誤記であろうというのが通説化している。地名が先か、神社が先か、これは何とも言えないが、当神社を含め、古い由緒を語る「鳥見神社」の多くが、その鎮座地こそ「鳥見の丘」であると主張しているようである。
さて、当神社の東、約300mのところに「上宿古墳」がある。この古墳は、横穴式石室を持つ方墳(現状:東西5.5m、南北3.8m、高さ1.2m)で、7世紀後半の築造とみられている。また、当神社のすぐ南側にある天台宗「雲冷山 千手院 長楽寺」は、慈覚大師(円仁)により承和11年(844年)に創建されたものという。


「千葉の観光まるごと紹介」のHPから(大森の鳥見神社)

同上(長楽寺(印西市))

同上(上宿古墳(印西市))


写真1:「鳥見神社」(大森)正面。鳥居の扁額は「正一位鳥見大明神」(享保12年(1727年)に正一位の宣旨を受けたとのこと)。


写真2:同上、拝殿


写真3:同上、本殿。赤レンガの玉垣?と、小ぶりだが姿の良い本殿


写真4:「長楽寺」本堂(住所:印西市大森2034-1)


写真5:「上宿古墳」説明板。古墳は個人住宅敷地内にあり、現地に行ったときには夏草に埋もれていたため、見学は遠慮した。
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