鰭ヶ崎三本松古墳(ひれがさきさんぼんまつこふん)。
場所:千葉県流山市鰭ヶ崎1265。流鉄流山線「鰭ヶ崎」駅の北、約270m。駐車場なし。
「鰭ヶ崎三本松古墳」は、江戸川左岸流域では珍しい前方後円墳で、流山市内で最大の古墳。その大きさは、全長約25m、後円部の径約17m、前方部の幅約8mとされている。詳しい発掘調査は行われていないが、円筒埴輪等が出土しており、築造時期は6世紀後半とされる。式内社「茂侶神社」の真南、約3kmの位置にあり、何らかの関係があるかもしれない。
現地に行ってみると、古墳は台地上にあるが、周囲はぎりぎりまで土採りで削られ、特に前方部はかなり小さくなっているようである。特筆すべきは、後円部の上にある「下総國鰭崎邨古冢碑(しもふさのくに ひれがさきむら こちょうひ)」で、文政11年(1828年)に鰭ヶ崎村の名主・渡辺睦(庄左衛門)が建てた石碑である。これは、「天明の大飢饉」(1782~1788年)のとき、村人が古墳を盗掘して埋葬物を金にかえようとしたのを、渡辺睦の祖父と父が諌め、私財を提供して古墳を守ったということを記念したもの。江戸時代中期にもこうした人々が居たわけであるが、現在では、周囲の宅地化などで保存が難しくなっているようだ。
因みに、流鉄の線路を挟んだ南西側の高台に「守龍山 東福寺」がある。この寺院は、現在では新義真言宗に属し、本尊は薬師如来。弘仁5年(814年)、弘法大師が当地を訪れた際、この高台の下まで海が迫っていた。そのとき、海から龍が現れて竜宮の霊仏を捧げ、当地に寺を開創することを勧めたという。これが、「東福寺」の創建伝承であるが、この海龍が背鰭の一部を残して消えたことから、当地を「鰭ヶ崎」というようになったという。
なお、流山市内では、東深井地区にかつては約40基の古墳があったという「東深井古墳群」がある。「鰭ヶ崎三本松古墳」からは、北に約8km離れている。前方後円墳は1基(9号墳)だけで、全長約21mとされるが、高さはあまりなく、形もよくわからなくなっている。ただし、この古墳群からは人型のほか、馬、鶏、魚などを象った埴輪が出土している。
流山市のHPから(流山の歴史を学ぼう!)
流山市のHPから(鰭ヶ崎三本松古墳の碑)
「ちばの観光 まるごと紹介」のHPから(東深井古墳群)
写真1:「鰭ヶ崎三本松古墳」。案内板のところから先が後円部になるようだ。
写真2:後円部の「三本松稲荷神社」祠と「下総國鰭崎邨古冢碑」。
写真3:南西側から。台地上のフェンスのところがアプローチの通路で、前方部に当たるようだ。
写真4:南側から。
写真5:「守龍山 東福寺」入口。正面の急な石段を上っていく(場所:流山市鰭ヶ崎1303。「鰭ヶ崎」駅の西側すぐ。駐車場有り)。
写真6:同上、本堂。
写真7:東深井古墳群(場所:流山市東深井991地先。東深井地区公園内にあり、北部図書館の裏手(北側)にある。駐車場有り)。
場所:千葉県流山市鰭ヶ崎1265。流鉄流山線「鰭ヶ崎」駅の北、約270m。駐車場なし。
「鰭ヶ崎三本松古墳」は、江戸川左岸流域では珍しい前方後円墳で、流山市内で最大の古墳。その大きさは、全長約25m、後円部の径約17m、前方部の幅約8mとされている。詳しい発掘調査は行われていないが、円筒埴輪等が出土しており、築造時期は6世紀後半とされる。式内社「茂侶神社」の真南、約3kmの位置にあり、何らかの関係があるかもしれない。
現地に行ってみると、古墳は台地上にあるが、周囲はぎりぎりまで土採りで削られ、特に前方部はかなり小さくなっているようである。特筆すべきは、後円部の上にある「下総國鰭崎邨古冢碑(しもふさのくに ひれがさきむら こちょうひ)」で、文政11年(1828年)に鰭ヶ崎村の名主・渡辺睦(庄左衛門)が建てた石碑である。これは、「天明の大飢饉」(1782~1788年)のとき、村人が古墳を盗掘して埋葬物を金にかえようとしたのを、渡辺睦の祖父と父が諌め、私財を提供して古墳を守ったということを記念したもの。江戸時代中期にもこうした人々が居たわけであるが、現在では、周囲の宅地化などで保存が難しくなっているようだ。
因みに、流鉄の線路を挟んだ南西側の高台に「守龍山 東福寺」がある。この寺院は、現在では新義真言宗に属し、本尊は薬師如来。弘仁5年(814年)、弘法大師が当地を訪れた際、この高台の下まで海が迫っていた。そのとき、海から龍が現れて竜宮の霊仏を捧げ、当地に寺を開創することを勧めたという。これが、「東福寺」の創建伝承であるが、この海龍が背鰭の一部を残して消えたことから、当地を「鰭ヶ崎」というようになったという。
なお、流山市内では、東深井地区にかつては約40基の古墳があったという「東深井古墳群」がある。「鰭ヶ崎三本松古墳」からは、北に約8km離れている。前方後円墳は1基(9号墳)だけで、全長約21mとされるが、高さはあまりなく、形もよくわからなくなっている。ただし、この古墳群からは人型のほか、馬、鶏、魚などを象った埴輪が出土している。
流山市のHPから(流山の歴史を学ぼう!)
流山市のHPから(鰭ヶ崎三本松古墳の碑)
「ちばの観光 まるごと紹介」のHPから(東深井古墳群)
写真1:「鰭ヶ崎三本松古墳」。案内板のところから先が後円部になるようだ。
写真2:後円部の「三本松稲荷神社」祠と「下総國鰭崎邨古冢碑」。
写真3:南西側から。台地上のフェンスのところがアプローチの通路で、前方部に当たるようだ。
写真4:南側から。
写真5:「守龍山 東福寺」入口。正面の急な石段を上っていく(場所:流山市鰭ヶ崎1303。「鰭ヶ崎」駅の西側すぐ。駐車場有り)。
写真6:同上、本堂。
写真7:東深井古墳群(場所:流山市東深井991地先。東深井地区公園内にあり、北部図書館の裏手(北側)にある。駐車場有り)。
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