眠れない夜の言葉遊び

折句、短歌、言葉遊び、アクロスティック、夢小説

ベストため息プレイヤーへの道

2020-07-06 08:41:00 | フェイク・コラム
「もう少し上手くため息がつきたい」
 だけど、なかなか思うようにはいかない。

 悩んでいるなら少しため息のつき方にアレンジを加えてみるべきだ。いつも似たようなため息をついていないか。同じ調子で同じ長さで同じ重さで。それでは上達も望めないというもの。多様性のあるため息を持っていれば、ため息に対する姿勢も変わる。数あるため息の中から、自信を持ってこれだというため息が現れてくるかもしれない。

 ため息をつくに当たって、ただため息だけをついて終わってないか。純粋ではあるが、もっと他力を借りてもいいのではないか。例えば、絵手紙においては絵と言葉が一体となり互いを高め合っている。ため息が孤独でなければならないという決まりはないはずだ。
 手紙に絵を添えるように、ため息に言葉を添えたっていい。

 例えばこんな風に、

「何も変わらないなあ」はーー

「お金入ってこないなあ」はーー

「夏も終わりか」はあーー

「また雨か」ふーー

「夕日きれいだなあ」ほーーお

「誰もいなくなったな」しゅーー

「詰んだか」ひえーー

 ため息に言葉の力が加わることによって、ため息に厚みが増すのではないだろうか。ため息とコラボすることを前提として、種々の言葉を発掘する楽しみができればそれもいいことだ。

 どんな時でもため息をつける自分であるか。素直な自分を封じ込めていては、ため息なんてつけないのではないか。上手い下手は別にして、まずはいつでも自分を解放できる用意がないと、真のため息つきに到達することは難しい。たかがため息だと侮っていてはため息の方が逃げて行く。

 時には1つのため息を呑み込んで次の機会を待ってみる。つけるところをあえてつかないで力をためておく。ワンテンポずらすことによって次のため息を数段パワーアップできる可能性がある。これは大変なリスクを伴うので、最初の内はあまり無理をしないこと。予備知識程度にとどめておきたい。

 世の中にはため息を忌み嫌ったり、苦手意識を持つ人がいる。中にはため息と聞くと露骨に不快感を表す人がいる。ため息はみんなの人気者ではない。むしろ、どちらかと言えば不要不急の部類に分けられもする。
 ため息を扱う者は、そうした空気にも敏感でなければならない。

 身の危険を感じた時は、決して派手なため息をつかないこと。
 エアーため息を使えるようにしておくと心強い。

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プレッシャー・ベーカリー

2020-07-06 08:05:00 | 幻日記
「今焼けたとこですよ。
最近流行ってます。いい色でしょ」
「ああ」
「これなんか中にクリーム入ってます。
デニッシュ生地になっていて、コーヒーとかに合わせられますよ」
「へー」
 行くところ行くところ店員がついてくる。まるでボディガードのように強力だ。

「これなんかシンプルでかわいいでしょ。
私も1つ食べてます。はい」
「なるほど」
 ああ、色々あって目移りする。
 だけど、胃袋は1つだけだ。
 お店の外には私の決断を待つゲストの立ち姿があった。
 トングはふらふらと泳いで塩パンに吸い寄せられた。
(今日も冒険はできなかった)

「イートインでお願いします」

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観察と鑑賞の勧め「詰将棋に行き詰まったら……」

2020-07-06 03:57:00 | 将棋の時間
「少し回り道してみよう」

 海に行って何時間も何もしないでただ海を眺めていたという経験はないだろうか。何もしていないが不思議と何かが見えてきて、少し心が洗われるような気がする。そういう時間は大切だ。詰将棋には全く関係ない話のようだが、そうでもない。
 詰将棋と言えば持ち駒を使って王手をかけて何手かしたらピッタリ詰むもの。それはそうだが、それは1つの結果にすぎない。詰将棋は詰むようにできている。人の作った作品でもある。作者の意図、物語が隠されている。何も王手を考えずただ初形だけをじっと眺めてみる。そのような静かな観察も詰将棋をみる目を養う時間になる。


「最終地点だけを考えてみよう」

 詰将棋には必ずゴールがある。(最終的な詰み形がある)
 最初にゴールだけを考える。(解くとなるとまずは初手をどうするかを考えがちだが、そこはひとまず置いておく)
「ここにくれば詰むぞ」(こうなったら詰む)という場所/形を発見するとうれしくなる。正解でも変化でも構わない。成功の形を1つでも発見することは、難しい問題に取り組むための意欲を高める。ゴールの発見は手順の発見に等しい。詰み形から逆算して手順を組み立てる。それは詰将棋を解く上では概ね正しい順序と言える。


「持ち駒を無視して考えてみよう」

 詰将棋と言えば捨て駒である。価値ある駒を惜しみなく捨てて玉を詰め上げるところに醍醐味がある。詰将棋に慣れてくるとまず持ち駒をみて、さあ何から捨てていこうかな、と考える人も多いのではなかろうか。それも間違いではないが、観察を主眼としたならやや性急な態度である。
「純粋にゴールのみを想像する」その際、持ち駒はあまり関係ない。持ち駒が金1枚でも飛角でも角角金桂でも関係ない。局面だけをみる時、持ち駒は余計な情報にすぎない。


「王手は追う手。しらみつぶしに読んではならない」

 直感に頼って持ち駒を捨てて行けばたまには上手くいく。直感が正しければだいたい上手くいくだろう。だが、少し複雑な状況になった時に、突然壁に突き当たる。直感が存在しない局面を前に、しらみつぶしに手を読んでいくことになる。目前の問題に対しては、確かに有効だろう。しかし、それでは所詮は体力勝負である。効率がわるく進歩が望めない。

 初形だけにとらわれていては、初手だけを闇雲に追いかけることになる。詰将棋は王手の連続で玉を詰め上げるものだ。だからといってすべての王手を読み尽くすことは不可能。それはAIなどに任せておけばいい。
 人間はもっと読みを省略することができる。読みを飛ばして先の局面を想像することができる。局面を観察することによって読まなくてもみえてくるものがる。描く理想に向かって導くために王手がある、狙いを実現するために捨て駒がある。王手が玉を追うだけの手になってはならない。


「手を読むな。物語を読め」

 問題の中に答えは含まれている。それは作者の考えた物語だ。メルヘンか、異世界ファンタジーか、空想科学小説か……。王様はどこを通りどこで結末を迎えるだろう。闇雲にページをめくらないこと。じっと表紙をみつめて、作者の心の中に入り込む。

「運命は最初から決まっている」
 手順の組み立てというのは、答え合わせのようなものである。
 観察すれば物語はやがてみえてくる。それが詰将棋だ。

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