眠れない夜の言葉遊び

折句、短歌、言葉遊び、アクロスティック、夢小説

念仏は馬の耳に

2022-12-16 03:31:00 | ナノノベル
「馬が念仏を求めて来ております」
「馬が? どんな馬だ」
「追い返しますか?」
「いや。奇特な馬だ。少し聞かせてやれ」
「わかりました。では、私が」

チャカチャンチャンチャン♪

「和尚、また来ました」
「何また馬が来ただと?」
「追い返します」
「ばかもん! お前は気が短い」
「すみません。あの馬がうるさいもんで」
「聞かせてやれ」
「はあ」
「聞きたがってるんだろ。聞かせてやれよ」
「では私が」
「それも修行じゃ」

チャカチャンチャンチャン♪

「またあいつが来ました!」
「ほほ、よほどここが気に入ったようじゃ」
「追い返してきます」
「ばかもんめが! 来るもの拒まず」
「はい」
「修行が足りぬわ!」
「肝に銘じます」
「それにしても読めぬ時代だ」
「確かに」
「我々は動物園を回ることになるやも」
「はははっ」
「何をしておる。早く馬に聞かせてやれ」
「では私が」
「そうじゃ。お前以外に誰がおるか」

チャカチャンチャンチャン♪

「和尚、馬鹿馬が来ました! 追い返します!」
「ばかもん! いい加減に成長せい」
「すみません。つい馬が急かすもんで」
「念仏は馬の耳に。格言は進化しておるぞ」
「心得ました」
「それにしても、あの馬は何か悩んでおるのか」
「先日レースで優勝したとか」
「なんと! それは本当か?」
「なかなか成長しているようです」
「私も行くぞ!」
「では、私も」
「お布施をがっぽり弾んでもらうぞ!」
「はははっ」
「うっひっひっ」
「流石は和尚!」

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タイム・オーダー

2022-12-15 01:58:00 | 将棋の時間
 電車が通過することだけを待つ時間。針の上を歩いて行く時間。勝ちを読み切ろうと前傾姿勢を取っている時間。それらは同じ時間だろうか? 1分ずつ正確に削り取られていく時間に、私はずっと追われている。詰めば終わりの世界を、私は生き延びるために必死だ。優勢にみえても未知の要素が消え去らない限り、恐怖もまたなくならない。それは欲望にも等しかった。守りたい。大事にしたい。生き延びたい。最善手は? 答えを探し始めた時から、時間は永遠に足りないものになった。どうでもよければ、きっと何も思わないのに。

 自陣から敵陣、中盤から終盤、読み筋は幾重にも交錯して路上にまで広がる。スマホ男。暴走自転車。くわえ煙草男。野放しの猛獣。さまよえる詩人。悪徳警官。悪徳商法勧誘男。居眠り占い師。人食い植物。ポイ捨て男。路上の脅威に晒されて序盤にまで遡る。研究ノートの競合。5分前、5分前、5分前……。編集を継続しながら更新を維持することができない不具合によって、誤った結論が上書きされてしまう恐れ。検証は目先の利だけに囚われてはならない。すべての陣は寄せへとたどる運命にある。ワインの横にナイフ。月の横に美濃。神さまの横にチョコ。ルビーの横に消しゴム。コーヒーの横に馬。落ち葉の横に猫を……。何でもいいと君は言うかもしれないが、考えずにいられるものか。閃いたかと思った次の瞬間には闇に覆われる。広がった刹那、底にまで沈む。焦燥がかけたゼロと無限の橋の間に、私は郵便ポストのように立ち尽くしていた。
「戻りなさい。澄み切った部屋へ」
 肩にとまった雀がささやく。一編の詩が繰り返しあなたを救うでしょう。

「ここは?」

「駒犬の間です」

 私は盤上に復帰した。

「50秒……、55秒……、残り7分です」

「な、7分!」

「このまま続けますか?」

「2時間追加でお願いします」

 私は正座になると一瞬の長考に入った。

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夢であったら/夢であった

2022-12-15 00:25:00 | 夢追い
 いつものようにセルフレジでコーヒーを注文する。いつもは電子決済するのだが、それだとなぜが決済のみ対人式となる。そこで今日は小銭を用意してきた。順調に進みいざ支払いのところにきて僕は戸惑った。小銭を入れるところがぱっと見でわからなかったのだ。お札を入れるようなとこはある。お釣りが返ってくるようなところもある。しかし、硬貨は……。僕は思い切ってお札投入口に硬貨を押し込んだ。特に反応はない。続けてもう1枚。10円玉を入れると警報音が鳴り響いた。明らかに僕のせいだった。しばらくして中から鍵を持って店の人が飛び出してきた。機械を開き、中の異物を探っている。
「夢であってくれ」そう思うほど、目の前に映る現実は受け入れ難いものだった。救いは僕の後ろに並んでいる人が誰もいなかったことだ。もしも時間が少しずれていたら、(あるいはクリスマスだったら)、大行列ができていたことだろう。2人目の店員に代わりようやく2枚の硬貨が救出された。本当の投入口はお釣り返却口の真上にあり、大きな口を開けて存在していた。目立ちすぎて逆に見えなかったのだ。イメージとして求めていたのがジュースの自販機のような小さな穴だったこと、以前どこかで札も硬貨も区別なく投入できる機械を見かけた経験があったこと、それは言い訳にすぎない。一番は、少し寝ぼけていたことだ。


「お前、噂では寝返ってるらしいな」
 仲間の武将の言葉に憤慨して、僕は敵の大将に弓を引いた。的は外れた。大将は驚いてよろけた。周りに護衛の者はついていなかった。僕はあきらめなかった。寝返ってなどいないと証明せねばならなかった。2発目からは武器は拳銃に変わっていた。またしても的は外れてしまう。銃弾は交番の中に飛び込み壁に刺さった。終わった。呪いたいほどに最悪の場所だ。僕は家に返って逃亡の支度に追われた。すぐに刑事が2人、断りもなく家の中に上がり込んできた。僕は玄関に隠れた。入れ替わりに脱出しようとしたが、すぐに見つかってしまう。
「親は向こうです」
 平然とした態度を装って難を逃れたい。刑事は家の奥へ歩いて行く。手袋をした僕を、不自然に思わないだろうか。一旦は見逃した振りをして、あえて泳がすのだろうか。自分がやりました。すぐに楽になれる言葉が、自分を裏切って飛び出しそうで恐ろしい。


「夢でよかった」
 悪い夢から醒めた後、気分は重い。遅れて安堵と感謝がやってくる。あちらが現実でなくて、本当によかった。少なくとも僕は自由を失ってはいない。今からコーヒーでも飲みに出かけようか。

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完封ドライブ賞(自転車なんて大嫌い)

2022-12-14 20:35:00 | デリバリー・ストーリー
 自転車なんて大嫌い。左右は少しも確認しないし、減速することも知らない。一旦停止なんてするわけがない。赤信号は平気で無視するし、横断歩道に猛スピードで突っ込んでくる。我が物顔で歩道に入り生身の人間の1ミリ横をかすめて走り抜けていく。夜というのに明かりもつけずに走っているし、スマホを片手にふらふらしている奴ばかり。それが当たり前の日常なのか、誰も文句を言うこともない。そんな自転車に乗って僕は物を運んで暮らしている。ラーメン、バーガー、丼、ラテ、ケーキ、時には乾電池1つを大きな鞄に詰めて5キロの道を進むこともある。

「あべのからミナミまでゴールデン・タイムの見事な完封ドライブでしたね」

「運ぶ準備はできていたけど、注文が入らない時には入りませんから」

「リコから大道の方に抜けて行かれましたけど、あの辺りはどんな感じでしたか?」

「裏てんのうじに少し期待を持っていました。前田のうどんのところは道がいいんで。その先には松屋町筋にゴースト・レストランがあります。駄目でしたけど」

「そこから北に進路を取られました」

「ミナミに出れば少しは景色が変わると思っていました」

「どの辺りで本格的な渋さを感じられたのでしょうか?」

「心斎橋筋ですね。キックボードの奴らがのろのろと走る後をついて行く時に、ここで駄目なら今日は駄目なんだろうなということは思いました」

「実際どのような心境だったのでしょうか?」

「誰からも呼ばれない時間が長く続けば、本当に自分は必要なのか疑問になります。こんなところでいったい何をしているのだろう……。一言で言えば心が折れそうな感じです」

「そうなった時に、どうやって乗り越えられるものなのでしょうか?」

「心を無にすることですね。無になったら折れませんから」

「この経験は今後に生かせそうですか?」

「明日太陽の下で生かすつもりです」

「他のドライバーの皆さんにメッセージをお願いします」

「1年の大半は閑散期です。苦しい時間は長く、輝ける時は限られているというのは、メルヘンチックではありませんか。自転車は他の乗り物と比べて速度が出ない分、単価も安くなりがちです。時給にしてみれば最低賃金にも満たないことも多々あります。報酬は宝箱のようなものかもしれません。みつけた瞬間にはどきどきもするけど、開けてみたら空っぽだったということもあります。だけど、自転車は小回りが利くし一通を逆に入って行くことだってできる。生身の体だからすぐに傷ついたり、邪なものにぶつかって命の危険に晒される夜もあるけれど、その分鍛えられるところもある。コツコツと経験値を積めば、その内に魔法使いや賢者にだってなれるかもしれない。その気になれば僕らは職業を自由に選ぶことができるのです。ダイスを転がして報酬が変わるなら、これはギャンブルみたいなものでもある。いい時もわるい時もあるけれど、色んな差別がなくなるように、清く正しく、ちゃんと安全に気を配り、特に雨の日はマンホールの上でブレーキかけないように、ヘルメットを被って走りましょう!」

「あえてコンパクトに表現するとすれば?」

「ペダルを踏むということです」

「一度の機会で多くを運べるサービスも始まったということですが、これについてはどうでしょう?」

「よしあしですよね。抱き合わせのような話ですから。機会を括れば1つ1つの品質が低下することは十分あり得ます」

「機会か品質かということですね」

「料理が冷めてもよければ話はまた別ですが」

「おめでとうございます! 完封ドライブ賞の300円です。よろしければ使い道の方を聞かせてもらってもいいでしょうか?」

「自分への投資に当てたいと思います」

「ぜひそうしてください。本日はありがとうございました!」
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レッド・マカロン

2022-12-14 01:57:00 | ナノノベル
 考えてもなかったことを考えつくため、考え込んでみる価値はあると信じられる。苦心の果てにひねり出せる手を持っている。それが人間の指す将棋だ。だから将棋は時間ばかりがかかる。時間をかけた分、よい手が指せるとは限らない。かけた時間を裏切るように悪手を指すことも多い。それでも人間は、理想を実現するために時間をかけなければ気が済まない。そういう生き物だ。最善手にたどり着くためだけではない。考え続けることは、上達にも欠かせない。考えている間に考えになかったことが浮かび、それが次へつながるヒントになったりする。

 目先の勝負がすべてではない。まとまりそうでまとまらない読み筋が、絡まって、どこかで結びついて香車1本強くなる。それは日々の積み重ねなくして、決して起こり得ないことだ。先に歩を成り捨てるべきか、それとも単に香を出るべきか。私が突き詰めていたのは、微妙な手順の組み立てだった。どちらが受けの余地が、あるいは手抜きの余地が少ない? 細かな違いが勝敗に直結することもあれば、どちらも大差がないこともある。その場合、考えた時間の大半は無駄とも言える。考え抜いた結果、何も考えなかったのと同じ所に戻る。そうだとしても考えずにはいられないのが棋士ではないか。一局に魂をかける以上、一手を疎かにできるはずがない。

 私は1時間以上長考したところで、マカロンをいただいた。読み耽る間に失われたエネルギーを補うには、お茶では不十分だからだ。形勢は楽観的にみて互角。夜戦は厳しい激戦になることが予想される。次の一手はどうやら自身の直感に戻ることになりそうだ。


「大事な相談がありまして……」
 静寂を破ったのは駒音ではない。
 そこにいるのは、立会人の先生ではないか。

「人生相談か何かですか?」
 名人が即座に反応した。

「まあ詳しくはみなさん向こうの方で」
 立会人は部屋の外を指しながら言った。

「いやー、流石に今は」
 名人が顔をしかめる。

「終わってからにできませんか」
 私もここでの中断は望まない。一度切れた緊張の糸は、簡単につなげるものではないからだ。

「とりあえず時計を止めから」
 立会人は記録係に指示を出した。

「時計は止められません!」
 制服を着た少年はきっぱりと言い切った。

「いいから止めて。今はいいから……」

「いいえ、よくありません! 終局まで時計は止められません!」
 少年は両手で覆うようにしてタブレットを守っている。誰よりも強い意志を持っているように見えた。近い将来、彼は棋界に新しい風を吹かすことになる。私は確信に似た予感のようなものを感じた。


「失格!」

 立会人が、いきなり失格を告げた。それは私だ。
 部屋の中で食べてもよいおやつの直径は10センチ以内と定められていたが、私の食べたマカロンがそれを超えていたという判断のためだ。

 開いたままになった私の口から一気に魂が抜けていく。もっと銀の頭を叩いて、もっともっと踊りも見せたかったよ、田楽刺しを楽しみに取っておいたのに、銀の横に張り付いて寄せに参加したかったし、近づいてくる竜がいるならピシリと叱りつけてみたかったの、もうすぐ馬になってかえってくるつもりだった、もう少しだった、わし天国への道筋をずっと描いておったのよ、ずっと先かまだこれからのことだった……。共に陣を組んで戦った駒たちの無念を引きずる魂だった。

「何センチでしたか?」
 私は厳しく立会人に迫った。
 私の感覚が正しければ、これは重大な誤審に違いない。
 記録係がビデオ判定を求めた。名人は黙ってコーヒーを飲んでいた。立ち昇る湯気が盤上を越えて、竜の魂と交わるのが見えた。

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クリスマス2022折句短歌

2022-12-13 23:37:00 | 短歌/折句/あいうえお作文
靴音が
リーガルでした
速やかな
マックの陰に
スーツの男


空調が
理屈のように
擦れ合って
窓際だから
スキが届かぬ


9時半に
理想は落ちて
スーツだけ
まともに映る
スカイプ会議


クエストは
竜の鱗に
吸い取られ
まさかの時給
スリーコインズ


狂おしく
理想を巡る
スワイプの
真夜中あなた
ステマじゃないの


空想は
理屈をかいた
水槽に
まどろみ胸を
すかせる遊び


口惜しく
リリースされた
スキだから
紛れて静か
砂と流れる


(折句「クリスマス」短歌)

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逆上王(腕に覚えあり)

2022-12-13 02:40:00 | 将棋の時間
 春がきてランドセルの準備はできていたけど、そこに新しい教科書が詰め込まれることはなかった。精密検査の結果、入院することが決まったからだ。家から車で3時間ほどかかる病院だった。父がハンドルを握る車で病院に向かう。長くて短い別れの道だ。

 同じ病室の子が僕に将棋を教えた。拒むことはできなかった。1からルールを覚え込むことは、とても大変だった。
 金と銀は似ていてややこしい。金の方が僅かに強い。銀と角は性格が似ている。玉は金に似ていて大駒の次に強い。飛車は香の4倍の働きをする。桂馬は非人間的な動きをする。歩はとにかく多い。駒は裏返ると金になる。裏返らない選択もできる。大駒は裏返ると玉の強さを身につける。ほぼ無敵。相手の駒は利きに入ると取ることができる。取った駒は持ち駒となって好きな時に使うことができる。持ち駒になった時は一旦元の働きに戻る。いきなり裏の状態で持ち駒を打つことはできない。永遠に行き場のない状態に駒を動かしてはいけない。玉が取られたら負け。次に取るぞという時が王手。どうしても取られる状態が詰み。正式には詰みの時点で負け。なので実際に玉が取られることはない。駒の動かし方を一通り覚えたら、並べ方を教わる。そちらはそう難しくない。
 初対局は手探りだ。最初は何をどう動かしていいかわからない。どんどん相手の駒が前進してすぐに成駒がいっぱいできる。玉はあっという間に包囲され行き場を失う。詰んだ。これが将棋だ。僕の最初の敵。それがカズヒコだった。

 無理に覚え込んだものだったが始めてみるとなかなか面白い。周りの人の駒の運びを見ては真似たりした。違う病室の先輩(僕からするとかなり大人に見えた)がよく指していたのは、飛車の斜め下に玉を持ってくる構えた。今思えば、それは美濃囲いだ。但し、飛車は居飛車だったり浮き飛車だったりあまり横には動かなかった。玉は隠すようにしておくと負けにくいものか。初級の僕は漠然とそのように感じた。

 母は月に一度ほどたずねてきた。母の顔をゆっくりと思い出して、変わっていないことがわかるとうれしかった。何を話していいかわからない内に日は暮れて、すぐに別れの時間がやってきた。夕方帰るくらいなら来なければよかったのに。コントロールできない時の流れに突然怒りが湧いてくる。消灯後のベッドの中で音を殺して、母のくれたお菓子を食べる。奇妙な背徳感の後に切なさが尾を引いた。

 僕が棋書と出会ったのは、ルールを覚えてからしばらく後になってからだった。表紙がつやつやとしてとてもよい匂いがした。僕が手にしたのは16世名人の入門書だった。そこには見たこともない囲いがあった。金銀をがっちりとくっつける、矢倉という囲いだ。定跡はよくわからなかったが、僕は矢倉囲いだけを暗記した。何度目かのカズヒコとの対戦、僕は覚え立ての矢倉をぶつけた。初めの頃のように簡単に攻めつぶされることはなかった。そればかりか矢倉には思った以上の耐久力があり、相手の攻めを跳ね返す力があった。何だかんだとする内に玉を詰ましたのは僕の方だった。矢倉という武器を身につけて、僕はついにカズヒコに勝った。

 玉を詰まされた瞬間、カズヒコの目の色が変わった。そして、次の瞬間、猛然と襲いかかってきた。腹や顔を散々殴られ髪の毛をつかんで引っ張り回された。口の中に手を突っ込まれて歯を引き抜かれそうになった。(あの時の感覚では、確かに僕の歯は確実に何本か抜けていたのだ)4つも上の子供に対して、僕はあまりに無力だった。カズヒコはただいい遊び相手がほしかったのだ。自分が負かされる日がくることを望んでいたわけじゃない。だけど、それがそこまで許されないことだったとは、とても想像の及ばないことだった。対局が続いている間は平和だったのに、終局と同時に不条理な暴力が待ち受けていたなんて。僕はその時、憎しみというものの恐ろしさを知った。

(将棋を指す人に悪い人はいない)

 随分後になってそういう言葉を聞いた。いったいどういう意味だろう。きっと迷信だ。指す人ではなく、極めた人だったら。もしかしたらと僕は思う。彼の蛮行は弱さの現れかもしれない。矢倉なんか覚えなければよかった。でも悪いのは将棋じゃない。小さな病室の中の王だった。

 顔にはあざができていた。彼の暴力を大人に訴えるようなことはできなかった。大人はひと時は僕を守ってくれるだろう。優しい言葉をかけてくれるかもしれない。けれども、その後にもっと恐ろしい報復が待っていることは明らかだ。一時的な安全など何も意味がない。病室にいるのは子供だけで、僕はほとんどの時間を子供たちの世界の中で生きていかなければならないのだ。こちらの主張が100%通るとも限らない。凶暴な顔を持つカズヒコだが、大人たちの前で素直でよい子を演じることにも長けていた。

 21時の消灯後、病室ではこっそりとテレビがつけられていた。テレビを楽しんでいる時のカズヒコの顔は、とても普通だ。機嫌がよければ普通の子とも言えた。けれども、あの勝局の日以来、何かある度に僕はターゲットにされた。

 病室の外にいた大蟻の大群を包んだ毛布を被せられたことがある。息が絶えそうな毛布の中で、僕は蟻の恐怖を味わった。それから僕は蟻の匂いが嫌いだ。(病院に蟻なんていないと言う人もいるかもしれないがいたのだ)同室だったよっちゃんにライフル銃で撃たれたこともある。カズヒコがそれをさせたのだ。(病院に何でモデルガンがあるんだと言う人もいるかもしれないがあったのだ)その後トイレで会った時、よっちゃんは「ごめんね」と謝った。狙撃手はとてもかなしい顔をしていた。僕はよっちゃんを怒れなかった。逆らえないのは皆同じだったからだ。

 数年が通り過ぎ、カズヒコは笑顔で退院して行った。病室は平和を取り戻し、穏やかな日が続いた。あんな酷いことはそうないだろう。幼い僕はそのように考えていた。だが、実際はそう甘いものでもなかった。いじめや暴力、差別や不条理な出来事は、外の世界にも腐るほど存在したのだ。病院の中では色んな人を見た。僕らよりももっと重い、命に関わる病を持った人もいたし、突然やってくる別れもあった。
 あの日以来、僕は心から人間を信じることはできなくなった。だが、それは悪い面ばかりではない。勝負事に関して言えば疑り深いくらいがちょどよい。
 本当のところ怒りは今でもくすぶっている。心の奥深いところで、いつか復讐してやりたいと願っている。だから、もう二度と会いたくない。どんな大人に成長しているとしても、会いたくない。

「負けました」

 将棋にそんな言葉があると知ったのは、病院を出て何年も経ちずっと大人になってからのことだった。それは当たり前に正しく、美しい人の姿勢だ。
(将棋ってどんなゲーム?)
 駒の動かし方、持ち駒の使い方、禁じ手の種類、駒の並べ方、玉の囲い方、定跡……。そんなことはどうだっていいのだ。最初に覚えるべきことは、人に礼を尽くすこと。たったそれだけでいい。
 大人でも子供でも、「負けました」とちゃんと言える人が僕は好きだ。

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ゴースト・タッチ

2022-12-12 03:43:00 | ナノノベル
 人間の半分は眠りで出来ている。「眠れないな」と思い始めた時には、だいたい本格的に寝つけないのではないだろうか。調子のよい時はほとんど何も考えずに、気づいたらもう眠っている。(気づかないから眠っているのだが)眠る前にスマホを見るのはあまりよくないとされている。しかし、スマホはあまりに近すぎる。今や親兄弟よりも遙かに近い存在だ。駄目と言われて触れずにいることができるだろうか。
(スマホがあれば怖くない)
 あなたはそんな風に考えているかもしれない。
 けれども、恐怖は身近なところにも潜んでいる。

トントントン♪
トントントン♪

 誰かがドアをノックするような音がする。こんな時間に誰か来たのか。きっと空耳だろう。何もなかったことにして、スマホの中に戻った。寝つけない夜には、noteの中に潜り込んで気を紛らわしてくれる記事を探すのだ。おすすめや誰かのスキを追っていけば、何か適当なところに行き着くだろう。軽い気持ちでタップを重ねる。

トントントン♪
トントントン♪

 またさっきと同じ音がした。やはり誰かいるのか。いつかの友が何か困ったことがあって訪ねて来たのかもしれない。スマホを置いて玄関に行くと恐る恐るドアを開けた。
 誰もいない。
 けれども、何か人の気配があったようにも思えた。
 ドアを閉じて鍋に残っていた豚汁を見た。まさかお前が……。あり得ない妄想を打ち消して部屋に戻った。最近はどうも疲れが溜まっている。脳内で作り出したものが実際の音のように現れるのかもしれない。今夜は早く眠った方がよさそうだ。そう考えながらスマホに触れた瞬間、激しくドアをノックする音がした。今度は間違いない。何者かがドアを叩いている。

ドンドンドンドン♪

「さっきからちょっとうるさいんですけど」

 白いワンピースを着た女が立っていた。
 明らかに不機嫌そうな顔だった。

「あの、何か?」
「ドアを叩く音ですよ。今何時だと思ってるんですか」

「すみません。気をつけます」

 謝りながらドアを閉めた。僕の何が悪いのかはわからない。だけど、空耳でないことだけは、これではっきりとした。単なる悪戯の可能性もあるが、もしかしたら何か霊的な物の仕業かもしれない。
 スマホを開き、ドア、ノック、妖怪の類で検索をかける途中で、突然スマホの挙動がおかしくなった。天気予報、地図、ゲーム、次々と全く関連性のないアプリが開かれたかと思うと、急にメール画面に飛んで重要メールの閲覧が繰り返された。何も触れていないのに動くのが恐ろしくなって、再起動を試みた。
 3度繰り返しても異変は収まらない。
 noteアプリが勝手に起動すると脈絡もなく、見知らぬ人のホームを巡回し始めた。検索窓に現れる意味不明のららららら……。ホームボタンに触れようとした時、現実の世界からドアを叩く音がした。問題はまだ向こうにもあったのだ。

ドンドンドンドン♪
ドンドンドンドン♪

「ちょっともういい加減にしてもらえますか」
「また音しました?」

「ずっとしてますよね」

「すみません。気づきませんでした」

 スマホの不具合と向き合っている間、ずっと周りの音が聞こえなかったのだろうか。麦藁帽の下からのぞく女の細い目は、前よりも鋭くなっているようだった。

「ちょっと待たせてもらいますから」
「えっ?」

 僕が動揺する間に、女は部屋の中に入り込んでいた。

「紅茶でいいですか」
「結構です」

 訪問者が現れるまで2人で大人しく待つことになった。

 女はネット小説家で、異世界とイオンタウンを往復するのが主な生活らしい。興味はないが、自分のことを根ほり葉ほり聞かれるよりはましだ。

「異世界っていいものですか?」

「異世界がいい時、私の生活はわるくないのよ。ここはどこ? 私たちは問いかける。ここはホームだ。私たちは答える。ホームは何か? 食卓を置くところか。恐怖を匿うものか。答え合わせを繰り返すことがミステリーの仕事なの。犯人は私です」

 生活はそうわるくないらしい。女はミステリーも書くらしい。

「根気がいるのでしょう」

「スイーツはドーナツなの。毎日には重いけれど、何かが欠けていることは大切よ。だってそうでしょ。何もかもが満たされていたら、何を書く必要があるというの。私の自慢話、あなたは聞きたい?」

「いいえ」
 
 彼女はドーナツを大切にしているようだ。それを聞いて僕は少し小腹が空いた。あれからドアはノックされない。

「小説は外出と同じなの。大切なのは行って帰ることよ」

「それは初めて聞きました」

「家のドアを開くことが本を開くことね」

「入るのではなく出て行くのですね」

「外出ってそういうものよ。現実って退屈でしょ。だからみんな出たがっているの。無意識に出たがっているのよ。扉を開けて異世界に出かけるのよ」

「今は外出も色々と大変みたいですがね」

「出かけたものは帰ることが決まりなの。それは本当に何気ない動作なのだけどそれによって必ず色が変わるの。一度離れて帰ってきた時には、現実に新しい光が当たるのよ。それだけのことよ」

「でも色々と大変そうですね」

「それは何にしてもそうよ」

 彼女はきっぱりした口調で言ってから、紅茶を一口口にした。

「だって、いずれはどこかに出て行くしかないのよ。そうしなければ息が詰まりそうなんだもの。プロットがみつからない時にだって、私はじっとしていられない」

「全部できてから書き出すのではないですか。確か聞いた話では」

「それは人によるわ。計画性のある物書きならそうするでしょうね。私のような不安定な人間は辛抱することができないのよ」

「不安ではないのですか。先がみえていないなんて」

「動いていれば大丈夫よ。時が止まっていることは地獄なの。終わりへ向かっていくこと。流れていく時間こそがすべてなのよ」

「それはそうかもしれませんけど」

 いったいどんなものを書いているのだろう。彼女の言う異世界に、魔女や魔法使いは現れるのだろうか。初対面の人と遠い世界の話をしながら、僕らは夜の訪問者を待っていた。まだ、しばらくは眠れそうになかった。

「あなたは何を?」

「いいえ僕は普通で。でも異世界って色々大変そうですね」

「でも半分はイオンタウンよ」

「そんなことないでしょ」

「異世界に行って子供になり、帰ってきては大人を演じる。私たちは子供にも大人にもなりきれやしない。夏はだいたい素麺でヨーグルトは年中食べるわ。ヨーグルトはお好き?」

「はい。好きです」

「そう。私は小さな共感を誘って読者を引き寄せるの。広告を読ませるためよ」

「広告ですか」

「そう。今は何でも広告よ。私たちは広告の運び手にすぎないというわけ。それで得られるのは本当にささやかなものなの」

 女はそう言って右手を開いた。

「そんなことないでしょう」

「月に500円ほどよ」

「えっ?」

「ここまでくるのに10年かかったわ」

 訪問者はなく、夜が更ける。
 初めてやってきた女はよくしゃべった。
 僕がだまされているのではないか……。
 そう思いはじめた時だった。

ドンドンドンドン♪
ドンドンドンドン♪

「手配中の男がこちらに逃げてくるとの情報が入りました」

「どういうことですか」

「とにかく中で待たせてもらいます。いいですね」
 警官は有無を言わさず中に入り込んできた。

「紅茶でいいですか」
「結構です」

 見知らぬ3人が同じテーブルを囲い逃亡者が訪れる時を待った。異世界とイオンタウン、カフェとレストラン、パスタとワインの話などをしたが、ドアをノックする音は聞こえてこなかった。警官は異世界への関心は薄かったがワインについては特にうるさく、その内に情熱的になり空腹を訴えるまでになった。

「ウーバー・イーツです」

 訪れたのはフード・デリバリーの配達員だ。

「ありがとうございます」

 吉兵衛のカツ丼を見知らぬ人と食べている。まさかこんな瞬間がくるとは思っていなかった。人の話を聞いているのは意外と体力を使うことだった。いつもより食欲がある自分に少し驚いた。警官はカツ丼は主食のようなものだと言った。女は肉を口にするのは久しぶりだと言った。
 警官はよほど空腹だったのか丼から唇を離さず一気に流し込むようにして食べ終えた。

「ちょっとお手洗いを」

「どうぞ」

「あっ、そっちじゃない!」

「いいや、こっちだ!」

 警官は僕の制止に耳を貸さず部屋の奥まで行くと押入を開けた。

「うわぁー!」

 中に潜んでいたUMAが警官をみつけると一気に呑み込んだ。自分から踏み込んだ割に抵抗する術はまるでなかった。

「お前、お腹空いてたの?」

「ウィィイィィーァ……」

「ありがとう。助かったわ」

「いえいえ。あいつはうそつきですね」

 女はUMAをつれて家に帰った。
 急に戻ってきた日常に安堵しながら、テーブルの上を片づけた。まだ少しお腹が空いている。僕は豚汁を温め直すことに決めた。

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ラブリー・クッキング

2022-12-11 02:37:00 | 短歌/折句/あいうえお作文
めんつゆが鍋に沸いたら私だと一番風呂に飛び込む竹輪

玉葱が1つはあると信じれば抑え切れないカレーの希望

グラタンをリスペクトした焼売とマフィンの溶けたポタージュスープ

ぐつぐつと煮立ちほぐれた袋麺 君はこれからヤキソバになる

大根で鍋があふれるおでんにはバリエーションは期待できない

おでんからカレーうどんに進化して消えぬ竹輪のバイタリティよ

お茶漬けはお茶とご飯でつくられる何だかんだで君が一番

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