包囲された空間にいることが、大人であることの証明だった。折れ曲がった矢印が進むべき道を迷わせる。タクシーの刺客が交差点で牙を剥いて襲いかかってくる。プールの中に飛び込んで必死で腕を回した。クロールは間違った学習だったと思わせる。かいでもかいでも前に進むことができない。ターンする壁をずっと探している。
「ランウェイか」
課長はそう言って電話を切る。アピールできるチャンスだ。
「自分行きます」
あった! 『ランウェイ』はすぐに見つかった。こっちにも! 本棚は50音順ではなかった。同名多数。マンガ版はずらりと並んでいた。今必要なのは小説だった。違う作者のもある。タイトルだけ聞いて来たから、結局は手こずってしまう。どれが本当の正解かわからない。最初に見つけた一冊にかけるか、あるいは……。
「おいおい! いつまでかかってる」
課長がかけてきた。女の人が叫んでるぞ。
煮え湯ばかりを飲まされる。煮えているのはどうってことない。飲まされている感覚が許せなくて、暖簾を潜る。
「無地のシャツ、バケツを返した柄のパンツ、遠足に行くような二重瞼、口は真一文字で、工事中の道を縫うように逃走しております」
おばあさんはしゃがみ込んで猫の頬に耳を寄せている。
「あなたの前世は自動車の修理工だったのね。その名残が髭の先にまだ微かに残っているのね。原理、歴史、性能、用途、そういったすべてを熟知しているのね。通り過ぎていったのはプリウス。あなたはそれを愛していたのね。来世はどう? そう……。思うようにはならないのね」
リサイクル・カーが古くなったミシンを積んで通り過ぎる。
「誤算であると願いまして」
だから間違うんだって。パンの耳がつながって並木道になる。新幹線より早く歩けば昼前には着くという。道は九州に直結していた。寒さが身に沁みる。冬を愛する人は決して夏を呼んだりはしない。煮え湯が集まって風呂が沸いている。運転手、課長、おばあさん、鹿、猫、先生。生きてましたか。まるで世界の縮図だ。これが働くということか。
「大丈夫。きみには才能がある」
やっぱり、先生はわかってくれてる。
「まあ、誰にでもあるんだけどね」
先生? どうしちゃったの。信じて歩いているだけではどこにもたどり着けなかった。僕はエレベーターの中に閉じ込められている。行き先はないし、開くも閉じるもない。どうしてこの箱がエレベーターなのだろう。何も食べていなくても、天井から光が射し込むと少しだけ明るくなる。アナウンスに従って熟成ボタンを押すとフルーツの漬け物が完成するだろう。26時を回った頃に配達員が押し寄せて、ここは人気のゴーストであることを知らされる。熟成ボタンが足りない。赤いネクタイを持った男が手際の悪さに文句を言って、僕の首を絞めている。強い。まるで本気すぎる。
・
「着いたぞ」
父の声で目が覚めた。後味のわるい夢だった。
「父さんのことは絶対に言わないから」
出頭は自分で決めたことだった。
「当然だ。わしは一家の大国町だからな」
父さんの言う通りだ。僕は王子町2丁目辺りだな。もっと北へ、そして西へ進んでいつか追い越してやるつもりだ。
もうすぐ夜が明ける。