kanekoの陸上日記

毎日更新予定の陸上日記です。陸上競技の指導で感じたことやkanekoが考えていることなどをひたすら書きます。

贈る言葉として

2006-03-01 | Weblog
 空は雨模様・・・。少し肌寒い。

 3月1日、卒業式が挙行されました。

 何度か書いたことがありますが、今の3年生はkanekoが教員となり初めて担任をさせて頂いた学年です。1年生の入学式の日から3年間、ずっと見続けてきました。部活動も生徒会もあったけど、kanekoの中では「クラス」というのはまたちょっと違った思い入れがあります。楽しい話しや馬鹿話もするし、時には厳しいことを言う。そういう中で関係を少しずつ作ってきた。クラス替えはあるものの「高校生活最後の1年間」を共にしたというのは比重が大きいと思う。

 朝、教室に行くとみんなが卒業アルバムにメッセージを書いている。こうやって全員でわいわいやるのも今日で最後なんですよね。高校生活最後の日・・・。そう思うと胸にこみ上げるものがあります。

 式が始まるため教室の外に並ぶと、生徒が「先生、今日は大きい声で返事するね!」って言ってくれる。こうやってkanekoの気持ちを汲み取ってくれるのはこの子達の成長の証。kanekoがこれまで送ってきたメッセージがちょっとずつこの子達を構成する要素として残ってくれているんだって感じた。そんな些細なことも大きく感じることができる。 

 式の中で厳粛な雰囲気の中、クラスの生徒の名前を1人ずつ呼ぶ。名前を呼ばれることで「自分は卒業するんだ」っていうのを実感した様子。式としては非常に良いものになったと思います。来賓の方々も高く評価してくださったようです。

 式が終わり、教室で卒業証書を1人ずつ手渡しで渡しながら「おめでとう」と声をかける。みんない良い顔してました。

 最後はクラス全員&保護者でDVDの鑑賞会。基本的にkanekoは口べたなのでみんなの前にでると思ったことが話せません。みんなへの想いをDVDに込めて・・・。基本的にkanekoは「クラス」というのは部活動とは違い、「目標」を共有しているのではなく「時間」を共有していると思ってます。何気ない言葉や雰囲気が「クラスの色」として出てくる。「部活動」も大事。でも、学校行事とかは「クラス」として取り組んできています。だからこそ、その「仲間」と共有した時間をもう一度感じて欲しい。それがどれだけ意味のあることだったのかを再確認して欲しい。DVDの中には「ここで逢えたことは偶然ではない。時間を共有するために出会うべくして出会ったんだ。」という言葉を入れました。世の中には「偶然」っていうのはほとんどないと思ってます。このこともblogには何度か書き込んだことがあると思います。出会いや別れ、結果には必然性があるんですよ。そのことを理解して欲しかった。この場所で高校生活最後の1年間を共に過ごしたことに対する「意味」を考えて欲しかった。

 最後に生徒には2つだけ「言葉」を贈りました。

「一生懸命に生きろ」
 これは入学式の日にも話しました。「一生懸命だと知恵が出る 中途半端だと愚痴が出る いい加減だと言い訳が出る」。このことはそれぞれの取り組みを見事に言い当てていると思います。何かを学ぶためには「一生懸命」にやっていくしかないんですよ。やるべき事をとにかく「一生懸命」にやらなければ、環境のせいにしたり他の人のせいにしたりしてしまい「成長」はありません。だからこそ何かをやるときには「一生懸命」になる必要がある。
 「一生懸命」になることで自分の長所が見えてくる。得意な部分、苦手な部分が見えてくる。その長所が「自分らしさ」なんだよ。kanekoのは「やると決めたら一生懸命やりとげる」っていうのが自分らしさ。でも、苦手な部分だってある。雰囲気を作ることができるが、実は細かいところが苦手だったりする。実はそこは副担任がサポートしてくれる。明るい雰囲気を作るのが得意な人だっているし、きっちりと計画的に物事を進めていくのが得意な人だっている。それぞれが「自分らしさ」を出していくことでやっていけるんだよ。自分の周りには「仲間」がいる。「一生懸命」取り組んでいたらきっとその「仲間」が「自分らしさ」を出して助けてくれる。それでいいんだよ。全て自分1人でやり続ける必要はない。
 「一生懸命」に生きてください。

「死なないで」
 死なないでください。生きていれさえすればまたみんなで会うことができる。kanekoより先に死なないで。親より先に死なないで。最近、命について考えることがあって、強くそう思った。みんなは多くの可能性を秘めている。まだやるべきことはたくさんあるんだ。だからまだ死んではいけない。これまで18年間生きてきた。でも、それは「生かされていた」んだよ。1人ではここまで成長はできなかっただろう。それは保護者のみんなに対する想いがあったから生きてこれたんだ。その人達に感謝の気持ちを持つと同時に、恩返しをしていかないといけない。だから生きて多くのことを返していかないといけない。
 車の免許を取得して軽い気持ちで運転していて事故に巻き込まれ命を落としてしまう。全てのことに慎重になって欲しい。それが保護者に対する恩返しになる。
 これから先、生きてみんなは保護者にしてもらったことを自分の子供達に返していかないといけない。もらったものは返していかないと。生きてください。
 生きていれば必ず会うことができる。2年後、10年後にまたいつかクラスのメンバーで会えたらいいね。「別々の道を歩いていく」ことになるが、この1年間でできた「仲間」って人生の中で最後の「クラス」の「仲間」なんだ。だからまた会おう。生きてください。死なないでください。そうすればまた会えるから。

 この2つだけを贈りました。あまり多くのことを言っても心に残らなければ意味がない。忘れて欲しくないこと、それだけを伝えました。

 DVDにkanekoのメッセージを込め、最後は自分の言葉で気持ちを伝える。それがこの子達に残ってくれたらと思う。DVDなんて1年後に見ても今日ほど涙は流せない。「高校生活最後の日」だからこそ、記憶に残る時間を与えてあげたかった。みんなの記憶に残るのであれば作ったDVDの意味はある。この1時間のために作ったみたいなものです。kanekoにとってやはり「クラス」は特別なんですよ。クラスマッチや文化祭で頑張ってこれたのもきっとこの子達のおかげ。いつのまにか「誰かのために頑張る」ってことがkanekoだけでなく子供達にもできるようになった。それが嬉しい。

 3年間かかってkanekoも子供達も成長してきました。共有した時間があるからこそkanekoの「贈る言葉」が届いたはず。みんな本当に良い顔をして巣立っていきました。この子達から学んだことは多い。感謝です。またいつかみんなで会えたらいいね。その日を心から待ってます。それぞれが頑張れ!
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生きることの意味

2006-03-01 | Weblog
 3年生と学校で会うのもあと2日です。うーん、感慨深いものがあります。個人個人とは街でばったり会ったりするかもしれませんが、119人の生徒と一度に会うことは間違いなくないでしょう。そう思うとやはり寂しいですね・・・。生徒会の子もそれをサポートしてくれた子もすごくいい子ばかりでした。正確に言うと今もいい子なので「いい子ばかりです」のほうがよいのかも知れませんが。

 久々に部活の選手と会う。もう1ヶ月以上も会っていないような気分。自分たちで体を動かしているのだろうか?まー動かしていなければ結局自分に返ってくるだけですからね。身をもって体験しなければわからないかもしれません。ある選手に身体動かしているのか?と聞くと「間違った数×10回の腹筋背筋をしています」とのこと。ん?お前、だんだんできるようになったら負荷が軽くなるんじゃないの?あえて負荷を軽くしないために間違えている?それも問題。そんな意味のわからないところで罰ゲームやらなくていいから、しっかりと補強してください。

 DVDですが、諦めました。もちろん作成をではなくDVDit君を使うのを諦めました。まったく意味のわからないところでエラーが出るし、「AVIファイルをMPEG2に書き出します」と説明文があったから安心していたら、「ファイルサイズが大きすぎて書き出せません」と言い出す。おいおい、書き出して軽くしてくれるんじゃないの?こいつのいいところは簡単にメニュー画面が作成できる(ある程度のセンスのものが作れる)ことなんですが、なんせ書き込めないので話になりません。ということで別のオーサリングソフトを使用してメニュー画面を作成。やはりちょと見劣りする・・・。背に腹は代えられないということで「妥協」。まーこれしか選択肢がなかったというのが正確な言い方なんですが。16時に初めてDVDに焼きこみができる・・・。長かった・・・。

 今日は本当は悲しいことがあったんですよ。「人の命」について「なんて儚いんだ」と強く感じた。kanekoが野球部の部長だったときの卒業生がこの世を去りました。このblogに書くべきことではないのかもしれません。ご指摘があれば削除しても構わないので・・・。いつも「部長、部長」って話しかけてくれてすごく笑顔が素敵な子でした。卒業して自分の力で自分の夢をつかんで、夢が現実になるのがすぐ目の前だったのに・・・。あと1ヶ月もすればりっぱな消防士になっていたでしょう。その子の保護者にはうちの娘がいつもかわいがってもらえすごく親しくさせてもらってました。なんだかやり切れません。

 生あるものには必ず死は訪れます。そのときまでに自分自身何をするかなんですよ。29歳の若造がどうこう言えるレベルではないのはわかってます。でも、kanekoは後悔はしたくないんですよ。「今」しかできないことに一生懸命になってやっていくことでしか「自分自身の生きる意味」って見出せないんですよ。さまざまな生き方があるのは分かってる。「死」があるからこそ「生」の価値があり、限られた時間の中で何をしていくのかを考える。「死」を認識できないものは結局与えられた「生」の意味を認識できない。それが最近のkanekoの想いです。だからこそ、毎日の練習や生活を大事にしていかないといけない。周りのものに感謝していかないといけない。その想いが「生」の意味を高めるんですよ。

 それにしても神様はひどすぎる。多くの人から愛され親しまれた人物がこんなに早くこの世を去らなければいけなかったのか?努力してつかんだ夢を目の前で奪いさてしまうのか?言葉に言い表せないもどかしさがkanekoの中を渦巻いています。
自分の教え子や子供の「死」に直面するのはキツイ・・・。多くの可能性を持っていて、これから自分の力を発揮しようとしている人間なのに・・・。

 みなさんも一瞬一瞬を一生懸命生きてください。何がおきるかわかりません。kanekoにだって「死」はいつ訪れるのか誰にもわかりません。だったら、生きている「今」をもっともっと大事にしていくしかないんですよ。えらそうなことを書いているかもしれませんがお許しを。2日前はその話を聞きショックを受け、今日はその「死」を目の当たりにしてさまざまな思いがkanekoのなかにあります。

 うまく言い表すことはできない。言葉って一定の意味しか表すことができない。「悲しい」という言葉だって、そのレベルの感情なのかは誰にも分からない。それを表現する本人にしか分からない部分なんですよ。だからもどかしい。こうやって外に出すことでkanekoは気持ちの整理をつけているんだろうな。「人は悲しいくらい忘れていく生き物」です。忘れることができるから人間は生きていけると思います。でも、忘れたくない。心に刻んでいたい。だからこそ言葉にして文章にすることで自分のことを客観的にとらえ、そのことを忘れないようにしていってるんだと思う。

「人は死んでも誰かに覚えてもらうことで生き続けることができる」という言葉をどこかで聞いたことがあります。kanekoにできる彼への弔いは「忘れないこと」です。確かにこの世に存在したことをkanekoは決して忘れません。

 意味が分かりづらい文章になっているかもしれませんがお許しを。心からご冥福をお祈りします。
コメント (2)
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