kanekoの陸上日記

毎日更新予定の陸上日記です。陸上競技の指導で感じたことやkanekoが考えていることなどをひたすら書きます。

確かにそうだけどさ…

2007-03-12 | 考える
今日はもう一つ投稿します。

午前中は競技場内で「ペンタゴルフ(?)」というゲートボールらしきスポーツが「専用使用」の申請をしていたので使えず。選手は近くのグランドでタイヤ引き。これは仕方ないことです。

午後から練習チームが練習を開始しようと思った時にはすでにペンタゴルフも終わり、グランドは誰も使ってない。「使わせて下さい」とお願いに行くと「今日の使用申請の時間は午前中になっているから使えません」と言われる。うーん、時間が違っても誰も使ってないからそれほど大きな問題ではない気がしましたが(作業はグランドと全く違う場所でやっていたし…)、「管理所に時間変更のお願いをするので使わせて下さい」と頭を下げる。まーこのレベルの融通の無さはいつものことなので慣れましたが…。

管理所に電話して時間変更のお願いをすると、「今日は17時まで専用使用になっているので使用できません」と一蹴。

K:競技も終わり、誰も使っていない事を伝える
管理:「専用使用ですから、何かあったらこちらの責任問題になります。また、専用使用されている団体の責任にもなるのでダメです。」
K:何かあったらと言われても…。専用使用の時でも4時前くらい(普段学校が終わる時間)は使わせてもらえますよね?
管理:本当は使わせられないのですが、善意で使わせてあげているんですよ。何かあったら迷惑がかかるので基本的には使わせたくないんですよ。
K:怪我をさせないようにしますし、出来る限り迷惑がかからないようにしますが…。
管理:使わせてくれと言われる事事態が迷惑です。
K:そうですか…

というやり取りにより終了。

うーん、責任って…。捻挫をしたから競技場が悪いなんて話にはならないでしょ?誰も使っていない状態だから使わせて欲しいと言っているだけです。それほど難しい問題でしょうか?その後中学校も来ましたが、全く問題なく使える。なんだかよく理解できません。原則原理で割り切れないものだってあるはず。競技場は人が使って初めて価値が出るもの。誰も使っていないのに迷惑がかかるとは到底思えません。何を目指して競技場を管理するんだろうか…。

ここまできたら毎日朝から晩まで専用使用にして、他の団体が使えないようにしたほうがいいのですか?違うでしょ?互いに出来る限りの形で使っていけばいいだけではないですか?自分達だけ使わせてくれと言っているわけではない。他が使うときはもちろん譲るので使ってないときはある程度柔軟に対応してもいいんじゃないのか?

はぁ…。疲れますね…。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

人に「高校時代」を語れるか!?

2007-03-12 | 考える
 今日は商業側と商工側で授業終了時間が違う・・・。昨年から何度も憤りを感じていますが、なんとかならないものなのか!?別にうちが長くなっても構わない。できるだけ時間を同じにしないと練習は一緒にできません。3時間待って、そこから飯を食って練習で5時間無駄に待つのはさすがにできないので、別々に練習。人数が少ないうちのようなチームは別々になると散々な結果です。2~3人で練習しないといけないのだから・・・。それもあと少しの辛抱です。我ながらよく我慢したな。

 練習は・・・。微妙か。1年は色々なハンデを抱えているので現在60%位のレベルの練習しかできません。いつになったら100%になるだろうか?しばらく我慢するしかないでしょう。精神的にしんどい日が続きますが耐えるしかない。いつになったら回復するのか・・・。どれだけ力があってもそれを発揮できなければ意味がありません。どうすれば発揮できるようになるでしょうか?考えないといけませんね。

 2年は少し兆しがみえました。以前から取り組んでいる動きの修正が少しずつはまってきている感じですね。午前で練習したうち2名は午後も残って手伝い。1年生のドリルを見ながら動きを確認していました。「やっと」自覚が芽生えたようですね。遅すぎたかもしれませんが気づかないよりは何百倍もいい。「高校生活で一生懸命になれるもの」がやっと見つかったのかもしれません(大体こんな話をすると次の日に元に戻るので話半分にしておいてください)。「自分が必要とされる場所」がどこなのかを見極めないといけません。

 遊んで暮らしても高校3年間です。将来、「高校時代」を友達や恋人に話ができるでしょうか?自分の子どもに「高校時代は○○に一生懸命だった」と言えるでしょうか?「先生に練習をやらされた」なんて語る「青春」より、「自分たちでこうやって取り組んできた」と語れる「青春」のほうが輝くはず。カラオケに行って歌を歌って過ごす「青春」、ショッピングモールで友達と話をして過ごす「青春」、授業が終わって塾で夜遅くまで勉強をする「青春」。どれも「意味」があることこかもしれません。私自身にはない価値観なのでそれを大事だと思う人もいるかもしれない。でも、それで本当に自分の「高校時代」を語れるか?「記録が伸びないのは先生の教え方が悪いからだ」とか「部活をしないのは練習がきつすぎるからだ」とか、自分自身に目を向けず周囲に責任を転嫁してはいないか?その中で何を得る?意味があるか?

 結果は全て「自分自身」のものです。他の誰のものでもありません。それをもう一度考えて欲しい。随分、成長の跡が伺えます。誰のために練習をするのか?何度も言ってきたことです。勝ち負けではない大事なものをしっかりと見つけたいですね。「兆し」を見つけたので少し安心。さてどうなることか・・・。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする