なんだか分かりませんが、正規の労働時間以外(朝と放課後、土日祝日)に100時間以上働いたら医者と面談しろという話になりました。何なんでしょうか…。あまりにもバカらしくて話を聞く気にもなりませんでした。批判ととられるかもしれませんが…。
一月の時間外労働が100時間を越すと健康を害する危険性があるそうです。精神的にも良くないので100時間を越す者は医者と面談をして対応策を考えていきましょうとの事です。時間外労働を減らすとか残業代を出すとかではなく、形式的に「面談をする」との事。何を目指しているのかって話です。
分かりづらいかもしれませんが、放課後の部活や土日祝日の部活は全て「サービス」です。昼休みに生徒に対応するのも「サービス」。どう考えても「教育」というのは時間がかかるのです。それを今更何を言っているのか?形式的に時間を調べて何の意味があるのか?「時間外労働の申告は各自で判断して」みたいな感じですが、4時間時間外労働をしても0時間と申告しても構わないみたいです。さらに意味がわかりません。ならやらなくてもいいじゃないかという感じですが、「報告」は義務付けられているので絶対に時間を入力しなければいけません。
「保証問題にも関わるので…」と言っていました。長時間の労働により死に至った場合、「過労死」として公務災害に該当するかどうかの判断基準になるようです。100時間なんてあっという間です。毎日朝1時間、放課後3時間程度は部活に従事していますし、休みの日は5~6時間は部活に関わっています。わけの分からない事をやっていたら、「勤務時間が終わったら一切仕事はしない」という雰囲気になっていくと思います。ほとんどお金にはなりませんし、出るほうが多いですから。生徒のためを思って何かをやる事ができなくなるなる危険性があると思いますね。
その上給料は3%カットされています。自分達の生活がきちんと確立できなければ「教育」に力を注ぐ事はできないと考えています。別にお金が欲しいというわけではありませんが、わけのわからない作業を義務付けられるなら金銭面の保証をしろって話です。
「教育」に対して「情熱」を持っていたとしても、このような状態が続けば意欲も減退していくのではないでしょうか。その上、「部活中の指導において、発言に十分気をつけてください。保護者からの苦情がありますから。」とまで言われました。義務付けられた「時間外労働」においての「発言」まで言われるのか?私なんて選手と馬鹿話もしますし、冗談も言います。「言葉」だけをとらえられたら「問題発言」だと言われるかもしれません。
上の人のために働いているつもりは全くありません。全ては子供達のためです。「この人のためなら」と思える人物のためなら、どんな事があっても頑張れます。しかし、「形式的」な部分だけで関わっている人のためには頑張れません。なんだかんだ言っても一人の人間ですから…。
きっと近いうちに我々がblogを書くのも禁止になるのでしょうね。批判と捉えられるかもしれませんから。しかし、事実を述べているだけです。教員は優遇された職業ではありません。子供が好きでなければ絶対にできません。
「形式的」な事ばかりが増えていきます。楽しくはありませんね。
一月の時間外労働が100時間を越すと健康を害する危険性があるそうです。精神的にも良くないので100時間を越す者は医者と面談をして対応策を考えていきましょうとの事です。時間外労働を減らすとか残業代を出すとかではなく、形式的に「面談をする」との事。何を目指しているのかって話です。
分かりづらいかもしれませんが、放課後の部活や土日祝日の部活は全て「サービス」です。昼休みに生徒に対応するのも「サービス」。どう考えても「教育」というのは時間がかかるのです。それを今更何を言っているのか?形式的に時間を調べて何の意味があるのか?「時間外労働の申告は各自で判断して」みたいな感じですが、4時間時間外労働をしても0時間と申告しても構わないみたいです。さらに意味がわかりません。ならやらなくてもいいじゃないかという感じですが、「報告」は義務付けられているので絶対に時間を入力しなければいけません。
「保証問題にも関わるので…」と言っていました。長時間の労働により死に至った場合、「過労死」として公務災害に該当するかどうかの判断基準になるようです。100時間なんてあっという間です。毎日朝1時間、放課後3時間程度は部活に従事していますし、休みの日は5~6時間は部活に関わっています。わけの分からない事をやっていたら、「勤務時間が終わったら一切仕事はしない」という雰囲気になっていくと思います。ほとんどお金にはなりませんし、出るほうが多いですから。生徒のためを思って何かをやる事ができなくなるなる危険性があると思いますね。
その上給料は3%カットされています。自分達の生活がきちんと確立できなければ「教育」に力を注ぐ事はできないと考えています。別にお金が欲しいというわけではありませんが、わけのわからない作業を義務付けられるなら金銭面の保証をしろって話です。
「教育」に対して「情熱」を持っていたとしても、このような状態が続けば意欲も減退していくのではないでしょうか。その上、「部活中の指導において、発言に十分気をつけてください。保護者からの苦情がありますから。」とまで言われました。義務付けられた「時間外労働」においての「発言」まで言われるのか?私なんて選手と馬鹿話もしますし、冗談も言います。「言葉」だけをとらえられたら「問題発言」だと言われるかもしれません。
上の人のために働いているつもりは全くありません。全ては子供達のためです。「この人のためなら」と思える人物のためなら、どんな事があっても頑張れます。しかし、「形式的」な部分だけで関わっている人のためには頑張れません。なんだかんだ言っても一人の人間ですから…。
きっと近いうちに我々がblogを書くのも禁止になるのでしょうね。批判と捉えられるかもしれませんから。しかし、事実を述べているだけです。教員は優遇された職業ではありません。子供が好きでなければ絶対にできません。
「形式的」な事ばかりが増えていきます。楽しくはありませんね。