kanekoの陸上日記

毎日更新予定の陸上日記です。陸上競技の指導で感じたことやkanekoが考えていることなどをひたすら書きます。

県総体~100m~

2013-06-04 | 陸上競技
4継での失敗、かなり衝撃的でした。私自身、頭が真っ白になっていました。しかし、ここで私が冷静さを失ってしまったら全てが終わってしまいます。選手達は自分を責めてしまいます。繰り返しになりますが選手に責任はありません。私の責任です。気持ちを切り替えさせないといけません。この状態で高校生が気持ちを切り替える事ができるか?難しいと思います。それでも自分のやる事に集中をさせなければいけません。

2走を走った選手は全てを自分の責任だと感じています。ここを簡単に立ち直らせることはできません。100mの招集時間に間に合わなくなります。側に行って少しだけですが話しをしました。ここで落ち込んでいて先に進めないようであれば戦うということはできません。4継の決勝からですが気持ちを切り替えさせないといけない。厳しいようですが「現実を受け止めろ」という話をしました。今考えてもどうにもならないことです。今やらないといけないことは泣き続ける事ではなく前を向くことです。先日も話をしていますがどうにもならない、変えられない過去を悔やむ事で何かを生み出すことはありません。簡単ではないですが前を見ないといけないのです。そこの話をしっかりして立ち上がらせて招集に向かわせました。辛かったと思います。


100mの予選が終わって待機場所に行くとやはりキャプテンが泣き崩れていました。たまたま卒業生が来てくれていて話をしてくれていました。こういう部分では信頼できる卒業生の存在は大きいですね。しかし、キャプテンをこのままにしておくわけにはいきません。チームの精神的な柱となっています。その中心選手が他の選手の前で感情的になっているというのは今後の全てのレースに影響を及ぼします。

個別に呼んで話をしました。誰よりも辛いと思います。個人種目を捨ててでもリレーに賭けるという想いが誰よりもありました。中国大会へと進む唯一の道を閉ざされたのですから簡単に気持ちを切り替えることはできません。しかし、この子だから分かってくれると思い話をしました。今は中国へと進める可能性のある選手のためにサポートしなければいけません。精神的な柱がしっかりしてくれないとチームは崩れてしまうのです。この1年間、キャプテンとして多くのことを伝えて来ました。その力が本当に試されるのはこういうチームが苦しい状況に置かれた時です。その後はすぐに他の選手のために動き始めました。こちらが伝えたきた事がきちんと力になっていました。悔しさや辛さを全て抑え込んで気丈に振る舞う姿は立派だったと思います。

100mの準決勝前、大きなエースが「他のメンバーに何と声をかけて良いのか分からない」と涙を流していました。昨年のことが蘇ったのでしょう。ここも「自分の事だけに集中をしなさい」と伝えました。これで自分の力を出せなかったら本当に何も残りません。失敗を力に変える事ができるかどうかが大切なのです。「できる事は力を出し切って勝つこと」だと話しました。それ以外にないと思います。

小さなエースはやはり気持ち的に引きずっていました。準決勝はベスト更新はしましたがこちらが考えているスピードとは大きな隔たりがありました。ここの切り替えはかなり難しいと思います。メインは200だと考えていましたし、この100mまでの短い時間で全てを切り替えるのは難しい。ここに関してはあとで必ず話をしなければいけないと考えていました。大きなエースは12秒41のベスト更新。気持ちが入っていました。

力があるのはわかっていますが昨年は県新人で大きな失敗をして5位となり中国新人に進めませんでした。3年生を相手にどれだけ自分の力を出し切れるかです。スタートは少し遅れたかもしれませんがそれほど大きな差はありませんでした。この時点で「勝てる」と思いました。根拠はありませんがこのレースに関しては行けると思っていました。中盤から圧倒的なスピードで前を走る選手を抜き去り12秒30の大幅ベストで優勝。持ち味を最大限に生かしたレースだったと思います。

4継の失敗を取り戻す事は絶対にできません。だからと言ってそれ以後の種目が全てダメになってしまうというのは良い事ではありません。その流れを完全に断ち切る優勝だと思います。流れは戻ってきていると確信しました。私自身も切り替えないといけないのです。選手の前で私が動揺を見せると選手はもっと動揺します。だからどんな事があっても大会中は私は気丈であり続けなければいけない。キャプテンに求める以上にです。ここができなければ指導者として許されないと思います。

選手の前では何とか保てましたが、ホテルではまったくと言って良いほど寝れませんでした。申し訳ない気持ちで一杯でした。また何とかして次の日の200mで小さなエースを中国に進めたいと考えると頭の中にあれこれ浮かんできて寝付けませんでした。

この辺りの事はかなり思う事があります。長くのなるので記事を変えます。しばらくお付き合いください。お許しを。
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県総体~女子4継~

2013-06-04 | 陸上競技
県総体、女子の4継はチームの中心に置いていました。ここで何とか48秒台を出してインターハイ路線に進みたいと。1年前1年生に頼らなければいけない状況でリレーを組みました。練習時間が不足していて結果的にバトンミス。早出から大幅減速で0.01秒差で7位となり中国大会に進めませんでした。何年も続いていた「中国大会にリレーで出場」というのが途切れてしまったのです。その日から1年後の県総体でのリベンジを考えてそこだけを目指してやってきました。基本的に走順を固定。これで勝負と。

新年度になり新1年生を3走に置くことにしました。通常であれば一番難しい3走を1年生に走らせるというのはないと思います。3年生を3走に使うという考えももちろんあったのですが走力的な差がありメンバーを変えました。1・2走は固定。これは1年間一切変えることなくやってきました。練習でも失敗することはありません。冬期練習の間も安定してバトンを渡すことができていました。3-4走が走力差があるため少し不安がありました。県選手権ではこの区間でリレーゾーンに入る前にバトンが渡り失格。バトン練習が不足しているためその後の練習は更にバトンに意識をおいたものに変更しました。

大会当日、予選で49秒5、準決勝で49秒4とまずまずの記録で決勝へ。県総体の目標であった48秒台に入るというのが現実を帯びてきたと感じていました。2日目の決勝、朝の練習でもバトンはきちんと渡っていました。調子的にかなり良さそうだったので足長をどうするか考えようかと思っていましたが本人たちが「大丈夫」だと感じていたので変更なし。

決勝、小雨が降る中で行われました。レースは6レーン。普段から練習から6レーンで行っていました。ここは問題なし。1走が内側から多少追いつかれましたが外側のチームを詰めて走って来ました。1走から2走へ。私は役員の仕事でこの区間にいました。出のタイミングはばっちり。問題なしです。後ろから見ていたのですが大丈夫だと感じていました。が、手に渡りません。次のアクションでも渡りません。2度バトンが滑ってしまいそのままオーバーゾーン・・・。受け入れられない現実が目の前にありました。本人たちはその場にしゃがみ込んで立ち上がれません。私も愕然としました。他の選手も同様だったと思います。「普通に」つなげば中国間違いない状況。それでもバトンが渡りませんでした。受け入れがたい現実ですがそれを受け入れないといけない。

2走は泣き崩れていました。もちろん1走も。この区間で失敗をする姿を実は1度も見たことがありません。練習でも大会でもこれまでやってきたバトンの中で失敗する姿はありませんでした。本人も私も「大丈夫」と考えていました。ここに指導者としての「過信」があったのだと思います。後で師匠に「バトンミスは指導者の責任」だと言われました。まさにその通りです。選手には責任はありません。私自身がもっとシビアに考えておかなければいけなかった。様々な状況を想定した練習をしていました。しかし、「詰まった時」のことを想定しての練習は行っていません。また、雨の時に対応も不十分でした。今回手には渡っていました。それが2走が取る前に滑って外れてしまうという状況でした。甘かった。ここの部分も考えておかなければいけないのです。選手は本当に一生懸命に走ってくれました。失敗の全責任は顧問である私。選手は一切悪くありません。

1走はキャプテンでした。私は「信頼」しています。入学当初は15秒くらいの選手でしたが練習をする中で力を付けて昨年から1走。自分でも「個人では戦えない」と感じていた部分があり「リレーにすべてをかける」と公言していました。その選手に最も辛い思いをさせてしまった。本当に申し訳ない気持ちでした。これは言葉にはできません。泣き崩れる姿をみて私も涙が溢れました。キャプテンが泣いていてそれを卒業生が来てくれて慰めてくれていました。ありがたいことです。しかし、その隣には2走の選手も。これは良いことではありません。チームの精神的な「柱」であるキャプテンがこの部分で崩れていたら今後のチームのレース、全てが崩れてしまいます。

個別に呼んで話をしました。辛いことだと思います。この時点でキャプテンの中国大会への道は完全に閉ざされました。最大目標でやってきた4継で中国に進めない。それもバトンパスでのミス。自分のところでという責任を感じる部分もあったでしょう。それでも「キャプテン」としてここで崩れていたらチームは立ち上がれません。辛いのを我慢してでも、自分を押し殺してでもやらなければいけないことがあるのです。すごく過酷な要求をしています。それでも立ち上がらないといけない。キャプテンとしての「役割」です。

辛い要求をしています。それは分かっています。それでも「可能性がある」選手が戦うためには「柱」が必要です。ここに関してはまた別に書きたいことがあります。うちの小さなエースの2走を「生かす」ためにここでキャプテンが下を向いていたらいけないのです。2走は間違いなく自分を責めてしまいます。そこを支えられるのはキャプテンであり1年間一緒にバトンをやってきたこの子しかいないのです。精神的に辛いことがあります。そこを乗り越えられるかどうか。感情を押し殺すという大人でもできないことを高校生に要求する。過酷ですね。それでもこのキャプテンだからできると信じて話をしました。それからは涙を見せずに切り替えてくれていました。

ここまで全てをかけていたといっても過言ではない「4継」でのミス。これがチームにとって大きな起爆剤となります。これに関してはまた書きます。私はこの日の夜、自分の「力不足」が情けなくて一睡もできませんでした。こんなに悔やむのであればもっとできることがあたはず。一生懸命にやってきた選手の「想い」を結果に出せなかったというのは指導者として情けない限りです。選手や保護者に謝っても謝りきれないくらいの感情があります。本当に申し訳ないと思います。
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県総体

2013-06-04 | 陸上競技
県総体が終わりました。この日を迎えるまでに色々なことをしてきましたがあっという間に3日が過ぎていきました。時間をかけてやってきたことが数日で終わってしまう。そのためにどれだけの「努力」と「我慢」をしているか。考えるとすごく感情がこみ上げてきますね。ここに書くというのを迷う部分がありますが、気持ち的なことを何回かに分けて書き記しておきたいと思います。しばらく続くと思いますがお付き合いいただければと思います。

初日、インターハイを狙っている種目の一つである男子幅跳びが行われました。この大会からある部署の主任となっていたので競技展開をみることがほとんどできていませんでした。先週の練習ではかなり良い感じだったのでまずは中国にいって勝負できればと考えていました。3回目の跳躍を終えた時点で6m50ということでした。記録的に物足りない部分はありましたがまずは中国確定だと思っていました。が、他の場所で役員をしながらベスト8の紹介を見ると7番手。正直驚きました。雨の中での競技でしたからそれほど記録が上がらないと考えていました。

役員の関係で遠くで見ておくことしかできない・・・。4跳めファール。さすがに慌てて選手のところに行きました。助走位置を下げること、合わせに行かないことを指示。しかし、結局記録を伸ばすことができませんでした。一番狙っていたところで7位。本当に申し訳ないと思います。跳躍系が分からない部分があり様々な先生方にアドバイスをいただきながらやってきました。私自身がもっともっと勉強してこの選手に細かく対応ができていたら全く違う結果になっていたと思います。選手は本当に良くやってくれていました。言葉にできません。

中国に行けないことが決まり選手は動くことができない感じでした。しかし、すぐに4継の準決勝があります。心を鬼にして「気持ちを切り替えて4継に向かわないと」と話をしました。簡単に切り替えることができないというのは分かっています。しかし、うちの男子のエースですからこの選手が動いてくれないとチームは進みません。しんどいのは分かっていてもやってもらうしかないのです。

跳躍を遠くから見ているときに4継を走る1年生が2人スタンドにいるのが目に入っていました。これから4継を走らないといけないにも関わらずアップに行っていなかった。「応援していた」とのこと。私自身「分かっているだろう」という過信がありました。3年生2人、1年生2人で4継を組んでいました。3年生2人は個人種目に出場しているのでその場にはいません。女子がアップに行っているので大丈夫と思っていたのですが「1年生」という部分をもっと考えておかなければいけませんでした。

アップに行くのは召集開始時間10分くらい前。数本走らせようと思って室内練習場に行きました。もう1本走るように指示をすると「お腹いっぱいで走れない」と・・・。30分くらい前に食事をお腹いっぱい食べたようでした。ここももっともっと細かく言っておかなければいけなかったのかもしれません。これまで競技をやっていたので「食事」は頭にあるだろうと考えていました。つくづく自分の「甘さ」が情けなくなりました。この4継でしっかりと勝負ができたらとやっていました。力的には昨年と同様かそれ以上だと思っていたので。もっともっと私が詳細に行動の流れを話しておかなければいけなかったと思います。

結果的に4継は予選より大きく記録を落とし準決勝落ち。先には進めませんでした。これにより跳躍選手は100mで6位以内に入らないと中国大会に進めないという厳しい状況に置かれました。

翌日の100m。本人の表情はいつも以上に硬いものがありました。当然です。インターハイを目指してやってきたのに中国大会への切符をつかめるかどうかの状況に置かれているのです。予選はスタートで大きく出遅れました。過剰に緊張してる感じがあったので「自分の走りをするように」と話して落ち着かせました。なんとか決勝に残ることができて勝負。これまでで最高レベルの100m決勝だったと思います。10秒台が5人・・・。うちの選手はガチガチになりながらも11秒11で中国に進むことができました。

本来の走りとは程遠い走りでもなんとか中国に進めた。本人も安どの表情でした。もっともっと走れると思います。幅跳びのことは切り替えていかなければいけない。難しいことですが。勝負できる可能性がある種目があるのです。そこでどう戦うかというのかが大事です。この選手が納得の走りができるように私はサポートしていきたいとおもいます。幅跳びの悔しさは言葉にできない大きさだと思います。それだけ思い入れの強い種目でしたから。「ダメだった」ことをどれだけ考えても先には進めない。やり直しはできないのです。それならできることをやる。それが全てだと思います。

この大会でもう一つ大きく自分の「力のなさ」を痛感したことがあります。これはまた別に書きます。
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