kanekoの陸上日記

毎日更新予定の陸上日記です。陸上競技の指導で感じたことやkanekoが考えていることなどをひたすら書きます。

年月は流れる

2013-06-19 | 陸上競技
よく分かりませんがうちの学校は卒業生がよく来てくれます。陸上部の選手もクラスの生徒もです。私に会いに来ているのかどうかは不明ですが嬉しい事です(笑)。

先日卒業生が来て中国大会の話をしていました。同じ職場で3人働いているのでこの時期になると話しになるそうです。早いものでこの子達がいた時から3ねんの年月が過ぎています。しかし、昨日の事のように覚えていますね。それほど大きな衝撃だった。忘れようがありません。

私にとっても大きな事ですがこの子達にとって一生忘れられない大きなできごとだと思います。今日、アクセス数の多い記事を見た時に数年前の中国大会が上位に来ていました。このBlogを見たり、練習日誌を見る事で当時の想いが蘇るのだと思います。この子達が見たのかどうかは分かりませんが(笑)。

中国大会に行けて良かったと思うレベルならここまでの想いにはならないはずです。もちろん選手によっては中国大会に進む事が最大目標という選手もいるでしょう。しかし、総体から中国大会までの間に目標を上方修正できるかどうかです。数年前は中国に行くのは当たり前という雰囲気でしたから全員が通過点という感じです捉えていました。自然にチームは強くなります。進むだけではなく戦うのが当然という雰囲気です。

そんな中で真剣に競技をやっていたからこそ、この時期になると思い出すのだと思います。高校時代の大半の時間を陸上に費やしていました。そういう姿を一番近くで見る事ができたというのは指導者しとして本当に幸せな時間だったと思います。

本当に月日は流れてしまいました。当時はマイルが全てというチームの雰囲気でしたし、選手もマイルで戦う事だけを考えてやっていました。当時は400mに出場するための競争が激しく61秒台ではレースに出場することもできませんでした。逆に100mは出る選手がいなくて枠が余るという感じ。200mはマイルがあるから出ないという状態でした。しかし、今は100mと200mがメイン。戦うのは4継。選手もそのつもりでいます。雰囲気も大きく変わってしまいました。

今は今の流れがある。選手もその時々によって違う。年月は流れているのです。しかし、根底には同じものがあって欲しい。戦いたいという気持ちを忘れてしまったらうちの良さは無くなってしまいます。年月は流れても共通する部分は持ち続けてもらいたいと思います。

今年も中国大会を迎えます。全国への切符を手にするためにずっとやって来ました。戦うためにできる事をしっかりやりたいと思います。見えない想いを背負って戦っていきたい。

書きたい事がたくさんあるのですが、この手の事を上手くまとめることができません。書いていたら想いが大きくなるので長くなってしまいます。戦うのは選手。それだけは変わりません。戦います。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

練習日誌について

2013-06-19 | 陸上競技
このblogで何度か書いています。練習日誌について思うことがあるので書きます。

この練習日誌、私が顧問になったときからずっと続けています。選手に自分自身の内面と向き合わせるためです。私がこのblogを書いているのは自分自身の行動の振り返りや心の動きを記録しておくという意味合いがあります。これを書くことで「その日の自分自身の考え」や「感じたこと」「課題」が見えてくると思っています。これを書くことで次の自分のステップになりますし、行動の振り返りができます。その日だけではなく1年前の日誌を見直すことで当時の自分の取り組みや行動を把握することができ、自分自身の成長を感じることができるのです。

この日誌、「やったことだけを書く」という選手がいます。「120mを走った」「よく走れた」「スタートが上手くいかなかった」という事実の羅列をする。これはこれで「日記」としての意味があるかもしれません。やったことを書いておくだけ。これでは「心」の変化は絶対に生まれません。ここができない選手は選手としての伸びが止まります。

理由は明白。日誌を書けと言われているからとりあえず書くという姿勢だからです。こういう姿勢の選手は練習をやれと言われているからやるだけ。自分から強くなろうという姿勢にはなりません。これは主観ではなく「事実」です。自分への振り返りができない選手は日誌も練習も「自分のため」という考えがもてませんから。つながっている部分です。

1年生の最初の頃は日誌がまともに書けません。「疲れたけど頑張って走った」くらいのレベルです。練習がきつかったけど強くなりたいから練習をしたと書くような選手が大変です。そのようなことは「当然」の話であり、その中でどのようなことを感じ、何を考えたのかというのが大事なのです。本当に選手が強くなるときというのは日誌の内容が大きく変わります。文章の量も飛躍的に増えます。自分自身の考え方、取り組み方を見直していたら長くなるのだと思います。保護者から「朝早起きして書いています(笑)」と言われたこともありますが、そういう一生懸命に取り組む姿を保護者に見せる機会にもなっているかもしれません。

ある部活動の選手が日誌を朝学校で書いている姿を見かけます。これはほとんど意味はないと思います。上述の「書けと言われたから書く」レベルです。本当に大事なのは日誌を書きながら自分と向き合うこと。思いついたことを適当に書いてノートを埋めるのは「書くだけ」でしかない。書きながら自分の内面と向き合わなければこの日誌には意味がないのです。

以前、どう見ても日誌を適当に書いている選手がいました。殴り書きで朝部室で書きましたというのが見て取れるレベル。それでも「自分はやっています」という主張はする。これまできちんと書いている選手を見ていますからそれくらいのことはすぐに分かります。「家で補強をするように」「体重管理をするように」「チームとしての取り組みを考えるように」と繰り返し言い続けてきましたが伝わりません。結局最後まで伝わらずチームから離れていきました。「自分はやりたいが先生がやらせてくれない」という言葉が最後の言葉でした。悪いのは全て私という感じで終わりました。

物事は全てつながっていると考えています。こういう考え方をする選手は絶対に競技力が上がりません。日誌を書くという行為だけではなくこうい内面の部分もわかります。だから日誌を使いながら「心」の成長を促すのです。それができないようではやはり「やるだけの練習」で終わりです。きつい練習では手を抜くというタイプの選手に多いですね。

また、言われたことだけを書くという選手も厳しい。こちらが言ったことをとりあえず書く。自分の行動に落とし込んで考えることができず、言われたからこれはダメなのだと書く。それでノートは埋め尽くされます。しかし、次も同じコトをする。また同じように注意を受けた内容を書く。その繰り返しです。「心」の変化がないのです。変わらなければいけないと書くが本当はどのようにすればいいのか全く分かっていない。「変わらなければいけない」と書いて私の目に届くことで「自分は分かっている」という内容を私に示そうとする。本当は分かっていないのです。言われたことを書いておけばひとまず大丈夫という感じの内容なのだと思います。これも読んでいたら分かります。伝わりません。

今の選手、日誌の内容がちょっと・・・。このことに関して月曜の練習開始前に話しました。具体的に例を挙げて話をしました。これが伝わって日誌の中に「心」の動きや感情の変化が生まれる部分が入れば変わってきます。ここを大きく期待したいと思っています。

携帯でblogを見ると「よく読まれている記事」というのが表示されます。見てみると数年前の中国大会の記事が上位にありました。この時期になると卒業生が当時のことを思い出して見るのかもしれません。このこともまた書きたいですね。

また書きます。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする