blogを書くという話の中で「ネタ」があるかないか。毎日のことを書こうと思ったらそれなりに書くことがあります。が、他の人にとってはどうでもいいことだったりする場合が多いのでわざわざ書く必要はないのかなという気はします。ここに書くことで批判を受ける可能性が高くなる。他者の目につくというのはそういうことだと思っています。それなら最初から書くなという話ですが。
昨日のyahooニュースに気になる記事がありました。芸能人が沖縄に行って浜辺で小さな「サンゴ」を拾ったというのをSNSで公開したらファンが「それは違法では」ということで指摘されたという内容でした。それに対して芸能人が謝罪をしたというもの。あまり深く考えたことはなかったですが実際にこれはダメなようですね。秋吉台で石を拾って帰ることも厳密にいうとダメ。この理由は様々あるようですが普通の生活をしていたら「砂浜で貝殻を拾う」のと大差ない感覚だと思っています。もしそのことが「違法」というのであれば各所に「ここで拾ったものは持って帰ってはいけない」という情報を提示し周知徹底させる必要があるでしょうね。
ニュースでは中国漁船のサンゴの密漁を取り上げています。今回の芸能人のSNSでの公表はこの「サンゴの密漁」と重なる部分があるのでしょう。公にしたことにより他者の目につき「それは許されないことだ」という批判の目にさらされる。実は多くの人が小さな違法行為はしているのかもしれません。それを公表したことで「なんなんだ」と言われる。売買目的で生きているサンゴを持っていくことと砂浜に落ちていた死んでいるサンゴを持っていくこと。厳密に区別するのは難しいのかもしれません。海の中から取ったのか落ちていたのかを線引きするのは不可能だからです。見ていたわけではないし。
時代が進み誰もが情報を発信できるようになってきました。私がblogを始めた10年近く前はそれほど多くの人がこのような形で情報発信をすることは少なかった。12年くらい前はCGIという「掲示板」形式の日記を書いていました。これもクラスの生徒や部活の選手に対して感じたことを書いているだけの話。クラスのwebページを作りパスワードをかけて写真などの公開もしていました。比較的閉鎖された空間の中でのコミュニケーションでした。それがweb logが注目され気が付けば「blog」となる。HTMLの知識が一切なくても誰でも簡単に情報を公開できるようになりました。
このころは「プロフ」というものが高校生の中で流行っていて「リアル」という名前の日記を高校生も書いていた。このことはなんとなく批判的にとらえていました。「○○が好き」「××がむかつく」「彼氏が云々」というものを書いている。ネット上に公開されているものですから一生残ります。そこの部分を10年後に見たらどう感じるか。高校生の安易な考えで何かをするというのは後々弊害が生じるのではないかと考えていました。私自身が書いた内容を見直すと同じことが言えるのかもしれませんが・・・。
それが今はLINEやFacebookとなる。何かあればスクリーンショットで投稿を保存される。簡単にできるからこそ思慮に欠ける行為があれば批判される危険性があるのです。今の高校生のほとんどはTwitterで毎日の出来事を呟く。それを誰かに見てもらってリツイートされると喜ぶ。内容が云々ではなくそこの反応があることが嬉しいのだと思います。私自身、かなり前にTwitterをやっていました。ここまで流行る前です。が、気が付けばフォローやフォロワーが増え見るのが大変になってきたので一切やめる。なんとなくです。
そもそも、このblog何のためにやっているのか?結局は自己満足です。LINEやFacebookと大差ありません。誰かに見てもらって反応があることを喜んでいる部分があるのかもしれません。自分の中では「頭の中の整理」という言い方をしていますがひょっとしたら「誰かに認められたい」という承認欲求が顕在化しているだけなのかも。自分は違うと思っていても実際は同様。誰かから「毎日blogを書いてすごいですね」と言われたいのかもしれません。自分自身はそのようなつもりはありませんが客観的に見るとそのような部分が残ります。ここは自省しないといけないですね。
今の仕事、自分が評価されるためにやる気はありません。だからと言って「個」としての意見を持たないということはない。自分自身がなんのために生きているのかを見直していきたいと考えています。こういうことを公の場で書く。これがどの部分で他者に見られているのかはわかりません。「自分の頭のなかを整理する」ために書いているつもりです。それは自分だけであって本当は違うのかもしれません。
自分自身を把握することの難しさ・・・。どうなんでしょうね・・・。
昨日のyahooニュースに気になる記事がありました。芸能人が沖縄に行って浜辺で小さな「サンゴ」を拾ったというのをSNSで公開したらファンが「それは違法では」ということで指摘されたという内容でした。それに対して芸能人が謝罪をしたというもの。あまり深く考えたことはなかったですが実際にこれはダメなようですね。秋吉台で石を拾って帰ることも厳密にいうとダメ。この理由は様々あるようですが普通の生活をしていたら「砂浜で貝殻を拾う」のと大差ない感覚だと思っています。もしそのことが「違法」というのであれば各所に「ここで拾ったものは持って帰ってはいけない」という情報を提示し周知徹底させる必要があるでしょうね。
ニュースでは中国漁船のサンゴの密漁を取り上げています。今回の芸能人のSNSでの公表はこの「サンゴの密漁」と重なる部分があるのでしょう。公にしたことにより他者の目につき「それは許されないことだ」という批判の目にさらされる。実は多くの人が小さな違法行為はしているのかもしれません。それを公表したことで「なんなんだ」と言われる。売買目的で生きているサンゴを持っていくことと砂浜に落ちていた死んでいるサンゴを持っていくこと。厳密に区別するのは難しいのかもしれません。海の中から取ったのか落ちていたのかを線引きするのは不可能だからです。見ていたわけではないし。
時代が進み誰もが情報を発信できるようになってきました。私がblogを始めた10年近く前はそれほど多くの人がこのような形で情報発信をすることは少なかった。12年くらい前はCGIという「掲示板」形式の日記を書いていました。これもクラスの生徒や部活の選手に対して感じたことを書いているだけの話。クラスのwebページを作りパスワードをかけて写真などの公開もしていました。比較的閉鎖された空間の中でのコミュニケーションでした。それがweb logが注目され気が付けば「blog」となる。HTMLの知識が一切なくても誰でも簡単に情報を公開できるようになりました。
このころは「プロフ」というものが高校生の中で流行っていて「リアル」という名前の日記を高校生も書いていた。このことはなんとなく批判的にとらえていました。「○○が好き」「××がむかつく」「彼氏が云々」というものを書いている。ネット上に公開されているものですから一生残ります。そこの部分を10年後に見たらどう感じるか。高校生の安易な考えで何かをするというのは後々弊害が生じるのではないかと考えていました。私自身が書いた内容を見直すと同じことが言えるのかもしれませんが・・・。
それが今はLINEやFacebookとなる。何かあればスクリーンショットで投稿を保存される。簡単にできるからこそ思慮に欠ける行為があれば批判される危険性があるのです。今の高校生のほとんどはTwitterで毎日の出来事を呟く。それを誰かに見てもらってリツイートされると喜ぶ。内容が云々ではなくそこの反応があることが嬉しいのだと思います。私自身、かなり前にTwitterをやっていました。ここまで流行る前です。が、気が付けばフォローやフォロワーが増え見るのが大変になってきたので一切やめる。なんとなくです。
そもそも、このblog何のためにやっているのか?結局は自己満足です。LINEやFacebookと大差ありません。誰かに見てもらって反応があることを喜んでいる部分があるのかもしれません。自分の中では「頭の中の整理」という言い方をしていますがひょっとしたら「誰かに認められたい」という承認欲求が顕在化しているだけなのかも。自分は違うと思っていても実際は同様。誰かから「毎日blogを書いてすごいですね」と言われたいのかもしれません。自分自身はそのようなつもりはありませんが客観的に見るとそのような部分が残ります。ここは自省しないといけないですね。
今の仕事、自分が評価されるためにやる気はありません。だからと言って「個」としての意見を持たないということはない。自分自身がなんのために生きているのかを見直していきたいと考えています。こういうことを公の場で書く。これがどの部分で他者に見られているのかはわかりません。「自分の頭のなかを整理する」ために書いているつもりです。それは自分だけであって本当は違うのかもしれません。
自分自身を把握することの難しさ・・・。どうなんでしょうね・・・。