kanekoの陸上日記

毎日更新予定の陸上日記です。陸上競技の指導で感じたことやkanekoが考えていることなどをひたすら書きます。

考える

2014-11-14 | 陸上競技
火曜日の練習、ちょっと考えさせられました。前日の練習で気になるところがあったのですがそこは個別に指摘。記録会まで残された時間は限られています。1本1本を大事にしなければいけない。そのことは日ごろから言っているつもりでした。試合の前の1本も試合から離れている日の1本も同じ。大切ではない日はないのです。そのことがきちんと分からなければ勝負云々ではなくなる。ここをどう感じ取れるかだと思っています。

前日、大会の結果が微妙だったこともあり数人はテンションが低い。声も出ません。このような状況で本当に勝負できるのか。悪かったらそこで終わりでは駄目。気持ちを切り替えて次を向かない限りは戦えないのです。普段から注意を受けたらそれを引きずってしまい声が出なくなることが多々あります。注意を受けたという事実とその後の練習が同じ状況で進めることになると雰囲気も悪くなります。そのことを繰り返し言っていましたがなかなか改善されません。大会の結果を受け止め次に何をするかをきちんと考えなければいけないのです。高校生には難しい部分かもしれません。しかし、それをやらなければ1週間でどうこうできるレベルではありません。

週末は文化祭。その翌日に記録会です。あれこれ制約を受ける中でやっていかなければいけないのですから1本1本を大切にするということが当然のように求められます。頭髪服装検査も文化祭までに実施しなければいけないということでしたから練習開始時間が遅くなります。火曜日のバトン練習は周囲が暗くなってからになりました。見えにくいのはあります。しかし、それは誰もが同じこと。見えにくいということは出遅れてしまう可能性がある。バトンが詰まってしまった時の対応を考える機会になります。物事はマイナスばかりにとらえるのではなくそれをどう利用するかという視点で考える。それにより様々な部分でプラスになります。

あろうことかこの最後の1本でバトンを落としました。かける言葉もありません。上述のように見えにくいのは当然です。完全に詰まりました。それでもバトンを渡す者がバトンを離さなければ落ちません。詰まった時に焦るからミスが生まれるのです。これまでも何度も何度もこのような場面でミスをしています。バトンを落とすということではなく焦って冷静な判断ができなくなるという部分です。同時に受け取る側も出遅れがひどかった。前日に「声が出ない」と指摘していた選手です。こういう状態ですから「起きるべくして起きるミス」だと判断しました。「一事が万事」です。ミスというのは「たまたま起きる」のではない。その前の段階からその予兆があり「起きるべくして起きる」のです。今回のことは確実のその部分です。

落とした後、「もう1本走らせて欲しい」と申し出がありましたが却下。やる必要はありません。次上手くいったとしてそこに何の意味が生まれるのか?「上手くいかなかったらやり直せばよい」という考え方が結果このようなミスを生むのです。様々な場面で焦って自分のやるべきことを見失う、リーダーとして全体の前に立ち雰囲気を作らなければいけない者がそれができず自分のことだけになる。このような状況でもう一本行ったところで何も生み出しません。4継の練習はほとんどできない中でのミス。これが結果的にどのようなことになるのか。

集中していなかったとは言いません。それなりにきちんとやっていましたから。しかし、今回は「起きるべきしておきたミス」だと判断しました。そこまでの過程が悪すぎる。今回の記録会は1走を変えて出場します。記録が出るかどうかは別にして、きちんとバトンが渡らないという状況だけは避けなければいけません。県新人前にもこの手のミスが何度もありました。結果、失格。練習で100回中100回上手くいっても試合でミスをする可能性があります。練習で100回やって50回程度しかできないようなことが試合で上手くいく確率はどれくらいでしょうか?かなりの確率でミスをすると思います。それが分かり切っていてこの状況を打破できない。練習する意味はないと思います。

その2名は「練習終了」にしました。やっても仕方ないので帰るように指示。この指示は聞かずに歩きながらバトンをやっていましたが・・・。この段階でバトンウォークをやって本当に意味があるのか?落ちた原因はそこなのか?本当の意味が分からないまま何をやっても意味がない。「バトンが落ちたから練習ができない」と思っているようでしたから何をやっても意味はないだろうなという感じを受けました。先が見えません。競技を続ける意味も見えないくらいの取り組みだと私は思いました。力があるから試合に出る。私はそう思いません。これは他者から批判されるかもしれませんね。「指導者のエゴ」だと。それでもここにどのような意味があるのか。それが伝わらない限り次も同じようなことをしますし、一番大切な場面で取り返しのつかないことが生まれます。県新人のように・・・。

最初からミスをすることが分かっている、上手くいかないだろうなというのが分かっている状況で『一生懸命にやりなさい』という方が酷ではないでしょうか?中途半端に取り組んで上手くいかないのであれば思い切って練習をしない、他の選択肢を選び別の道を進む。これも視野に入れるべきだと思います。「やりたいからやる」だけで本当にいいのか?ここは今の私の大きな課題です。

怒る部分ではありません。上手く表現できませんが。
コメント
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