kanekoの陸上日記

毎日更新予定の陸上日記です。陸上競技の指導で感じたことやkanekoが考えていることなどをひたすら書きます。

離任式5

2015-04-12 | 陸上競技
続き。

アルバムをもらいました。この時にミスチルのtomorrow never knowsが流れ始めました。ちょうど20年前の曲。私が新しく赴任した高校にいた時に流行った曲です。

その歌詞に合わせて1ページずつクラスの思い出が貼り付けてありました。曲を聴きながらページをめくっていく。涙が止まりませんでした。一日でどれだけ泣くのか?私のために限られた時間でここまでやってくれる娘達のエネルギーは本当にすごい。8日に学校が始まってから授業と並行してこれを作ってくれたと思うと涙が止まりませんでした。

更に後半にはクラスのみんなの一人ずつの写真とひとことメッセージが。「私達が卒業した時に先生にはアルバムがないから作った!」とのこと。何から何までです。とにかく良い生徒に恵まれたと思います。これだけのことをしてくれる生徒が周りにいてくれること、本当に感謝しかありません。



最後にもう一度感謝の気持ちを述べました。またこれから一年間のことも。担任の先生と副担任の先生を大切にして欲しい。一番近くでみんなのことを見守ってくれる。私が心から信頼を置ける二人です。その二人を困らせたり、謝らせるようなことがあったら絶対に許さない。そんなことがあったら私と過ごした2年間は本当に意味のないものになってしまう。

これから一年間、全ての行事が「高校最後」になる。その行事一つ一つをバカみたいに一生懸命にやる。文化祭は販売も教室展示も生徒会活動もある。何か一つを理由にして手を抜いたら面白くなくなる。これ以上はできないというくらい必死になってみんなで協力してバカみたいに盛り上がる。それしかない。わたしがいたから出来たのではない。素晴らしい仲間がいるから出来るのです。それを証明してもらいたい。

卒業式の日に「この学校で過ごせてよかった」と全力です涙してもらいたい。それが私の願い。クールになるのではなく熱くバカになる。それから得るものは大きい。

他になにを話したか記憶がありません。大好きな娘達と共有してきた時間と空間は宝物です。

もらった手紙の中に写真が入っていました。



忘れられるはずがありません。大好きな大好きなこの子達を忘れることができるなら、他のことは全て忘れてしまいます。こころに刻まれている大切な存在です。この子達に出逢えたこと、心から感謝したい。私のクラスの生徒になってくれてありがとう。私のような人間について来てくれてありがとう。時間と空間を共有してくれてありがとう。

言葉と想いは付きません。下を向いていても何も始まらない。苦しい時こそテンションを上げて前を見る。これを生徒に言ってきたので私が実行しないわけにはいきません。一緒に過ごす時間は大きく減ってしまうけど、共有できるものはあると信じています。時間ができたら一緒にまたバカなことをしたいですね。成人式に来て欲しいと言われたので検討しておきます。それまでに何度か会えたらいいなと思います。

長くなりました。書いても書いても尽きません。それだけの想いがあります。ひとまず今の気持ちを記しておきます。いつか振り返った時に感情を思い出せるように。幸せをありがとう。







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離任式4

2015-04-12 | 陸上競技
続き。

名前を呼んで立ってもらったので私からみんなにポストカードを手渡そうと思いました。これは転勤をする前の数日間で書いたものです。贈り物として何がふさわしいか分かりませんでした。その子に合った言葉が書いてあるポストカードを雑貨屋を何件も回って探しました。なかなか当てはまるものがない。ネットで注文していたらもっと楽だったのかもしれませんが、一人一人を想いながらポストカードを探すという時間も私にとって大切な時間です。メッセージを書くのに時間はかかりませんでした。こちらが思うことをそのまま書いただけです。

で、一人一人渡そうと思ったら娘達から「ちょっと待って!」とのこと。クラスの娘達が全員私のために手紙を書いているのでそれをわたしに手渡しして、一言話したいと。うーん、この時点で号泣。主導権は私が握っていると思っていたのですが完全にみんなに移動していました。総合実践の日誌を書かないといけないにも関わらず私のために時間を作って書いてくれる。本当に幸せです。

全員から手紙をもらいました。どれくらいの時間がかかったか分かりません。前に出てきて手紙を渡す時に涙で声にならない子がたくさんいました。その姿をずっと見続ける。嗚咽で声にならず泣き続けている。時間が無いからもう良いよなんてことは言えませんし、言いたくありません。多大な迷惑をかける可能性はあるなですが大好きなこの子達の姿を目に焼き付けておきたいという私自身のワガママです。

娘達は一人ずつ出てきて涙を流してくれました。が、私はそれが38回続きました。泣きすぎてもう何が何だかわからない状態。これだけのことをしてもらえること、本当に感謝したい。幸せで幸せでたまりません。

最後の一人は先ほど離任式の壇上で私に花束をくれた子。またも号泣。もうダメですね。人生の中出てこれだけ泣いたことはないかもしれません。泣き続けて頭がクラクラしていました(笑)。良いオッさんが高校生の前で泣き続けるというのは絵的にどうなんでしょうね。そしてこの子達にとって良かったのかどうかも分かりません。



ひと段落してお別れもしたのでこれで、という気持ちになりました。が、ここからまた新たに別のことが。

娘達が私のために花束を準備してくれていました。さらに色々なものも。

まずはメダル。


13年間勤務したことに対する表彰だということです。

あとはコップ。私がコーヒーを飲むのでこのコップで飲むようにとのこと。



更には袋入りのもの。これは後で開けてみると赤色のバックでした。私が赤が好きだというのを知っていてそれを選んでくれたのだとおもいます。



そして手前にあるのが「アルバム」でした。

これはまた別に。
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離任式3

2015-04-12 | 陸上競技
うーん、どれだけ書いたら終わるでしょうか。終わりが見えてこない。

これは間違いなく話したと思うので書いておきます。以前、一緒に働いておられた同僚が亡くなられました。現役で亡くなられた。本当に良い方だったのでショックで涙が止まりませんでした。葬儀に参列した際、本当に多くの方がお別れのために集まっていました。卒業生、高校生、数え切れないほどの人数がいました。この時、ある方が「最後を迎えた時にその人がどんな人だったのかがわかる」と言われていました。本当に慕われていたからこれだけ多くの人がお別れのために参列する。強制されるわけではなく自らの意志で集まってくれる。

転勤が決まってから、朝いつも通りに大先輩と話をしていました。その時に「昨日の夜、卒業生が私のためにアルバムを作って来てくれたんですよ」と何気なく話しました。すると「学校を去る時にその人間の評価がわかる」「あんたが生徒から慕われていた証拠だ」と言ってもらいました。もちろん、泣く(笑)。そんなつもりは全くなかったのに子供達が私のことを評価してくれていたんだと思うと本当に嬉しかった。

クラスの娘達が私のためにお別れ会を開いてくれる。それだけで私は幸せだと思います。やって欲しいという気持ちはありません。それでもこうやってお別れを告げる場所を作ってもらえる。本当に本当にありがたい。わたしの存在がこの娘達に何かしらの意味があったのだと思う。形に残らないかもしれないけど何かが残る。それが私達の仕事の本当の意味なんだと感じています。「出逢ってくれてありがとう」という言葉を何度言ったかは分かりません。飾るつもりはなく本心からの言葉でした。

ある程度話して「呼名をさせてもらいたい」と伝えました。卒業式の日にそんな話をしていたのです。1年後のに卒業式の日にみんなの名前を呼びたい、と。実際それは実現できませんでした。でも、私の中でみんなの名前を呼びたいという気持ちがありました。普段の生活の中でフルネームを呼んで返事をするなんてこたはありません。最後の最後だからできること。わたしは卒業式の日に娘達の名前を呼ぶ資格は与えられませんでした。片想いだと思いますが、私は名前を呼んで返事をしてもらうことで「自分の中での区切り」をつけたいと考えていました。もちろん、そんなに簡単にできることではないのですが何かしらの踏ん切りをつける場面が必要になると。

娘達に自分の名前を紙に書いてもらいました。私が娘達の顔を見ながら名前を呼ぶ。たったそれだけのことですが、私にとって本当に本当にありがとう大切な時間です。出席番号順に書いてねと話したのに途中から適当になる。いや、きちんとやろうよーと言う話でまた笑顔になる。この娘達に涙は似合わないなと改めて思いました。いつも笑顔でいて欲しい。心からそう思いました。私の存在がこの子達に笑顔を与えてあげることはできなくなります。それでも「想い」を胸に前に進む。その最後の機会です。

一人一人名前を呼んで立ってもらいました。顔を見ながら名前を呼ぶのはこれで最後です。入学式の時にも私がこの子達の名前を呼びました。あの時は顔も名前も一致しない。それでもこの日は顔も名前もそれぞれの性格もそれぞれとの思い出も全て私の中に入っている。同じ名前を呼ぶという行為であっても全く違います。名前を呼びながら涙が止まりませんでした。それでも最後まで呼ぶ。娘達もそれにきちんと応えてくれる。こんな幸せな時間があるでしょうか。

また長くなってますね。記事を変えます。
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離任式2

2015-04-12 | 陸上競技
続き。

これから先のことは記憶が曖昧です。若干事実とは異なるかもしれません。お許しを。とにかく涙が止まらなくて私自身何を話したのか思い出せない部分があります。本当に情けない話です。

クラスの生徒に教室に呼び出されました。展開的にこうなるんだろうなとは感じていました。まーきちんと別れを告げずに終わるわけにはいかないなという責任は感じていました。何度も何度も書いていますが、実際に別れを告げるという現実を避けたかったのです。クラスの生徒を目の前にしてきちんと報告をしないといけない。避けては通れない道ですがやはりしんどい。

クラスに入った瞬間、生徒達が修学旅行でディズニーランドに行った時に購入したかぶり物を付けてきました。カチューシャやぬいぐるみを頭に付けています。かなり気持ち的に重かったのですが少し気が楽になりました。またも生徒に気を使わせてしまいました。最後の最後まで情けない担任姿を見せています。



緊張していた気持ちが一気に楽になりました。涙を流さないとみんなの顔が見れないだろうなと思っていたのに「何やってんだよ~」という感じで笑ってしまいました。やはりすごく良い子達です。毎回のことですが本当にクラスの生徒に恵まれています。私のようなちっぽけな人間を慕ってくれる子供達がいる。それがすごくありがたい。

きちんと覚えていないのですが、みんなに私の気持ちを伝えました。半年前、転勤を意識させられる出来事がありました。通常そんなに早くは決まらないのですが、転勤を前提にという空気がありました。それを感じ取った時、精神的に参っていました。「別れ」を意識する。すごく良い子ばかり。その子達と別れなければいけない。大好きな子供達。距離感が近くなりすぎるといずれ来るかもしれない「別れ」の時に「辛さ」を感じる。それなら思い切って距離を置くほうがいいのではないか?と真剣に考えたことがあります。情けない話ですが。普通の先生というのが私には分かりません。当たり障りないような生活をする。それが無難な仕事なのかもしれません。

別れを意識した時、私はしばらくどうしていいのか分かりませんでした。もちろん、一緒に卒業式を迎える事だけを考えていました。が、もし実現できなかったらという不安。どうなるか分からないことに対してすごい不安を感じていました。そんな時、卒業した子から連絡があってあれこれ話しているうちに当時のことを少し打ち明けました。別れを意識してしまったから距離感を近づけることができない気がする、と。この子、本当に良い子でこれまでも本音で連絡をしていました。そう打ち明けた時本気で怒られました。「そんなの先生じゃない」と。「いつも目の前の生徒と真剣に向き合ってバカやって涙流してやっているから先生なんじゃないか」と。距離を置いてしまったら一生後悔する。別れを迎えることを考えるのではなくて、一緒に過ごす時間を大切にしないとダメだって言われました。

情けないことですが、教え子に自分の弱さを指摘されてしまいました。本当に生徒のことを思うなら正面から向き合え!私たちにしてくれたことを何で今の子にはしないのか?と厳しく言われました。まさにその通り。分かっているのにそれができない自分がいた。そこを分からなければいけなかったのです。いや、分かっていたのに自分で勝手に壁を使っていた。スーッと頭の中がクリアになりました。

そして次の日、何気ない話をクラスのホームルームで行う。すると、生徒が「久しぶりに先生がバカな話をしてくれた」と喜んでいる。本当に情けないことです。目の前の子供達に気を使わせていたのです。それすら気付けなかった私の愚かさを悔いました。目の前の事に一生懸命にならないといけない。それを言ってきた自分が生徒にそれができていなかった。卒業生、クラスの生徒から改めて教わりました。

卒業生達にはずっと言い続けてきたこと。LINEの文章をそのまま借りて書いておきます。

「先生がクラスマッチと文化祭の時に他人から見て馬鹿と思われるくらいやれ。って何回も言ってくれたやん。あれがね、ずっと心の中にあるんよ。実際、G3で馬鹿みたいにトトロ頑張って、馬鹿みたいにCM大賞こだわって、馬鹿みたいにバスケの朝練までして昼休みも練習してクラスマッチ、G3にはスポーツはどう頑張っても無理。って言われてたのに、優勝したやん。もうね、あの経験がめっちゃ大っきい。どれも馬鹿みたいに頑張ったから出来たことやん。あの頃のG3の頑張りとか努力して出した「結果」とかが、卒業した今もずっとね、後ろから押してくれちょる。だから、今だって、他人から馬鹿かって思われるくらい朝早くから学校行って勉強してみたりしとる。結果は絶対出るって信じとる。だってG3の時は結果出たもんね!だからきっと今回も!って思える!それだけで頑張れる!高校生の頃の経験ってこんなに大きいんやね!!あの頃、馬鹿みたいにやっとって本当良かった!馬鹿やったけど!徹夜して風邪引いて声でんくなるくらいやるのは馬鹿やったけど!でもそこまでやった昔の自分が今の自分押してくれとるし、それをやってみろって教えてくれた先生の言葉が背中を押してくれとる」

私は特別な存在ではない。普通のオッさんです。それでも少なからず目の前の生徒に伝えられることがある。そこを忘れたらダメなんだって思えた。そこからとにかくクラスの生徒と一緒にできることを全て楽しんだ。それは生徒のため?いや、私自身が幸せを与えてもらっているのだと感じながらやっていました。誰かを楽しませるためではない。私自身がこの子達と楽しみたいのだ。

だからバカみたいに文化祭でたこ焼き買ってきてバカみたいに販売した。他のことが何もできないくらい、朝から晩まで揚げタコ売り続けて完売。みんなヘトヘトなんだけどすごく良い表情をしていた。バカみたいに新聞紙切ってバカみたいにデカいタコ作って、クラスを水族館にした。全身ノリまみれになりながら、風船ふくらましたりエビ作ったりした。バカみたいに生徒と一緒にはしゃいだり、修学旅行に行ってみんなと時間と空間を共有した。この子達が笑顔になるためならなんでもやろうと決めて過ごしてきた。周りから見たら「バカなんじゃない?」って言われるかもしれない。誰かに迷惑をかけているわけではない。許される範囲の中で最大限のバカをやってきた。

それを私は誇りに思う。この子達だからそれができた。大好きなクラスの子達と一緒だからこんなに一生懸命にできた。そう思っています。

ここまでの話はできませんでした、したかもしれませんが記憶にはありません。

うーん、長すぎるので記事を変えます。
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離任式

2015-04-12 | 陸上競技
金曜日、離任式でした。正直なところ、離任式には出たくないという気持ちがありました(笑)。本当にお別れをしなければいけないというのを直面することになるからです。いや、これは難しいところなんですよ。やはりクラスの生徒には直接「別れの言葉」を伝えないといけないという気持ちはあります。しかし、目の当たりにすると本当にそのことが伝えられるだろうか?先に感情が出てしまってそのことが言葉にできないのではないかもいう気持ちがありました。だからと言って避けて通れる話ではないんですけどね。

午前中は勤務、午後から離任式のために前任校に戻るという形でした。本当に10日しか経っていないのに何だか別の学校という気がしました。これは私の感覚です。すでにお客さんという感覚。当然なんですけどね。一抹の寂しさを感じながらこれが現実なんだなと突きつけられました。この学校でこれから先働くことはないんだという事実。ある意味これで私自身冷静に考えることができるようになった気がします。

最初は生徒全体の前で挨拶をすることに。以前からこういう場面で話をしても「kaneko」という人間を分かってもらえない状態でどれだけ話をしても意味がないんじゃないかと考えていました。冷たいかもしれませんが。それでもクラスの生徒が「先生の話を周りにしてほしい」という要望がありました。うーん、すごく嫌なんだけど(笑)。離任式に相応しい話ってなんだろうか?考えたけど分かりません。

新しい学校での出来事を話しました。ペットボトルの自販機があった。私の好きな炭酸水が販売していたので赴任した初日の朝購入しようとしたらいいお金が落ちてくる。その日の昼にチャレンジしたらまた買えない。更に夕方買おうと思ったらまた買えない(笑)。これを3日間繰り返したのでひょっとしたら受け入れてもらえないのではないか??と不安になりました(笑)。そこで他の先生に相談したら「私も買えなかったよ!大丈夫!」と笑顔で話してもらいました。更には勤務初日、下駄箱の名札が何度も落ちていました。これはしばらく続く。毎回毎回入れ直していたのですが毎回おちている。またも受け入れてもらえないのではないか?という気持ちになって入れ直していると他の先生がセロハンテープを持ってきてくれて一緒に止めてくれました。ありがたい。

なんの話かわからないですよね?!(笑)。実際、私が何かをするときというのはあらゆる場面で他の方々に助けられているのです。多くの方々に支えられて今の自分がいる。相談したら話を聞いてくれる方がいる。困っていたら手を差し伸べてくださる方がいる。前任校でも同様だったのです。朝早くから私の話を聞いて相談に乗ってくださる先生、クラス運営を支えてくださる副担任の方々、更には私が陸上競技に取り組むうえで一番近くでアドバイスをくださり、叱咤激励してくださった先生。離れたことでそのありがたさを改めて感じました。今が当たり前ではない。普段は気づかないかもしれないけど、ふとした瞬間に気づくのです。感謝しかありません。気づかないことが多いのです。一緒に働いてくださった多くの方々に感謝です。

こんな雑談のような話が前半。後で怒られるかもしれないなと思いながらいつもの調子で話をしました。

もう一つは「目の前のことを全力でやる」という話。好きな言葉に「一生懸命だと知恵が出る 中途半端だと愚痴が出る いい加減だと言い訳が出る」というのがあります。目の前のことに対して全力で一生懸命に取り組んでいたら「どうすればうまくいくだろうか?」と考えるようになり、あれこれ方法が見えてくる。そして助けてくれる人も出てくる。中途半端にやっていたら「なんでこんなことやらないといけないんだ」とか「面倒だからやりたくない」というような愚痴が出てくる。適当にやっていたら上手くいかない理由を自分以外に求める。「◯◯があったから上手くいかない」とか「◯◯さんが手伝ってくれないからこんなことになる」というように自分の責任を果たさずに他のもののせいにする。だから上手くいかない。

高校生活は限られた時間しかない。だからこそ、目の前のことを一生懸命にやった方がいい。文句を言うのではなく言い訳をするのではなく一生懸命にやる方が良い。全力でやるから楽しいのです。そして卒業する日に「この学校を卒業して本当に良かった」と感じてほしい。なんとなく過ごしてなんとなく卒業するのではなく、やるだけの事をやって大切な時間を過ごしてほしい。

難しい話をしてもなかなか伝わらないと思います。限りなくシンプルな話しが良いかなと思ったので。漠然と全生徒を見ながら話しました。一人の顔を見るのではなくぼんやり顔を見ながら話しました。最初はこの場面で泣いてしまって話ができなくなるのではないかと思っていましたが、何とか無事に話せました。

「泣いてしまうのではないかと思ったけど、大丈夫だった(笑)」と話した後にクラスの生徒の方を見るとみんながこちらを見てくれていました。一人一人の顔を直視してしまいました。感情的になりそうだったのでその瞬間に「顔を見たら限界がきたので話しを終わります」と宣言して終了(笑)。危なかった(笑)

他の先生の話を聞きながら転勤するんだなーと思っていました。最後の花束贈呈、生徒会から花束を受け取ることに。体育館で泣かずに済むと安心していたらクラスの生徒が私の所に花束を持ってきました。んー、と思っていた瞬間、泣きながら「先生(T ^ T)」と言われ速攻で撃沈。このタイミングで来るか?という感じでした。お互いに何を話しているか分からないくらいの状態。花束だけ受け取って降壇。うーん、涙が止まりませんでした。

ここからが生きていてよかったなと心から思う出来事がありました。あまりにも長くなるので記事を変えます。
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