思うことを少し。
前の記事にも書いていますが「練習量が多い」かどうかは正直わかりません。他のチームの練習を毎日見ているわけではありませんし、その練習の中身を理解して判断しているわけでもない。そうなると自分のところの練習量が「多い」か「少ない」のかは分からないのです。以前のチームと比べて少なくなっていると自分自身は感じます。が、ひょっとしたら「走る量」は減っているかもしれないですが「それ以外」の練習は増えているかもしれない。判断が非常に難しくなります。すべてが自分自身の感覚でしかない。
これはある大学での話です。冬季練習で「今日はトータルで2000m以上走る」というメニューがありました。この話を聞いて大きな疑問を感じました。「距離を走る」ことが大事なのか。ゆっくりとしたテンポ走で200mを10本走ればそれも2000mです。が、60m程度の全力練習で2000m走ろうと思えば33本走らないといけない。これは「地獄」のようなきつさだと思います(笑)。実際に33本走ったらヘロヘロになってしまうでしょう。先日「150m+120m+60m」をやりましたがこれなら6セットやることになります。無理ですね(笑)。
トータルで走る距離が重要なのかどうか。ここは考え方だと思います。最近は時々長い距離を走ってみることも必要かなと感じてはいます。100m選手であってもマイルがきちんと走れるようになるというのもいるのかなと。こういう部分は感覚でしかないのですが、200mでも勝負したいと思えばかなりの「スピード持続」が必要になります。そのためには250mなどのスピード持続系の練習も必要なのではないかと。もちろんテンポ走ではなく全力ですが。250mを走ることに意味があるのではなく「狙いとする部分」がどこにあるのかだと思っています。
比べるものの基準が異なればそこの比較は意味がないと思います。比較するもの自体が全く別物なのにそこの内容を比べても仕方ない。ここの部分は分かりにくいかもしれませんが。何となくやっているのであればそれは問題ないと思いますが「狙い」があるのであればそれに見合う練習をするしかない。「狙い」が明確でないモノと比較したところで出てくる答えは価値のないものになってしまいます。
過去の記録との比較。今到達したいのはそこの部分かもしれません。過去数年間の記録との比較をしても意味がないかもしれません。が、最低レベルの目標にはなります。例えば女子の4継でインターハイを賭けた勝負をしようと思えば最低でも「48秒5」が必要になります。これ以下の記録で中国地区を勝ち上がるというのは不可能に近くなる。だとすればまずは自分たちの力を「48秒5」までは上げないといけない。過去の記録との比較になりますがまずは「勝負できる可能性がある記録」と自分たちの今の記録を比較して足りない部分をどうするか考えていかなければいけないと思っています。
これは比較というよりは「基準値」を明確にするという意味合いが強いかもしれません。インターハイで予選を通過しようと思えば47秒2が必要になる。来年はもっと上がるかもしれない。それでも最低限のレベルまで達さないと戦う舞台に立つ可能性さえもなくなるのです。他のチームがどうだこうだと言っている場合ではない。相手が強いと嘆いているばかりで自分達が強くなるわけではない。相手がどうこうよりも自分達が強くなって戦える可能性を示さないといけないからです。他のチームと比較して「自分達の方が力がない」と愚痴っていても仕方ない。まずは必要な力まで自分達が上がっていく必要があるのです。
比較するというのは簡単かもしれません。「うちには選手が集まらないから」「あそこは選手が集まるから」という言葉。そういう部分があるかもしれません。私自身もそういう気持ちになることが何度もありました。しかし、その比較は実際のところ何も生み出しません。比べたところで何かを生み出すわけではないから。比べていたら寂しくなるだけだから。どうにならないことを比較するよりは「何とかできないか」という考え方でやっていく方が効果が高いと思っています。負けていることを嘆いても先には進めないからです。
うーん、何の話か分からなくなりました(笑)。比較する事の意味って何なんだろうと思ったところからスタートした記事ですがあちこち飛んでますかね。お許しください(笑)
前の記事にも書いていますが「練習量が多い」かどうかは正直わかりません。他のチームの練習を毎日見ているわけではありませんし、その練習の中身を理解して判断しているわけでもない。そうなると自分のところの練習量が「多い」か「少ない」のかは分からないのです。以前のチームと比べて少なくなっていると自分自身は感じます。が、ひょっとしたら「走る量」は減っているかもしれないですが「それ以外」の練習は増えているかもしれない。判断が非常に難しくなります。すべてが自分自身の感覚でしかない。
これはある大学での話です。冬季練習で「今日はトータルで2000m以上走る」というメニューがありました。この話を聞いて大きな疑問を感じました。「距離を走る」ことが大事なのか。ゆっくりとしたテンポ走で200mを10本走ればそれも2000mです。が、60m程度の全力練習で2000m走ろうと思えば33本走らないといけない。これは「地獄」のようなきつさだと思います(笑)。実際に33本走ったらヘロヘロになってしまうでしょう。先日「150m+120m+60m」をやりましたがこれなら6セットやることになります。無理ですね(笑)。
トータルで走る距離が重要なのかどうか。ここは考え方だと思います。最近は時々長い距離を走ってみることも必要かなと感じてはいます。100m選手であってもマイルがきちんと走れるようになるというのもいるのかなと。こういう部分は感覚でしかないのですが、200mでも勝負したいと思えばかなりの「スピード持続」が必要になります。そのためには250mなどのスピード持続系の練習も必要なのではないかと。もちろんテンポ走ではなく全力ですが。250mを走ることに意味があるのではなく「狙いとする部分」がどこにあるのかだと思っています。
比べるものの基準が異なればそこの比較は意味がないと思います。比較するもの自体が全く別物なのにそこの内容を比べても仕方ない。ここの部分は分かりにくいかもしれませんが。何となくやっているのであればそれは問題ないと思いますが「狙い」があるのであればそれに見合う練習をするしかない。「狙い」が明確でないモノと比較したところで出てくる答えは価値のないものになってしまいます。
過去の記録との比較。今到達したいのはそこの部分かもしれません。過去数年間の記録との比較をしても意味がないかもしれません。が、最低レベルの目標にはなります。例えば女子の4継でインターハイを賭けた勝負をしようと思えば最低でも「48秒5」が必要になります。これ以下の記録で中国地区を勝ち上がるというのは不可能に近くなる。だとすればまずは自分たちの力を「48秒5」までは上げないといけない。過去の記録との比較になりますがまずは「勝負できる可能性がある記録」と自分たちの今の記録を比較して足りない部分をどうするか考えていかなければいけないと思っています。
これは比較というよりは「基準値」を明確にするという意味合いが強いかもしれません。インターハイで予選を通過しようと思えば47秒2が必要になる。来年はもっと上がるかもしれない。それでも最低限のレベルまで達さないと戦う舞台に立つ可能性さえもなくなるのです。他のチームがどうだこうだと言っている場合ではない。相手が強いと嘆いているばかりで自分達が強くなるわけではない。相手がどうこうよりも自分達が強くなって戦える可能性を示さないといけないからです。他のチームと比較して「自分達の方が力がない」と愚痴っていても仕方ない。まずは必要な力まで自分達が上がっていく必要があるのです。
比較するというのは簡単かもしれません。「うちには選手が集まらないから」「あそこは選手が集まるから」という言葉。そういう部分があるかもしれません。私自身もそういう気持ちになることが何度もありました。しかし、その比較は実際のところ何も生み出しません。比べたところで何かを生み出すわけではないから。比べていたら寂しくなるだけだから。どうにならないことを比較するよりは「何とかできないか」という考え方でやっていく方が効果が高いと思っています。負けていることを嘆いても先には進めないからです。
うーん、何の話か分からなくなりました(笑)。比較する事の意味って何なんだろうと思ったところからスタートした記事ですがあちこち飛んでますかね。お許しください(笑)