kanekoの陸上日記

毎日更新予定の陸上日記です。陸上競技の指導で感じたことやkanekoが考えていることなどをひたすら書きます。

競技をする3

2016-09-10 | 陸上競技
もう少しだけ。

全てにおいて競技を最優先する。簡単なことではありません。最優先とはいかなくても競技を中心に物事を考えていくという姿勢は必要だと思っています。大会に参加することが目的であればそこまで求めません。が、「勝負をする」ことを目指すのであれば「競技にマイナスになること」は避けるべきだと考えています。そこまで管理するのか?!と言われるかもしれませんが本気で競技をやり始めたら「自然に競技優先」になると思っています。

前の記事にも書いていますが例えばスカートを短くする。さらには化粧をする。これは競技に必要かと言われたら全く不要だと思っています。人間のエネルギーは限られています。必要のないことに力を配分していたら本当にやるべきことはそこではないと思います。

これも以前の話。情けない話ですが選手が化粧をしてレースに出ていたことがあります。日焼け止めというレベルではなく。ピンクのリップを塗って出ていました。私は気づかず。レース直前に塗っていたのかもしれません。その様子を見て他校の先生に「あんたの所は勝ってはいけない」と苦言を呈されました。あのような姿でレースに出るような選手がいるチームは県を代表する資格はない。強いチームには責任がある。他チームの目標とされるにはふさわしくない、と。高校生です。純粋に競技に向かう必要があります。それが出来ていないというのは参加する資格さえもないと思っています。

この時は前年に文化祭があってから大きく揉めたのを覚えています。文化祭では周りが楽しくやっている。ギャルと言ったら言葉は悪いかもしれませんが、その日を楽しく過ごしている生徒達が多くいました。その中で自分達だけ競技をやっているというのに疑問を感じたのでしょう。文化祭終了後、部活を辞めると言い出しました。私はそれを受け入れました。一度気持ちが離れた者は大切な時に勝負にならないからです。その時もスカートを短くしていたりしていたので常に注意をしていましたが見ていないところではやっていたようです。更には部活が休みの日に無断でアルバイトをしていたと後日聞きました。一事が万事。

辞めたのですが様々な事情が重なって翌年3月に1人復帰。私としては受け入れにくい状況でしたが。結局はその選手が化粧をしてレースに出るという状況でした。心の底から後悔しました。一生懸命に頑張ってやっているチームもいる。その中で力があるからといって「他者に失礼な行為」をしているというのはやはり許されることではない。常にその話をしていましたが結局伝わっていなかったという事実。情けなくて涙が出ました。

高校生が学内で化粧をしたり制服を着崩す必要はいと思っています。そんなどうでもいい事で目立つのではなく本気でやれることで目立てはいいのです。目立つ事を考えるのではなく一生懸命にやっていたら自然に目につくのです。休日の日にどのような服装をしても個人の趣味の範囲です。遊びに行くなというつもりもありません。気分転換は必要です。もちろんやるべきことをきちんとやっているというのが前提になりますが。

それ以後はかなり厳しく言うようになりました。というか、そんな「どうでもいい事」を指導する必要がなくなったというのが本当のところでしょうか。競技に向けてやっていくというのであれば日常生活のことは「出来て当たり前」です。競技以外の指導をしている間は絶対に強くなりません。全てはつながっているという感覚を選手自身が持っていれば自然に強くなるのです。結果、中学時代の実績が全くない選手でも中国大会に進むようになりましたし、県総体で総合優勝もしました。それを選手達も理解していました。当時は他県の先生方からも「インターハイに行って欲しい」と声をかけてもらっていました。それくらいの選手達でした。

今はまだ幼い。チームとして未成熟です。それでも無限の可能性があります。男女共にこれまで私が指導してきた選手達よりも「潜在能力」があります。が、それは可能性の話であってそこを磨けるかどうかです。練習のコントロールに関しては現場で私が徹底しています。先日あまりにも目に余ったので激怒してそれぞれに考えさせました。が、これが「練習」に対してでしかないと思っている。それ以外のつながりがまだ分かっていない。自分達の可能性を自分達で気づいていないのです。もったいない。

どれだけ競技に真剣に向き合えるか。ここが出来るようになれば勉強面も変わってきます。練習は頑張る、勉強はやらないという選手は決して大成しません。競技だけではなく全ての面で全力で取り組まないといけない。そこの感覚が持てるかどうかです。

こうやって競技に対してあれこれ考えられるの話誰のおかげか。一番近くで見守ってくれている保護者の存在があるからです。やってもらって当たり前ではない。そこの感覚も自分の行動をコントロールすると大きな要因になると思っています。保護者に対する感謝の気持ちが持てない選手はやはり強くなりません。始めてインターハイに私を連れて行ってくれたRina。この子は練習が休みの日は必ず家にいて手伝いをしてたようです。友達と遊びに行った事がないから引退したら何をしたら良いのか分からないと話していました。普段自分のためにあれこれやってくれる保護者。時間があるときしか恩返しが出来ないので家の事を優先していたと。

感謝の気持ち。ありがとうの気持ち。自分一人で生きているわけではない。その気持ちを持ち続けていたら自分自身が変わっていくと思います。苦しい時も辛い時も自分一人ではないからです。見えないところで自分を支え見守ってくれてる保護者がいてくれるから練習ができる。そう考えたら競技以外のどうでも良い部分に目を向ける暇はなくなります。試合会場で保護者に自分達が活躍する姿を見てもらうためにはやるしかないのですから。

自分自身のためにやる。当然の事です。しかし、それだけではない。それ以外にもたくさんの事があるのです。そこを忘れてはいけない。食事、洗濯、生活に必要な費用、部活に必要な経費は全て保護者が負担してくれています。それなのに横柄な態度を取るようでは競技では成功しません。素直に向き合うのは競技に対してだけではなく周りにいる全ての人たちもです。その感覚を育てていきたいなと思います。

思う事をひたすら書きました。適切ではない部分があるかもしれません。まー適当に批判してください。思想信条ですから。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

競技をする2

2016-09-10 | 陸上競技
思う事の続きを。

私が部活の指導を始めた時、女子バスケの先生と何度も何度も話をする事がありました。当時私は何とかチームを作りたいと思ってやっていました。そんな時に言われた事があります。「お前自身に覚悟があるのか?」という言葉。当時の私の胸に突き刺さりました。

試合に出るためにチャランポランな選手を使ってでも出るのか。出る事が目標なのか。お前がそういう姿勢であれば選手も結局は「何をやってもkanekoは許してくれるから大丈夫」と判断する。どれだけ立派な話をしたとしても選手は「最後は許してくれるんだろう」という感覚になる。そうなるとチームとして何かをするというのは不可能。お前自身に覚悟がないのにチーム作りはできない、と。

その先生から言われた言葉。今でも残っています。どれだけ力のある選手であってもチーム内のルールが守れない選手がいればチームとして機能しなくなる。力があれば何をしても許されるという感覚であれば力がなく一生懸命にやっている選手はバカらしくてやる意味を感じなくなる。人数が足りなくなったとしても指導する側が「何が何でもやる」という「覚悟」を持っていなければ戦う集団にはならない。もちろん批判はされるでしょうし保護者からもクレームがつくかもしれません。それでも「やりたいチーム作り」をするためにはある程度の痛みを伴うのは当然だと思います。

私は「リレー中心にチーム作りをする」と公言しています。陸上競技は個人種目です。他の人は関係ないという感覚を持ちやすい。が、一人では何もできない。仲間と力をあわせて同じ目標に向かって進んでいくというのは大切な事だと思っています。が、「リレーが絶対」ではない。こちらの言っている事を理解せずにやるべき事をやらない選手がいるならリレーを組む必要はない。例え勝ちあがれるチャンスがあるとしても出場する資格はないと思っています。こちらもそれくらいの覚悟をもってやっています。

当時、バスケ部の先生に「試合に出れなくなっても覚悟のある者と一緒に競技が出来るか」と言われました。バスケは最低5人いないと試合に出る事は出来ません。人数が足りなくなって試合に出られなくなったとしても「自分の信念をもってつ貫く」を持たないといけない。それくらいの覚悟が持てた時、次に入ってくる選手は「それでもやってやる」という気持ちを持ってくる。だからこそ「信念」を持たなければいけない。それは今でも私の中に大きく残っています。

絶対服従。そこを求めているわけではありません。どちらかというと他の指導者よりも選手との距離は近いと思っています。が、「当たり前の事を当たり前にやる」という感覚がなければ一緒にやる意味がないと思っています。こちらが「やってはいけない」ということを見えないところでやる。「やりなさい」ということをやらない。こういう中で互いの信頼関係ができるか。

特に力のある選手、リレーメンバーに入るような選手は他の者よりも意識する必要があると思っています。ルールを守らない者、一生懸命できない者、裏表がある者が強かったりリレーメンバーに入れば間違いなく不協和音が生じます。強ければ何をしてもいいんでしょう?という感覚になればチームは成立しません。メンバーに入れない選手はどう思うでしょうか。自分の方がきちんとやっているのになんでメンバーに入れないのか?という気持ちが生まれれば選手同士の信頼関係もなくなります。応援する気にならなくなります。

強い選手には責任がある。強くなればなるほど、結果を出せば出すほど自分の行動に気を配らなければいけなくなります。注目を集めれば集めるほど「少しの事」を取り上げて批判されるようになります。そうなったら面白くありません。だからこそこちらは厳しく関わっていきます。そこの部分を徹底しなければ本当の意味での競技の意味はないと思っています。

やらなければいけない事をやらない。これにより競技自体がやりにくくなります。手を抜いて後回しにして最終的に困るのは自分自身。そこの感覚を持たなければいけない。競技場面だけきちんとやればいいと思っていたら最終的にはその競技さえできなくなります。定期考査で欠点を取れば練習に参加できなくなります。課題提出をしなければ提出するまで残ってやることになります。そうなったら練習をする事はできない。競技をするためには他の部分もきちんとやらないといけないのです。キツくても手を抜かずにコツコツやっていくというのは間違いなく「取り組みの姿勢」です。競技場面以外でそれが身につくと思っています。大切なことです。

私が頭を下げて環境が整うのであればいくらでも下げます。それは選手にとってプラスになるから。しかし、選手がやるべき事をきちんとやらずに私が「ご迷惑をおかけして申し訳ありません」と謝罪することは決してプラスにはなりません。ここの感覚。私だけなのかもしれませんが何か違うと思っています。この手の事が繰り返されるようであれば競技をやる必要はないと思っています。

厳しい。そう思われるでしょうか。が、預かった選手を成長させるのは私の使命だと思っています。褒めて持ち上げて練習をさせたところで本人達の将来には何も役に立ちません。その場しのぎで練習をしたところで最後には何も残らない。「楽しかった」という思い出作りだけで競技をするのはできません。自己満足の努力ではなく「こんなにできるのか?!」と自分の中に眠っている可能性に気づくことが必要になると思っています。だからそれを伝えたい。そのためにはこちらも「信念」を持ち続けたいと思っています。

うーん、まとまらないですね。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

競技をする

2016-09-10 | 陸上競技
色々と思う事が。

blogに全てを書く気にはなりませんがある程度の事は記しておきたいなと思っています。別に面白い内容でもなんでもないので興味がない方は読み飛ばしてください。

前にも書きましたが多少なりと私自身も甘くなってきていると思っています。0からのスタートでチーム作りをしてきています。10年前であれば「絶対に許さない」と思える事でも多少我慢して諭す程度で終わっている事が幾つもあります。年を重ねたからなのか。ここは自分の中でも大きな差を感じます。こちらが我慢する事である程度上手く回る事もありますからそれくらいの事はやらないといけないと思っています。

競技と日常生活はつながっている。全てはつながっている。そういう話を昔からしています。練習だけ頑張れば良いのか。それ以外の事はどうでも良いのか。違うと思っています。日常生活の中で「物事に取り組む姿勢」が身につきます。普段の生活を適当にやっていて競技場面だけきちんとやろうというのではできないと思っています。有り余る才能があって少し練習をしたら結果が出せるような選手もいますが普通の選手はそうはいきません。

最も嫌なのがバレなければ良いだろうという部分。服装にしても携帯電話の使用にしても「私にバレなければルール違反をしても良い」と思うのであれば結局は練習でも同じ事になります。私が見ている時には一生懸命やるフリをする。が、私が不在の時は適度にやって終わる。話が別問題だと言われるかもしれません。が、「考え方」の問題です。バレなければ何をしてもいいという感覚が少しでもあるなら様々な場面でそれは出てくると思っています。

前任校。これも卒業生と話をする時に笑い話になっていますが当時はかなり大きな事件だったと思います。朝、学校に来る時ある選手がスカート丈を短くしていました。絶対に許さないという話をしていたのですが朝早く私と顔をあわせる事がないと思ったのかかなり短くして来ていました。見つけてかなり厳しく指導。しかし、それだけでは私自身が納得できませんでした。普段から「やってはいけない」と言っている事がある。それをやっているのです。こちらが指導する内容に従う気がないという部分につながる。極論だと言われるかもしれませんが「全てはつながっている」のです。言っている事を聞き流しているから「許さない」と言っている部分を平気で守らない。退部届を投げつけて本気で辞めていいと話しました。やり過ぎだと言われようがこちらの「信念」の部分です。妥協して練習してもらうつもりはない。

また、同じ年でした。修学旅行に行った時に当時のエースがスカート丈を短くしていました。普段はそんな事はしませんが東京に行き周りの友達が短くする事で「自分も少しくらい良いだろう」という気持ちになったのだと思います。さらには集合時間が決まっているにも関わらずギリギリで戻ってくる。ありえないと思いました。普段練習場面では決してそのような事はありません。早め早めの行動をします。「場面が変わったらできない」というのは本当の力ではないと思っています。修学旅行中はさすがに我慢しましたが戻ってきてから激怒。進退を含めて保護者と話をするようにと伝えました。かなり話をしてその内容をきちんと保護者に伝え、自分がどうするべきかを考えるようにと。

形だけそういう話をしたのではありません。こちらは本気でした。どれだけ力があったとしても日常生活がきちんと送れない、生活の中で裏表があるという選手と一緒にやろうという気にはなりません。勝ったところで喜べないからです。それなら力がそれほどなくても少しずつ強くなってベストを更新する方がいい。「勝てばいい」という気にはなりません。

たかが服装くらいでそこまで怒る必要があるのか?と言われるかもしれません。が、「少しくらいならいいだろう」という部分が最も現れるのは服装だと思っています。スカート丈を短くしたり化粧をしたりするのは「意図的にやっている」のです。たまたまそうなったというのではなく「短くしよう」「化粧をしよう」という意思があってそれが現れている。バトンを落とすというのとは全く別問題です。やりたくないけどそうなった、というのではなく自分から進んでやっているのです。携帯電話の学内使用も同様。ありえません。

バレなければ良い。その考え方自体が競技には向かないと思っています。薬物ドーピングと同様です。ズルをして勝つ事に何の意味があるのか。勝つ事だけを考えればそれもありかもしれませんが、私がやりたいことはそんな事ではない。きちんと目標を決めてそこに向けて努力を重ねる。手を抜かず一生懸命にやるからこそ意味があると思っています。そうでなければ競技結果に価値はないと思っています。競技場面以外ではズルをしても良いのか。これも違うと思っています。すべての場面でやるべき事をやるのです。

全てをガチガチにするつもりはありません。ある程度の自由度を持たせています。しかし、許せない事は許さない。そのスタンスは変えたくないと思っています。押さえつけてやらせるのは面白くない。が、遊び半分でやるのは全くもって違う。ここは「信念」の部分です。

面白くない記事が長くなっていますね。もう少し書きたいと思います。お付き合いください。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする