少し思う事を。
指導をしていて楽しいなと思うのは「動きの変化」を目の当たりにした時だと思っている。指導して試合で良い結果を選手が残すというのも楽しいのかもしれないが。
今の指導スタイルは「近くで動きを見る」というもの。決まり切ったメニューを与えてそれをやっておけば強くなるというのではない。人によっては動きも違うので時間をかけてその選手に「今のは?」と確認作業を行う。選手と関わりながら何かを作り上げていくという感覚が「楽しい」と思える。
これはなかなかわかってもらえない部分だと思う。細かく書くと批判として捉えられる可能性があるので避けるが。
ここ最近は時間もないので完全に「思いつき」で練習メニューの組み立てをしている。無責任だと言われたらそうなのかもしれないが。目の前で見ていて感じた事を練習に取り入れる。もちろん「やりたいな」と思うことは最初からあるのだがその日の気分で「これをやってみよう」と提案する。
メニューを立てていても臨機応変に変えていくことはあると思う。そこには「見ていて感じる」という部分が存在するはず。メニューをこなしているだけではきっとわからない。選手も「決まっているからやる」というだけであまり考えなくなるのではないかと感じている。
少し「考えさせる」という時間か必要なのかなと思うようになった。実際、自分自身が競技をしている時には常に考えるようにしていた。メニュー自体与えられないので「強くなるために」と考えてメニューを立てていた。自分の力で。その部分が今の指導に生きてくるのかなと勝手に思っている。大した指導はできていないけど。
ここはバランスの問題だと思っている。「考えさせる」という事だけが先走りするのは違う。何もやらないで「選手に任せる」というのでは意味がないと思う。ある程度のベースがあって初めて「任せる」意味がある。完全に管理してやるのも少し違うかなと。バランスの問題。ここは考えないといけない部分だと思っている。
動きの話と少し変わってしまっているが。完全に管理型にはめる形の指導。これもありかなと。そちらの方が結果を出すためには手っ取り早い。または力のある選手を集めてきてある程度の練習をさせていたらそのうち強くなる。効率が良いか悪いかは別にして。様々な方法が存在する。
今の私は「やりたい事」が決まっていてそのパーツをどのように組み立てるかという部分でやっている。ここ最近は特に「精度」を高めることに力を注ぎたいなと思っている。この部分は何度か書いているのでちょっと省略。
大阪に行って戻って来てから約1ヶ月が経過している。M先生の指導からは学ぶことが多かった。これまでやって来た方向性は「あり」だと感じることができた。組み立て方を変えてやる事はそれほど変わらない。既成概念から抜け出して「必要なことをやる」というスタンスが強くなった。
更に「自分達でやらせてみる」という部分も。なんだかんだいっていつの間にか私が主役になる場面が多かった。口出ししすぎる。考える時間を奪ってしまっている部分があったのだと思う。最初の段階はこちらが主導権を握っていくのは当然だと思う。が、ある一定の水準まできたら「考えさせる」という時間も必要なんだと思う。
話が飛びまくるが(笑)。今はそう思ってグランドに立つ。変化があるのは選手だけではない。私自身が変化していかなければいけない。もちろん「核」となる「信念」は変わらない。
新しい発見がある。選手の表情の変化も目に見える。まだ本当の変化にはなっていない。でも確実に変わってきている。閉鎖的な社会の中で枠にはめられる生き方をしていたらこの感覚は分からない。そうならないように「変人」扱いを受けてもやりきりたい。強くそう思う。
まとまりがないがとりあえず記録として書いておく。
指導をしていて楽しいなと思うのは「動きの変化」を目の当たりにした時だと思っている。指導して試合で良い結果を選手が残すというのも楽しいのかもしれないが。
今の指導スタイルは「近くで動きを見る」というもの。決まり切ったメニューを与えてそれをやっておけば強くなるというのではない。人によっては動きも違うので時間をかけてその選手に「今のは?」と確認作業を行う。選手と関わりながら何かを作り上げていくという感覚が「楽しい」と思える。
これはなかなかわかってもらえない部分だと思う。細かく書くと批判として捉えられる可能性があるので避けるが。
ここ最近は時間もないので完全に「思いつき」で練習メニューの組み立てをしている。無責任だと言われたらそうなのかもしれないが。目の前で見ていて感じた事を練習に取り入れる。もちろん「やりたいな」と思うことは最初からあるのだがその日の気分で「これをやってみよう」と提案する。
メニューを立てていても臨機応変に変えていくことはあると思う。そこには「見ていて感じる」という部分が存在するはず。メニューをこなしているだけではきっとわからない。選手も「決まっているからやる」というだけであまり考えなくなるのではないかと感じている。
少し「考えさせる」という時間か必要なのかなと思うようになった。実際、自分自身が競技をしている時には常に考えるようにしていた。メニュー自体与えられないので「強くなるために」と考えてメニューを立てていた。自分の力で。その部分が今の指導に生きてくるのかなと勝手に思っている。大した指導はできていないけど。
ここはバランスの問題だと思っている。「考えさせる」という事だけが先走りするのは違う。何もやらないで「選手に任せる」というのでは意味がないと思う。ある程度のベースがあって初めて「任せる」意味がある。完全に管理してやるのも少し違うかなと。バランスの問題。ここは考えないといけない部分だと思っている。
動きの話と少し変わってしまっているが。完全に管理型にはめる形の指導。これもありかなと。そちらの方が結果を出すためには手っ取り早い。または力のある選手を集めてきてある程度の練習をさせていたらそのうち強くなる。効率が良いか悪いかは別にして。様々な方法が存在する。
今の私は「やりたい事」が決まっていてそのパーツをどのように組み立てるかという部分でやっている。ここ最近は特に「精度」を高めることに力を注ぎたいなと思っている。この部分は何度か書いているのでちょっと省略。
大阪に行って戻って来てから約1ヶ月が経過している。M先生の指導からは学ぶことが多かった。これまでやって来た方向性は「あり」だと感じることができた。組み立て方を変えてやる事はそれほど変わらない。既成概念から抜け出して「必要なことをやる」というスタンスが強くなった。
更に「自分達でやらせてみる」という部分も。なんだかんだいっていつの間にか私が主役になる場面が多かった。口出ししすぎる。考える時間を奪ってしまっている部分があったのだと思う。最初の段階はこちらが主導権を握っていくのは当然だと思う。が、ある一定の水準まできたら「考えさせる」という時間も必要なんだと思う。
話が飛びまくるが(笑)。今はそう思ってグランドに立つ。変化があるのは選手だけではない。私自身が変化していかなければいけない。もちろん「核」となる「信念」は変わらない。
新しい発見がある。選手の表情の変化も目に見える。まだ本当の変化にはなっていない。でも確実に変わってきている。閉鎖的な社会の中で枠にはめられる生き方をしていたらこの感覚は分からない。そうならないように「変人」扱いを受けてもやりきりたい。強くそう思う。
まとまりがないがとりあえず記録として書いておく。