補足的に記録しておきます。
シャフト補強をかなりやってきました。実際に効果があると思っています。これからも継続するつもりです。
大阪でM先生と話をしたときに「シャフトを使った練習はしていない」と言われていました。「シャフトがないんですよ(笑)」。あれば使うかもしれないが今は別にいいかな、と。私はこれまで「シャフト補強」をかなり重視してきました。中にはウエイトをやるところもあると思います。しかし、そのやり方だけが「全て」ではない。そう思いました。
シャフト補強、40mで設定していました。これはかなりきつい。よほど意識が高くなければ後半は動きが「雑」になります。もちろん、その部分を「耐える」というのも重要だと思います。きつくなってきたときに「耐える」というか「正しい動きを意識する」ことで変わってくる部分もあると思います。
見ているとやはり40mだと動きが保てません。正確な動きができなくなるのです。こちらがどれだけ伝えてもできない。筋力的なものもあると思います。気持ちが切れてしまう部分もある。これまではそこをこちらが「きちんとやらないといけない」としつこく言い続けていました。かなり時間を要して筋力が上がります。
実は「気持ちの部分」を重視してしまっているのではないかと思うようになりました。「正しい動きができない」時に我慢して保つ。しかし、実際の走りの中に活かされているだろうか。そう思った時に「20mでいいや」と割り切りました。「正しい動き」ができなくなるのであれば「できる」ところで止めておく方がいいのではないか。変な動きを身体が覚えてしまうのを避けるために「良い動き」ができる距離で止めようかなと。
更には「トレーニングだけ」で終わらないようにしようと思っています。これまでは「トレーニングだけの日」を作っていました。が、これを止めて練習の中にすべてのトレーニングを導入しようと思っています。シャフト補強も同様。そう考えたときに「40m」のシャフト補強をやるとそれだけで練習が終わってしまいます。負荷が高すぎて次に走ろうという気持ちにならないのです。
次の動きができるレベルで「トレーニング」を終わらせておかなければ練習にならない。そう考えるとトレーニングだけで追い込むというのは必要ないのかなと。極端かもしれませんが。
既得権。既成概念。これは「過去の自分」を保つためにあります。以前は上手くいったかもしれない。が、今はもっといい方法がるのかもしれない。新しい刺激が入った時にそれを「受け入れる」のか「排除する」のかで大きく変わってくると思っています。大半は「自分のやり方」が批判されたと思って「排除する」方向で「心」が動きます。
が、よくよく考えてみればそれは「ちっぽけなこと」でしかない。自分の「信念」は持ち続ける必要があると思います。しかし、「変なプライド」を持っていたら一番大切なことを見失ってしまいます。私がやるべきことは「選手にプラスになること」以外にない。変なプライドを持って「前からこの練習をしていた」「これで○○という選手を育てた」というどうでもいいことを「主張」していたら時間がもったいない。そうであれば「一番いいと思うこと」をやるほうがいい。
「動き」の部分に関しては「変わらない」と思っています。やりたいことは変わることはない。が、それを身につけるための「方法論」は変わって当然だと思います。これまでの私はどちらかというと「気持ち」の部分で持って行っていた気がします。が、そんな不確定な部分ではなく「誰にでもできる内容」にしていく必要があるのかなと。
正しい動きを身につける。このために何をするか。「やるだけ」の練習になってしまうのは意味がない。「一流選手がやっている」という動きを見よう見まねでやるのも意味がないかなと。何のためにやっているのかを理解して取り組まなければそれは「自己満足」でしかない。こんな練習をやっているという満足では選手にはプラスにならない。
だから私自身がもっと変わらなければいけない。根性論でやっているつもりはありませんでしたが、客観的に見ると「我慢してやれ」の世界だったのかもしれません。工夫はしていたつもりですがいつの間にか「考える」事を忘れてしまっていたのかもしれない。
走っておけば強くなる。そうは思いません。様々なピースを集めていってそれを組み合わせる。ロボットを作るわけではありませんから「絶対に間違いない」というものはない。だからこそ私自身が柔軟性を持って取り組んでいく必要があるのかなと。決まりきった練習だけではない。
選手に変化を求める前に私自身が変わらなければいけないのです。シャフト補強は一つの例でしかありません。他にももっと考えるべきことがあります。この部分を考えることは楽しい。考えて実施する中で明らかに動きが変わっていくのも楽しい。それに伴い選手の表情も変わっていく。本当に大切なのはこういう部分なのかなと感じています。
どうでも良いプライドは邪魔にしかならない。自分を高めてくれる可能性のあるモノを排除してしまったら常に現状維持。絶対に下がっていきます。もっともっと進みたい。
うーん、上手くまとまりません。また書きます。
シャフト補強をかなりやってきました。実際に効果があると思っています。これからも継続するつもりです。
大阪でM先生と話をしたときに「シャフトを使った練習はしていない」と言われていました。「シャフトがないんですよ(笑)」。あれば使うかもしれないが今は別にいいかな、と。私はこれまで「シャフト補強」をかなり重視してきました。中にはウエイトをやるところもあると思います。しかし、そのやり方だけが「全て」ではない。そう思いました。
シャフト補強、40mで設定していました。これはかなりきつい。よほど意識が高くなければ後半は動きが「雑」になります。もちろん、その部分を「耐える」というのも重要だと思います。きつくなってきたときに「耐える」というか「正しい動きを意識する」ことで変わってくる部分もあると思います。
見ているとやはり40mだと動きが保てません。正確な動きができなくなるのです。こちらがどれだけ伝えてもできない。筋力的なものもあると思います。気持ちが切れてしまう部分もある。これまではそこをこちらが「きちんとやらないといけない」としつこく言い続けていました。かなり時間を要して筋力が上がります。
実は「気持ちの部分」を重視してしまっているのではないかと思うようになりました。「正しい動きができない」時に我慢して保つ。しかし、実際の走りの中に活かされているだろうか。そう思った時に「20mでいいや」と割り切りました。「正しい動き」ができなくなるのであれば「できる」ところで止めておく方がいいのではないか。変な動きを身体が覚えてしまうのを避けるために「良い動き」ができる距離で止めようかなと。
更には「トレーニングだけ」で終わらないようにしようと思っています。これまでは「トレーニングだけの日」を作っていました。が、これを止めて練習の中にすべてのトレーニングを導入しようと思っています。シャフト補強も同様。そう考えたときに「40m」のシャフト補強をやるとそれだけで練習が終わってしまいます。負荷が高すぎて次に走ろうという気持ちにならないのです。
次の動きができるレベルで「トレーニング」を終わらせておかなければ練習にならない。そう考えるとトレーニングだけで追い込むというのは必要ないのかなと。極端かもしれませんが。
既得権。既成概念。これは「過去の自分」を保つためにあります。以前は上手くいったかもしれない。が、今はもっといい方法がるのかもしれない。新しい刺激が入った時にそれを「受け入れる」のか「排除する」のかで大きく変わってくると思っています。大半は「自分のやり方」が批判されたと思って「排除する」方向で「心」が動きます。
が、よくよく考えてみればそれは「ちっぽけなこと」でしかない。自分の「信念」は持ち続ける必要があると思います。しかし、「変なプライド」を持っていたら一番大切なことを見失ってしまいます。私がやるべきことは「選手にプラスになること」以外にない。変なプライドを持って「前からこの練習をしていた」「これで○○という選手を育てた」というどうでもいいことを「主張」していたら時間がもったいない。そうであれば「一番いいと思うこと」をやるほうがいい。
「動き」の部分に関しては「変わらない」と思っています。やりたいことは変わることはない。が、それを身につけるための「方法論」は変わって当然だと思います。これまでの私はどちらかというと「気持ち」の部分で持って行っていた気がします。が、そんな不確定な部分ではなく「誰にでもできる内容」にしていく必要があるのかなと。
正しい動きを身につける。このために何をするか。「やるだけ」の練習になってしまうのは意味がない。「一流選手がやっている」という動きを見よう見まねでやるのも意味がないかなと。何のためにやっているのかを理解して取り組まなければそれは「自己満足」でしかない。こんな練習をやっているという満足では選手にはプラスにならない。
だから私自身がもっと変わらなければいけない。根性論でやっているつもりはありませんでしたが、客観的に見ると「我慢してやれ」の世界だったのかもしれません。工夫はしていたつもりですがいつの間にか「考える」事を忘れてしまっていたのかもしれない。
走っておけば強くなる。そうは思いません。様々なピースを集めていってそれを組み合わせる。ロボットを作るわけではありませんから「絶対に間違いない」というものはない。だからこそ私自身が柔軟性を持って取り組んでいく必要があるのかなと。決まりきった練習だけではない。
選手に変化を求める前に私自身が変わらなければいけないのです。シャフト補強は一つの例でしかありません。他にももっと考えるべきことがあります。この部分を考えることは楽しい。考えて実施する中で明らかに動きが変わっていくのも楽しい。それに伴い選手の表情も変わっていく。本当に大切なのはこういう部分なのかなと感じています。
どうでも良いプライドは邪魔にしかならない。自分を高めてくれる可能性のあるモノを排除してしまったら常に現状維持。絶対に下がっていきます。もっともっと進みたい。
うーん、上手くまとまりません。また書きます。