土曜日。この日はK高校との合同練習を企画していました。天候が心配されましたが何とか来てもらうことはできました。通勤中の山々には白い雪が積もっていました。夜の間にかなり降っていたようです。学校に着いてみるとグランド状態は最悪。思うような練習ができない可能性がありました。それでも他校に来てもらっているので最大限のことはやりたいなと思っていました。
この日は前任校の教え子が来校してくれることになっていました。インターレースであった田島記念の時に撮影した写真を持ってきてくれることに。私は周南に住んでいるのでそちらでもらった方が圧倒的に早いのですが(笑)。せっかく来てくれるということだったので「話をしてもらいたい」とお願いしていました。私が話をするよりも「選手」が話してくれる方が伝わる部分が多いと思うので。
今回はK高校の選手にも一緒に聞いてもらいました。ほとんど面識はないと思います。うちの選手は何度か一緒に練習したことがあります。Mihoは「インターハイ出場」「国体出場」という箔がついている選手ですからさらに話が入るかもしれない(笑)。そういう部分も期待してお願いしていました。
14年間続けていた競技を大学4年生で引退しました。本当に長くやっていたと思います。その話の要約を少しだけ載せておきます。本人の許可は得ていませんが(笑)。お許しを。
高校時代、2年生でインターハイと国体に出場しました。100mで12秒36、200mで25秒48。当時であればかなり評価できる記録だったと思います。100mはインターハイに出場できていませんが200mでインターハイ。本人も言っていましたがこの結果を受けて初めて「本気になる」という感じでした。中学時代は13秒1がベスト記録。基本的に一生懸命にやるという感じではなかった。
1年生の間は「なんとなくやっている」状況。それでもそれなりに結果がついてきていました。かなり甘い部分があってそれでもなんとか戦っていた。今では笑い話ですが中国新人の100mで召集時間に間に合わず失格するという恐ろしいことをしていました。それくらい競技に関して甘い部分があった。
それでも2年生で結果を出してからは変わりました。故障してしまっていたこともあり冬まではそれほど走ることができませんでした。故障明けから本当に必死に取り組む。変化の幅はかなりのものでした。とにかく「強くなるために」という感覚で練習をする。見ているこちら側も一生懸命になれる選手でした。
一生懸命になっているだけに見落とすこともある。私自身も取り返しのつかないミスをしました。結果、3年生の時には自己ベスト更新できず。あれだけ一生懸命にやったのにうまくいかなかったというのは本人には申し訳ない限りです。その影響もあり大学に行ってしばらくは「やるだけ」の練習になっていた。
高校時代は「これで競技を終わる」と思ってやっていたから乗り越えられた。が、結果が出たことで大学に進むことになったがモチベーションが劇的に落ちてしまった。その状態で1年間を過ごす。練習にも身が入らないから結果も出ない。そんな時に同じ短距離のチームメイトにレースで負けた。「このままではいけない」と目が覚めた。
そこからの冬期は「練習を楽しもう」と決めた。元々好きでやっていた競技なのにいつの間にか「やるだけ」になってしまっている。毎日の練習で「目標」を決める。30mではこの人に勝とう、という小さな目標。もしも負けたら50mでは勝とうと目標を切り替える。走り込みは苦手だから「最初の1本は絶対に全力で行って誰にも負けない」と手を抜かずに走る。
本当に小さなきっかけだったのだと思います。それが少しずつ実を結ぶ。3年生の春に「12秒7」が出た。それほどすごい記録ではないが「嬉しい」と思えた。そこからは毎回レースに出るのが楽しくなった。気が付くつと12秒03の記録を出して日本インカレや国体に出場することになる。本当に楽しい時間を過ごせた。
高校時代は同じ種目にチームメイトがいなかった。大学時代は多くのレベルの高い仲間がいた。それも大きい。苦しいこと、嬉しいことを一緒に分かち合える「仲間」がいた。もっともっとチームメイトとコミュニケーションをとって大切にして欲しい。一緒に強くなって欲しい。
「楽しい」と思える。簡単なことではないと思います。だって練習はきついから。でもそれを乗り越えたら新しい世界が待っていると思えるか。それだけで大きく変わってくる。そこをどう思って取り組めるか。
この話を聞いて私もO先生も感動しました。この子が高校1年生の時から知っています。人前で話すことは苦手。けっこうな人見知り。その選手が競技を引退するときに「自分の想い」を後輩に伝えることができる。それは多くの人からの支えがあったからだと思います。良い仲間に恵まれたのだと思います。
最後は自分次第。好きで始めた陸上競技。いつの間にか「やらされている」のです。惰性で続けているのです。そうではなく「少しでも速くなりたい」と純粋に思えることで結果は大きく変わる。
足を運んでもらった意味がありました。これをうちの選手がどのように感じてくれるか。「高校1年生の時は先輩に反抗し、先生に反抗して最低だった」という話をしてました。誰にでもあることなのです。幼いから。それが今では笑って言える。本気でやっていかなかったら今でも「やらされていた」という感覚で終わっていたかもしれません。人生を楽しめているのだと思います。
良いお姉さんになりました。きっと後輩たちに伝わるものがあったはずです。心より感謝。
一応記録しておきます。
この日は前任校の教え子が来校してくれることになっていました。インターレースであった田島記念の時に撮影した写真を持ってきてくれることに。私は周南に住んでいるのでそちらでもらった方が圧倒的に早いのですが(笑)。せっかく来てくれるということだったので「話をしてもらいたい」とお願いしていました。私が話をするよりも「選手」が話してくれる方が伝わる部分が多いと思うので。
今回はK高校の選手にも一緒に聞いてもらいました。ほとんど面識はないと思います。うちの選手は何度か一緒に練習したことがあります。Mihoは「インターハイ出場」「国体出場」という箔がついている選手ですからさらに話が入るかもしれない(笑)。そういう部分も期待してお願いしていました。
14年間続けていた競技を大学4年生で引退しました。本当に長くやっていたと思います。その話の要約を少しだけ載せておきます。本人の許可は得ていませんが(笑)。お許しを。
高校時代、2年生でインターハイと国体に出場しました。100mで12秒36、200mで25秒48。当時であればかなり評価できる記録だったと思います。100mはインターハイに出場できていませんが200mでインターハイ。本人も言っていましたがこの結果を受けて初めて「本気になる」という感じでした。中学時代は13秒1がベスト記録。基本的に一生懸命にやるという感じではなかった。
1年生の間は「なんとなくやっている」状況。それでもそれなりに結果がついてきていました。かなり甘い部分があってそれでもなんとか戦っていた。今では笑い話ですが中国新人の100mで召集時間に間に合わず失格するという恐ろしいことをしていました。それくらい競技に関して甘い部分があった。
それでも2年生で結果を出してからは変わりました。故障してしまっていたこともあり冬まではそれほど走ることができませんでした。故障明けから本当に必死に取り組む。変化の幅はかなりのものでした。とにかく「強くなるために」という感覚で練習をする。見ているこちら側も一生懸命になれる選手でした。
一生懸命になっているだけに見落とすこともある。私自身も取り返しのつかないミスをしました。結果、3年生の時には自己ベスト更新できず。あれだけ一生懸命にやったのにうまくいかなかったというのは本人には申し訳ない限りです。その影響もあり大学に行ってしばらくは「やるだけ」の練習になっていた。
高校時代は「これで競技を終わる」と思ってやっていたから乗り越えられた。が、結果が出たことで大学に進むことになったがモチベーションが劇的に落ちてしまった。その状態で1年間を過ごす。練習にも身が入らないから結果も出ない。そんな時に同じ短距離のチームメイトにレースで負けた。「このままではいけない」と目が覚めた。
そこからの冬期は「練習を楽しもう」と決めた。元々好きでやっていた競技なのにいつの間にか「やるだけ」になってしまっている。毎日の練習で「目標」を決める。30mではこの人に勝とう、という小さな目標。もしも負けたら50mでは勝とうと目標を切り替える。走り込みは苦手だから「最初の1本は絶対に全力で行って誰にも負けない」と手を抜かずに走る。
本当に小さなきっかけだったのだと思います。それが少しずつ実を結ぶ。3年生の春に「12秒7」が出た。それほどすごい記録ではないが「嬉しい」と思えた。そこからは毎回レースに出るのが楽しくなった。気が付くつと12秒03の記録を出して日本インカレや国体に出場することになる。本当に楽しい時間を過ごせた。
高校時代は同じ種目にチームメイトがいなかった。大学時代は多くのレベルの高い仲間がいた。それも大きい。苦しいこと、嬉しいことを一緒に分かち合える「仲間」がいた。もっともっとチームメイトとコミュニケーションをとって大切にして欲しい。一緒に強くなって欲しい。
「楽しい」と思える。簡単なことではないと思います。だって練習はきついから。でもそれを乗り越えたら新しい世界が待っていると思えるか。それだけで大きく変わってくる。そこをどう思って取り組めるか。
この話を聞いて私もO先生も感動しました。この子が高校1年生の時から知っています。人前で話すことは苦手。けっこうな人見知り。その選手が競技を引退するときに「自分の想い」を後輩に伝えることができる。それは多くの人からの支えがあったからだと思います。良い仲間に恵まれたのだと思います。
最後は自分次第。好きで始めた陸上競技。いつの間にか「やらされている」のです。惰性で続けているのです。そうではなく「少しでも速くなりたい」と純粋に思えることで結果は大きく変わる。
足を運んでもらった意味がありました。これをうちの選手がどのように感じてくれるか。「高校1年生の時は先輩に反抗し、先生に反抗して最低だった」という話をしてました。誰にでもあることなのです。幼いから。それが今では笑って言える。本気でやっていかなかったら今でも「やらされていた」という感覚で終わっていたかもしれません。人生を楽しめているのだと思います。
良いお姉さんになりました。きっと後輩たちに伝わるものがあったはずです。心より感謝。
一応記録しておきます。