想うことを。
合宿前日の合同練習の前に少しだけ話をしました。「本当に一生懸命に取り組んでいる者は自分が頑張っているとは思わない」という内容。分かりにくいかもしれません。本当に高い目標を掲げ、「強くなりたい」という気持ちがある者は練習中に「自分は頑張っている」という感情は生まれません。何故なら「もっと努力しなければ目標に届かない」と感じるからです。これは感覚的なもの。
トップ選手が周りから「なぜそんなハードな練習ができるのか?」と問われる。「必要だからです」で終わる。周囲には理解できないと思います。大学進学でも同様だと思います。難関校を目指す高校生は毎日毎日寝る間を惜しんで勉強します。「良く勉強するね」と言われても「自分の目標に向かって勉強するのは当然」だと思います。本気で何かを目指すと現状に満足せずに「まだ足りない」と感じるのです。
「自分はこんなに頑張っているのだから」と言葉にする選手は「本物」にはなれない気がします。強くなるために「嫌だけどやるしかない」という「覚悟」を持てるかどうか。きつい練習が大好きな選手はいないと思います。それでも「ここでやらないと強くならない」という感覚の中でやる。根性論ではありません。「ひたすらやり続けろ」というのではなく自分自身が「何をするべきなのか」を理解して行動に移せるかどうかです。これは感覚的なものです。一つのことに真剣にならなければ見えてこない部分かもしれないですね。
「先生が自分のことを認めてくれない」と言葉にする選手もたくさんいるでしょう。「よくやっている」と言葉にして認めてもらいたい部分は誰にでもあると思います。私はうちの選手がやっている内容自体は「通常のレベルより上」だとは思います。どこと比べるかですが。別に否定するつもりはありません。それを毎日毎日言葉にして「みんな本当によく頑張っているね」という評価はしません。「強くなるためにやるのは当然」だと思うからです。ここを選手が求め始めると「頑張る自分に酔う」という方向性が違った形になってしまいます。
また、高い目標を掲げそのに向かって進んでいくという話をセミナー合宿の前に話しました。県総体出場、中国大会出場、IH出場、IHの決勝とそれぞれ目標は異なるかもしれません。そこに関しては「差」があると思います。実力を冷静に考えていく必要がある。が、その目標に対しての取り組みは最大限でなければいけないと思っています。「最大限の努力をして到達できる」ものであればそれでいい。
男子でいえば「10秒80」「21秒80」「49秒00」が最大目標になると思います。それに「6m40」と「43秒00」が続く。女子は「11秒台2人&24秒台3人」が最大目標。本来であればリレーがこれに続かないといけないのですが今の状態では最大で「48秒00」になるでしょうか。
いかにしてこの記録を出してステージを上がるか。全てを想定して様々な準備をしていかなければいけません。先日gt先生と食事をしながら話していたのですが「どんな状況であってもこれくらいの記録が出る」という選手にならなければ相手にはしてもらえないのです。だからこそ、何をするべきなのかをそれぞれが理解して取り組む必要がある。
単純に「高い目標を掲げる」ことで強くなるわけではない。その目標を達成するために自分自身が何をするかだと思います。勘違いして欲しくないのは「強くしてもらう」のではないということ。自分自身が強くなるために何をするか。言い訳をしていたり他者のせいにしている間は絶対に強くならないと思います。
合宿はしんどいのは分かっている。しかし、その中で自分自身がどうすれば強くなるかをきちんと考えてもらいたい。分からなければ自ら質問をする。教えてもらうのを待つのではなく自分がどうすれば良いのかを見極めていく必要があります。実際合宿中に何人かは自分から聞いてきました。全く聞いてこない者もいます。当然大きな差になります。私が声を掛けるのを待っているようでは「強くなるチャンス」を逃すのです。
これは間違いなく練習以外にも派生します。練習だけやればいい。練習場面でだけ努力すればいい。そのような感覚では絶対に上手くいかない。全ては繋がっているのです。
一番最悪のパターンが「目標だけ掲げてそれに向けて最大限の努力ができない」ということ。やったつもりになるパターンです。これでは結果に繋がりません。自分はこんなに頑張っていると自己評価をしている間はここからは抜け出せないのではないかなと感じています。
危機感が足りないという話も何度かしています。そのことがなかなか伝わらない。3年生が練習に来た時に「雰囲気が最悪だった」と言っていました。積み上げるのは本当に大変ですが崩れ去るのは一瞬です。チームというのはその構成員からなります。人が代わればその内情も代わる。当然の出来事だと思います。
楽しい陸上競技。それはどんなものなのか?和気あいあいと笑顔で楽しくやるのも一つ。自分が目標に向けて最大限のことをやっていき、自分自身が変化していくのを楽しむのも一つ。単純に「楽しい」と言っても全くそこにあるものは異なります。
ある選手が150mを20本走った後に呼吸を乱しながら「楽しかった」と言っていました。こんな苦しいことが楽しいはずはありません。その選手にとっては「強くなるための練習」をした事が楽しかったのだと思います。一緒に走った他校の選手の名前を挙げ「あいつ強いですよ」と認めていました。ここ最近、練習をしても楽しくなかったのだと思います。強くなるための練習とは距離がある。しかし、過酷な練習をする中で純粋に「強くなりたい」と感じながら走る事ができた。ここにすごく意味があると思います。
相変わらず上手くまとまりません。それでも記しておきます。意味がある。このblogを否定的に見るか、肯定的に見るかは人それぞれだと思います。覚醒しつつある選手もいます。だからこそ今は変わらなければいけない。
そう思います。戦うという言葉の意味。全てはここだと思いますね。
合宿前日の合同練習の前に少しだけ話をしました。「本当に一生懸命に取り組んでいる者は自分が頑張っているとは思わない」という内容。分かりにくいかもしれません。本当に高い目標を掲げ、「強くなりたい」という気持ちがある者は練習中に「自分は頑張っている」という感情は生まれません。何故なら「もっと努力しなければ目標に届かない」と感じるからです。これは感覚的なもの。
トップ選手が周りから「なぜそんなハードな練習ができるのか?」と問われる。「必要だからです」で終わる。周囲には理解できないと思います。大学進学でも同様だと思います。難関校を目指す高校生は毎日毎日寝る間を惜しんで勉強します。「良く勉強するね」と言われても「自分の目標に向かって勉強するのは当然」だと思います。本気で何かを目指すと現状に満足せずに「まだ足りない」と感じるのです。
「自分はこんなに頑張っているのだから」と言葉にする選手は「本物」にはなれない気がします。強くなるために「嫌だけどやるしかない」という「覚悟」を持てるかどうか。きつい練習が大好きな選手はいないと思います。それでも「ここでやらないと強くならない」という感覚の中でやる。根性論ではありません。「ひたすらやり続けろ」というのではなく自分自身が「何をするべきなのか」を理解して行動に移せるかどうかです。これは感覚的なものです。一つのことに真剣にならなければ見えてこない部分かもしれないですね。
「先生が自分のことを認めてくれない」と言葉にする選手もたくさんいるでしょう。「よくやっている」と言葉にして認めてもらいたい部分は誰にでもあると思います。私はうちの選手がやっている内容自体は「通常のレベルより上」だとは思います。どこと比べるかですが。別に否定するつもりはありません。それを毎日毎日言葉にして「みんな本当によく頑張っているね」という評価はしません。「強くなるためにやるのは当然」だと思うからです。ここを選手が求め始めると「頑張る自分に酔う」という方向性が違った形になってしまいます。
また、高い目標を掲げそのに向かって進んでいくという話をセミナー合宿の前に話しました。県総体出場、中国大会出場、IH出場、IHの決勝とそれぞれ目標は異なるかもしれません。そこに関しては「差」があると思います。実力を冷静に考えていく必要がある。が、その目標に対しての取り組みは最大限でなければいけないと思っています。「最大限の努力をして到達できる」ものであればそれでいい。
男子でいえば「10秒80」「21秒80」「49秒00」が最大目標になると思います。それに「6m40」と「43秒00」が続く。女子は「11秒台2人&24秒台3人」が最大目標。本来であればリレーがこれに続かないといけないのですが今の状態では最大で「48秒00」になるでしょうか。
いかにしてこの記録を出してステージを上がるか。全てを想定して様々な準備をしていかなければいけません。先日gt先生と食事をしながら話していたのですが「どんな状況であってもこれくらいの記録が出る」という選手にならなければ相手にはしてもらえないのです。だからこそ、何をするべきなのかをそれぞれが理解して取り組む必要がある。
単純に「高い目標を掲げる」ことで強くなるわけではない。その目標を達成するために自分自身が何をするかだと思います。勘違いして欲しくないのは「強くしてもらう」のではないということ。自分自身が強くなるために何をするか。言い訳をしていたり他者のせいにしている間は絶対に強くならないと思います。
合宿はしんどいのは分かっている。しかし、その中で自分自身がどうすれば強くなるかをきちんと考えてもらいたい。分からなければ自ら質問をする。教えてもらうのを待つのではなく自分がどうすれば良いのかを見極めていく必要があります。実際合宿中に何人かは自分から聞いてきました。全く聞いてこない者もいます。当然大きな差になります。私が声を掛けるのを待っているようでは「強くなるチャンス」を逃すのです。
これは間違いなく練習以外にも派生します。練習だけやればいい。練習場面でだけ努力すればいい。そのような感覚では絶対に上手くいかない。全ては繋がっているのです。
一番最悪のパターンが「目標だけ掲げてそれに向けて最大限の努力ができない」ということ。やったつもりになるパターンです。これでは結果に繋がりません。自分はこんなに頑張っていると自己評価をしている間はここからは抜け出せないのではないかなと感じています。
危機感が足りないという話も何度かしています。そのことがなかなか伝わらない。3年生が練習に来た時に「雰囲気が最悪だった」と言っていました。積み上げるのは本当に大変ですが崩れ去るのは一瞬です。チームというのはその構成員からなります。人が代わればその内情も代わる。当然の出来事だと思います。
楽しい陸上競技。それはどんなものなのか?和気あいあいと笑顔で楽しくやるのも一つ。自分が目標に向けて最大限のことをやっていき、自分自身が変化していくのを楽しむのも一つ。単純に「楽しい」と言っても全くそこにあるものは異なります。
ある選手が150mを20本走った後に呼吸を乱しながら「楽しかった」と言っていました。こんな苦しいことが楽しいはずはありません。その選手にとっては「強くなるための練習」をした事が楽しかったのだと思います。一緒に走った他校の選手の名前を挙げ「あいつ強いですよ」と認めていました。ここ最近、練習をしても楽しくなかったのだと思います。強くなるための練習とは距離がある。しかし、過酷な練習をする中で純粋に「強くなりたい」と感じながら走る事ができた。ここにすごく意味があると思います。
相変わらず上手くまとまりません。それでも記しておきます。意味がある。このblogを否定的に見るか、肯定的に見るかは人それぞれだと思います。覚醒しつつある選手もいます。だからこそ今は変わらなければいけない。
そう思います。戦うという言葉の意味。全てはここだと思いますね。