前の記事に書きましたがアップ寸前に消えました。辛い(笑)。あやふやになりながらも書いた内容を思い出しながら書きたいと思います。ニュアンスは違うと思いますが。私にしか分からない内容。
水曜日、2日間の連休を経て練習再開。盆休みを2日間取らせました。1日休んで普通に練習するというのでも良かったとは思いますが。長期休業中ですから連休があってもいいかなと。多少は気分転換になるでしょうから。本当はリレーの練習をしたいと思ってたのですがあいにくの雨。とても外ではできない。そのため練習の最初にミーティングをすることにしました。合宿の振り返りです。
くじ引きをしてピックアップしてその者に前で話をさせました。それぞれに感じたことはあったはずです。上手く言葉に出来るかどうかよりも肌で感じた多くの事を伝えられたらいいなと考えていました。数人が話をした後に更に男女キャプテンに話をさせました。ここまでは具体的に「強くなるためのキッカケ」をつかむための話にならなかったので。他校との違いを話していたり、きつい中で最後まできちんと頑張れたという話になりがちです。そのためやはりきちんとした話をしていきたいなと。
男子キャプテン、「練習が楽しかった」と話していました。私がインターハイで不在の時の走り込み、本当に雰囲気が悪かったようです。なんでこんなに走らないといけないのか、という雰囲気が前面に出ている。本来であれば「強くなるため」にやる練習でなければいけない。現状ではそうではない。声も出ず悲壮感の中での練習だったようです。その後、考えられないような事が起きて更に雰囲気は悪い方向へ。その中で何とか立て直そうとしていたようです。自分が強くなるための練習をしたいのに、それ以外のことを気にかけないといけない。リーダーとしては必要なことだと思いますが高校生にとってそれはかなりしんどいことだと思います。特に不在時ですから責任を感じるかもしれません。
が、今回は「強くなりたい」と思っている者が集まって練習をしている。うちの選手がどうこうよりも「どんな練習でもやってやる」という気概のある選手が複数いました。それによりキツくても「強くなりたい」とシンプルに思えたのだと思います。純粋に強くなりたいと思う。その選手の感情は何よりも大切にしなければいけないと思います。
また、女子キャプテンは「やらされる練習から抜け出す」という話をしていました。今回の練習、かなりきつかったと思います。その中で「自分が強くなるために必要」だと考えて積極的に取り組む。嫌々やるというのではなく自らのためにやる。そのために声を出す。暗い雰囲気にならずに自らの進んで声を出し雰囲気を明るくする。150mを何本も走る中で挫けそうになるときもあった。それでも周りが声を出してくれる。励ましてくれる。その中でだからやりきる事が出来た。雰囲気づくりは必要不可欠なのです。
今回、集団の後ろにいて指導者の話を聞けていない者がいた。それは普段の練習と同じではないか。自分のためにやるという感覚。話をきちんと聞かずに単にやるだけというのは違うのではないか。そんな話でした。
感じ取る力が高くなってきているなと思います。すごく大切な感覚。
更には前任校で1年間だけ指導をした選手が練習に参加してくれていたので前で話をしてもらいました。二年生になる前に私が転勤したのでそれ以後は合同練習や合宿などで極力関われるようにしていました。高校卒業後は高専に編入して競技を続けてくれています。今のベストは11秒04。大幅に伸びています。ここには大きな理由があると思います。
彼が一年生の時、三年生がかなり強かった。100mで2人インターハイに進みました。そのためそのレベルに合わせたメニューの組み立てになっていました。一年生はとにかく「やるだけ」になる。与えられたメニューをひたすらやる。意味も考えずやるだけ。それが私が転勤する事になり「危機感」を持ったとのこと。これまで当たり前だった事が出来なくなる。メニュー自体もこれまでの部分を参考に組み立てないといけない。これまでは「やるだけ」だったのがきちんと「なぜこの練習をやるか」の意味を何度も何度も話し合ってやっていったとのこと。彼らは「私が伝えてきたこと」以外に練習ベースはありません。それぞれの意味、効果を考えながらやっていったのだと思います。
今、1人で練習するようになってその時の経験が生きているとのこと。先生のメニューは様々なことをやる。その中に自分が強くなるためのキッカケが散りばめられている。その事を理解して「何をやろうとしているのか」を考えられれかどうか、だと。まさに。こちらが伝えてもらいたい事を私の代わりに言ってくれています。やらされる練習ではなく自分のためにやる練習にならなければいけないのです。
時間があるときには陸上のことを考えるようにしていたとも。動画を見てイメージを作ったり、こういう動きをしたらもっと速く走れるのではないかと考える。ここの部分の感覚。やっているとチーム内で意識の差が大きくなる。そんな時は自分から進んで陸上の話を持ちかけみんなで陸上について考えるようにしていた、と。全ては自分達のためにやる。その感覚は大切。
ここには繋がる部分があります。ミーティングが終わった後に練習日誌を見ました。ここで意識の差が浮き彫りになる。
何人かは間違いなく「提出」と言われたから慌ててまとめ書きをしています。実際にやっていない内容を書いている者もいました。「○○をやった後に走ったら感覚が良かった」と書いていましたが、他の選手の日誌を見るとそのメニューは記載されていません。確認してみると天気が悪かったのでそのメニューは省略したとのこと。メニュー表を渡していますから連休中に見ながら書いたのでしょうか。これは顕著な例ですが「怒られるから仕方なく日誌を書く」という感覚。
女子キャプテン、インターハイから戻ってきた時の日誌に「来年は絶対に自分がこの舞台で走る」と書いていました。他校のバトンを見ての感想などをルーズリーフ1枚、びっしりと。更には記録会や国体最終が終わった後の日誌も自分の課題となる部分を3つに分けて記載していました。この部分を改善しなければ自分はこれ以上強くならない、と。合宿においても150m20本に対する想い、どのように練習に取り組んだか。技術的な変化について詳しく書いていました。
これは間違いなく「自分のために書いている日誌」です。言われたから書くのではない。自分自身の内面と向き合うために書く内容。
これまで指導してきて日誌の内容が自分自身のために書けるようになった選手は100%の確率で強くなりました。練習メニュー云々ではなく「強くなりたい」と心から願うからです。そのためには自分自身と向き合わないといけない。何が良くて何が悪いか。その日の練習でやりたいことがあってそれに対してどれだけできるようになったか。
前者は「宿題をやれ」と言われて答えを丸写しするだけ。とにかく出せば怒られないだろうという考えの中でやる。もっとも無意味だと思います。後者は宿題の中でわからない事があれば付箋を貼って詳しく記入して次に同じミスをしないようにする。一事が万事。その場を誤魔化すのと自分のためにやるのではそこから生み出されるモノが全く異なるのです。
日誌は自分自身のやったことを振り返る事ができます。私がblogを書くのもそれが大きな理由の一つです。書いている中で自分自身と向き合う事ができる。何が出来ていて、何が出来ていないか。これからどうやって取り組めば良いのか。それをきちんと考えられるのか。
単純なミーティングです。その中で感じ取る者は大きく変わると思います。きついけど頑張って走った、というようなものではない。大きな「差」があるのは仕方ないのかもしれません。が、やるからには「本気でやりたい」という選手に合わせるのが平等だと思いますね。
上手く書けません。それでも数人は本当に覚醒するだろうなと感じました。日誌に書く内容が全く違います。ここはすごく大切。
うーん。こんな内容だったのかな。まーいいや。書けるだけ書いておきます。練習に関してはまた別に。
水曜日、2日間の連休を経て練習再開。盆休みを2日間取らせました。1日休んで普通に練習するというのでも良かったとは思いますが。長期休業中ですから連休があってもいいかなと。多少は気分転換になるでしょうから。本当はリレーの練習をしたいと思ってたのですがあいにくの雨。とても外ではできない。そのため練習の最初にミーティングをすることにしました。合宿の振り返りです。
くじ引きをしてピックアップしてその者に前で話をさせました。それぞれに感じたことはあったはずです。上手く言葉に出来るかどうかよりも肌で感じた多くの事を伝えられたらいいなと考えていました。数人が話をした後に更に男女キャプテンに話をさせました。ここまでは具体的に「強くなるためのキッカケ」をつかむための話にならなかったので。他校との違いを話していたり、きつい中で最後まできちんと頑張れたという話になりがちです。そのためやはりきちんとした話をしていきたいなと。
男子キャプテン、「練習が楽しかった」と話していました。私がインターハイで不在の時の走り込み、本当に雰囲気が悪かったようです。なんでこんなに走らないといけないのか、という雰囲気が前面に出ている。本来であれば「強くなるため」にやる練習でなければいけない。現状ではそうではない。声も出ず悲壮感の中での練習だったようです。その後、考えられないような事が起きて更に雰囲気は悪い方向へ。その中で何とか立て直そうとしていたようです。自分が強くなるための練習をしたいのに、それ以外のことを気にかけないといけない。リーダーとしては必要なことだと思いますが高校生にとってそれはかなりしんどいことだと思います。特に不在時ですから責任を感じるかもしれません。
が、今回は「強くなりたい」と思っている者が集まって練習をしている。うちの選手がどうこうよりも「どんな練習でもやってやる」という気概のある選手が複数いました。それによりキツくても「強くなりたい」とシンプルに思えたのだと思います。純粋に強くなりたいと思う。その選手の感情は何よりも大切にしなければいけないと思います。
また、女子キャプテンは「やらされる練習から抜け出す」という話をしていました。今回の練習、かなりきつかったと思います。その中で「自分が強くなるために必要」だと考えて積極的に取り組む。嫌々やるというのではなく自らのためにやる。そのために声を出す。暗い雰囲気にならずに自らの進んで声を出し雰囲気を明るくする。150mを何本も走る中で挫けそうになるときもあった。それでも周りが声を出してくれる。励ましてくれる。その中でだからやりきる事が出来た。雰囲気づくりは必要不可欠なのです。
今回、集団の後ろにいて指導者の話を聞けていない者がいた。それは普段の練習と同じではないか。自分のためにやるという感覚。話をきちんと聞かずに単にやるだけというのは違うのではないか。そんな話でした。
感じ取る力が高くなってきているなと思います。すごく大切な感覚。
更には前任校で1年間だけ指導をした選手が練習に参加してくれていたので前で話をしてもらいました。二年生になる前に私が転勤したのでそれ以後は合同練習や合宿などで極力関われるようにしていました。高校卒業後は高専に編入して競技を続けてくれています。今のベストは11秒04。大幅に伸びています。ここには大きな理由があると思います。
彼が一年生の時、三年生がかなり強かった。100mで2人インターハイに進みました。そのためそのレベルに合わせたメニューの組み立てになっていました。一年生はとにかく「やるだけ」になる。与えられたメニューをひたすらやる。意味も考えずやるだけ。それが私が転勤する事になり「危機感」を持ったとのこと。これまで当たり前だった事が出来なくなる。メニュー自体もこれまでの部分を参考に組み立てないといけない。これまでは「やるだけ」だったのがきちんと「なぜこの練習をやるか」の意味を何度も何度も話し合ってやっていったとのこと。彼らは「私が伝えてきたこと」以外に練習ベースはありません。それぞれの意味、効果を考えながらやっていったのだと思います。
今、1人で練習するようになってその時の経験が生きているとのこと。先生のメニューは様々なことをやる。その中に自分が強くなるためのキッカケが散りばめられている。その事を理解して「何をやろうとしているのか」を考えられれかどうか、だと。まさに。こちらが伝えてもらいたい事を私の代わりに言ってくれています。やらされる練習ではなく自分のためにやる練習にならなければいけないのです。
時間があるときには陸上のことを考えるようにしていたとも。動画を見てイメージを作ったり、こういう動きをしたらもっと速く走れるのではないかと考える。ここの部分の感覚。やっているとチーム内で意識の差が大きくなる。そんな時は自分から進んで陸上の話を持ちかけみんなで陸上について考えるようにしていた、と。全ては自分達のためにやる。その感覚は大切。
ここには繋がる部分があります。ミーティングが終わった後に練習日誌を見ました。ここで意識の差が浮き彫りになる。
何人かは間違いなく「提出」と言われたから慌ててまとめ書きをしています。実際にやっていない内容を書いている者もいました。「○○をやった後に走ったら感覚が良かった」と書いていましたが、他の選手の日誌を見るとそのメニューは記載されていません。確認してみると天気が悪かったのでそのメニューは省略したとのこと。メニュー表を渡していますから連休中に見ながら書いたのでしょうか。これは顕著な例ですが「怒られるから仕方なく日誌を書く」という感覚。
女子キャプテン、インターハイから戻ってきた時の日誌に「来年は絶対に自分がこの舞台で走る」と書いていました。他校のバトンを見ての感想などをルーズリーフ1枚、びっしりと。更には記録会や国体最終が終わった後の日誌も自分の課題となる部分を3つに分けて記載していました。この部分を改善しなければ自分はこれ以上強くならない、と。合宿においても150m20本に対する想い、どのように練習に取り組んだか。技術的な変化について詳しく書いていました。
これは間違いなく「自分のために書いている日誌」です。言われたから書くのではない。自分自身の内面と向き合うために書く内容。
これまで指導してきて日誌の内容が自分自身のために書けるようになった選手は100%の確率で強くなりました。練習メニュー云々ではなく「強くなりたい」と心から願うからです。そのためには自分自身と向き合わないといけない。何が良くて何が悪いか。その日の練習でやりたいことがあってそれに対してどれだけできるようになったか。
前者は「宿題をやれ」と言われて答えを丸写しするだけ。とにかく出せば怒られないだろうという考えの中でやる。もっとも無意味だと思います。後者は宿題の中でわからない事があれば付箋を貼って詳しく記入して次に同じミスをしないようにする。一事が万事。その場を誤魔化すのと自分のためにやるのではそこから生み出されるモノが全く異なるのです。
日誌は自分自身のやったことを振り返る事ができます。私がblogを書くのもそれが大きな理由の一つです。書いている中で自分自身と向き合う事ができる。何が出来ていて、何が出来ていないか。これからどうやって取り組めば良いのか。それをきちんと考えられるのか。
単純なミーティングです。その中で感じ取る者は大きく変わると思います。きついけど頑張って走った、というようなものではない。大きな「差」があるのは仕方ないのかもしれません。が、やるからには「本気でやりたい」という選手に合わせるのが平等だと思いますね。
上手く書けません。それでも数人は本当に覚醒するだろうなと感じました。日誌に書く内容が全く違います。ここはすごく大切。
うーん。こんな内容だったのかな。まーいいや。書けるだけ書いておきます。練習に関してはまた別に。