kanekoの陸上日記

毎日更新予定の陸上日記です。陸上競技の指導で感じたことやkanekoが考えていることなどをひたすら書きます。

「部活動」の意味は??

2020-05-19 | 陸上競技

思うことを。とにかく「アクセス数が増えている」ことが不思議でたまりません。何度か書いていますが「それほど面白くない」と思っています。かなりマニアックなことを書いています。一般の人が見ても「こいつ何書いているんだ」を思われるかもしれない。基本的に「他者のblog」を読むことがないので私が書いているblogがどうなのかは分かりませんが。

 

「スポーツ」と「部活動」の違いは何かなと考えています。これがこれから先、自分の進む方向を示すのではないかなと。勘違いされやすいですが「部活至上主義」で陸上競技をやっているつもりはありません。以前コメントで書き込みがありましたが「技術指導だけしておけ」という意見もあるのだと思います。そういう「考え方」もあるのでしょう。私は違う。だからといって「技術指導だけすればいい」という意見がこの世に存在するというのも受け止めていかなければいけないのでしょう。それぞれが「考えること」がある。

 

生涯スポーツという言葉がある。やはり「スポーツ」というのは「楽しい」という中でやっていくものなのかもしれない。日本の「部活動」はどちらかというと「規律」を求められ「従わせる」ことが多いのかもしれない。最近はずいぶん変わってきていると思うが・・・。「コーチング」という視点から見るのかどうか。ここも考えていかなければいけないのかなと。

 

「スポーツをしている人」というのは何となく「きちんとしている」と思われがち。「ハロー効果」という部分もある。「競技力がある選手は人間性も素晴らしい」という偏見。実際はそんなことはなかったりする。「競技力」だけを求めていれば「力がある者が正しい」という見方をする人もいる。自分よりも「実績」がある人は素晴らしくて結果が出なかった選手に対して「見下す」こともある。もちろん、全員ではない。

 

ある組織の中心が「過去の競技力」や「過去の実績」によって編成されることは多々ある。そこには「俯瞰する」ことや「合理的に考える」という能力は問われない。これは「社会生活」のなかの大半はそうだと思っている。選手として競技力があったから「組織の上に立って動ける」というのはイコールではない。大きな差がある。

 

競技実績がある人が「白だ」と言えばそれは正しく聞こえる。私のような「普通のおっさん」が「黒だ」と言っても説得力がない。それは間違いなく「ハロー効果」だと思う。実験してみたら面白いと思うが競技実績がある人が「間違い」を言って私が「正解」を言ってどちらを信じるか。8割以上の人は「有名な選手が言っているのだから正しい」という評価をする気がする。

 

「部活動」は「多くの成功体験の上に成り立つ」という部分がある。ある選手が「速くなった」のだからその練習は正しい。経験則の中で「理論」が語られる。もちろん、全員がそうだとは言わない。指導者がいなくても「速くなる選手」がいるという事実もある。巡りあわせがよければ「指導は関係ない」という気もする。私からすれば「普通の選手」が「速くなる」というのが大きいのではないかと思う。そこに「重要なこと」があるのではないかなと。

 

「部活動」が一部では「進学するための一番の手段」となっているところがある。これは「部活動」なのかどうか分からない。中学生、高校生にとって「進学するための手段」として「結果」を求めるというのは少ないのかもしれない。しかし、指導者側にとっては「大きな要素」になる可能性もある。それにより「自分の評価」にもつながるから。こうなると「何のための活動なのか」というのは分からなくなる。こういうスタイルであれば今の状況からすれば「部活動なんかやらなくてもい」という世論が大きくなるのかもしれない。まー、そうでなくても「ブラック部活」みなたいな言い方をされて目の敵にされているのだから。

 

プロスポーツ選手でも「感情的」になって自分のプレーをコントロールできなくなる時がある。それにより「負けてしまう」ということも多々ある。そこに対してコーチが「足りない部分」を補うような形でやっていくのかなと。単純に「いわれたことをやっておけ」というスタイルではない。「対等の立場」でやっていく。まーこれに関しては「お金を払っているのだから勝てるようにしろ」という部分もあると思う。勝つために高いお金を払って「コーチ」を雇っているのだから。

 

「スポーツ」は「楽しむためのもの」だと思う。「部活動」も同じ部分があるとは思う。が、それだけではない。それは「教諭」が「コーチ」という立場になるから。行動において「相応しくない」と感じた部分があれば指摘する。叱責することもある。「子供だから仕方ない」という人もいるだろうが「ダメなものはダメ」というのを教えていくのもこういう場面ではないか。

 

「座学」として何かをやっているだけでは分からない部分もある。それが「他者と行動を共にする」ことで見えてくることが多々ある。それは今後のためにもきちんと指導していく必要がある。何かをやらせたら「不平不満しか言わない」という選手もいるだろう。その言葉を聞いたときに「周りがどう感じるか」を教えていくことは必要になる。「ああいう人だから仕方ない」と周りが妥協する場面が多すぎる。本当はよくなくても「言っても仕方ない」で終わってしまう。

 

これが「スポーツ」という場面だけであれば「自分には関係ないからいいじゃん」で終われるのかもしれない。別の場所でやればいいのだから。しかし、「部活動」は「学校施設」を利用しながらの「教育活動」になる。そうであれば「見て見ぬふり」をすることは「きちんとやっている選手」にとってマイナスになる。「別の場所でやる」という話にはならない。

 

「オンライン授業」がもてはやされる。「その場に行かなくてもできる」ということで。それが主流になるのであれば「学校」は「塾」には勝てない気がする。「学力」だけを追い求めて「点数を取る」ことだけをやるのであれば「他の活動を一切やらない」という中で「学力」に特化すればいい。「学力」が唯一の「人を評価する基準」となるのであれば「学校」よりも「塾」のほうが効率は良い。

 

「競技力」だけが唯一の「評価」である活動と何ら違わない。多くの活動の場面で「多様性」を認めていくことや「自分に足りないこと」に気づく、気づかせる場面は必要だと思う。「部活動」というのはそういう場面なのかなと思っている。「速くなる」ことを通じて「様々なこと」を身に付けていく。中途半端にやるのではなく「徹底的にやる」ことで見えてくるものがある。

 

「勉強だけ」「部活動だけ」という話をしているのではない。色々なものはつながっている。そのつながりを大切にしなければいけない。それが「学校」なのかなと。「部活」が批判されることは多い。今の私がやっていることも「批判の対象」なのかなと思う。選手からは「いつも怒られる」という話にしかならないのかもしれない。信念はある。それが「今」ではなく「これから先」選手が気付くことになるのかもしれない。

 

「結果」というのは「何か」を考えたい。

 

あー結局まとまらないんです。いつものことです。気が向いたらまた書きます。書きたいことを勝手に書いているだけなので。

 

とりあえずここまで・・・。では。

 

 

コメント
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