kanekoの陸上日記

毎日更新予定の陸上日記です。陸上競技の指導で感じたことやkanekoが考えていることなどをひたすら書きます。

やり場のない想い5

2020-05-24 | 陸上競技

書き続けています。何の意味があるのか。それさえも分かりません。しかし、記しておきたい。強くそう思います。

 

「代替の試合」が実施される。それはそれで意味があると思います。しかし、忘れてほしくないのはこの子達は「インターハイ」を目指して、「中国大会」を目指して、「県総体」を目指してやってきたのです。その「想い」というのはどのような形であっても「消化できない」と思います。「走って終わればいい」という単純なものではない。「これまで頑張ってきたのだから」という理由で「代替の試合」を作る。甲子園が中止になる。「県で独自の大会をする」と声高に宣言する。高校生にとっては「高校の試合」だから必死になれたというのはあると思います。「試合をする」ことだけを求めて競技をやってきたとは思いません。

 

コメンテーターが甲子園中止に対して「新幹線を貸切って移動させてあげればいい」というようなことを言っていました。「本当に頭、大丈夫ですか??」と言いたい。表現は悪いかもしれませんが本音です。何が何でも「甲子園」をやる。そこが本当に大事なのか?現場を知らない人があれこれ言っても「机上の空論」でしかない。「身体を動かす程度」で「部活動をやる」という子供たちもいます。これは当然「あり」だと思っています。同時に「必死に自分の限界までやる」という子供たちがいることも「あり」だと感じています。

 

「大人が一生懸命にやれることをやってあげる」ことが大事だとコメントしていました。インターハイの代替試合をどのような形でやっても「インターハイ」ではないのです。当初、昨年度のランキングや「7月中旬までの記録」でインターハイを実施しようとしていました。インターハイは「日本一」を決める場です。国体もU20も同じ「日本一」ですが、「インターハイ」での「日本一」は子供たちにとって全く別ではないかなと思っています。支部大会、県大会、ブロック大会を勝ち抜いてのインターハイ。「記録」だけではない。「仲間」と一緒に目指していく場所。だから意味がある。

 

中学時代に実績がなくても「きちんとレースを走る」ことで勝ち上がっていける。「1発の強さ」ではなく「安定した強さ」を目指してやっていくのが「インターハイ」です。その代わりになるものは申し訳ないですが「提供できない」と思っています。だからこそ「言葉にならない」なと思っています。

 

「大学に進学する手段として競技をやっている」という選手はほとんどいないと思います。高校生にとって「目の前のインターハイ路線」は何物にも代えがたいのです。「結果を出せば大学に進学できる」という「想い」で競技をしている選手はいないと思っています。これは「プロ」がある種目でも同様ではないか。もちろん、活躍をすれば大学などから注目されます。しかし、「記録を出す」ことだけを求めてやっている選手というのがどれだけいるのか。

 

「やればいい」という話ではない。「今もこれから先もずっとなくならない」とキャプテンが書いていた。まさにこの部分だと思います。「県総体」をやればいいのか。もちろん、最初は「走る場所」を与えてあげたいなと私自身強く思っていました。この子達の努力が何の形にもならないで終わってしまうというのは避けたいなと。だから「7月末」にでも試合があればきっと「消化できる」と思い込んでいました。

 

が、それは全く違う。今の3年生にとって「県総体」はもうないのです。「試合をやる」ことを目指していたのではなく「仲間とともに進む」ことを目指してやってきた。「県総体」で勝ち上がって「中国大会」に進み、「中国大会」で勝ち上がって「インターハイ」に進む。ここを目指していたのです。

 

7月末や8月に「代替試合」がある。実際は夏休みが短くなって授業時間に充てられている時期です。同時に進学を目指す進学校の子にとっては「その時期に試合があっても続けることはできない」のです。「大人が一生懸命にやってあげる」とコメントしていた人たちには分からないと思います。子供たちは「現状の把握」ができています。そこを分からない人たちが「もっともらしい」意見を公言するのはどうなのか。絶対に分からないと思います。

 

「日本一を目指していた」選手にとっても「県総体で勝ち上がりたい」選手にとっても「現実」は辛いものです。そのことに対して我々がかけてあげる言葉は少ない。「戦う場」を失った選手たちにとって「消化不良」はずっと残るからです。

 

しかし、私は今の選手たちと一緒に競技に取り組めたことを「誇り」に思います。こうやって選手が「自分の考え」を示す時に「成長できた」と言葉にできる。他の選手、後輩たちに気遣いができる。自分が一番つらいはずなのに私に対しても配慮してくれる。本当に涙が出ます。号泣しました。この感情は他の人には分かりにくいかもしれません。選手と向き合ってきた自負はあります。「技術指導だけしておけ」とコメントされたこともありますが、「こちらが伝えたいこと」は選手に少しずつ伝わっていたのだなと感じました。

 

世界中が大きく変わりました。この中で「大切にしたいこと」の確認はできました。さらに「人の本性」という部分も見えてきます。「表面的」ではなんく「本当の姿」がどうなのか。ここは重要だと思います。きれいごとではない。

 

まとまりません。やり場のない想いが心の中にあります。それでも止まっていたら何もできません。しっかりと考えていきたいと思います。長文になりました。相応しくない表現があったかもしれません。

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やり場のない想い4

2020-05-24 | 陸上競技

まとまりません。言葉で表現できない感情が自分の中にあります。書くことで吐き出しているという感じがあります。

 

もう一人、3年生から連絡が。本当は直接伝えたかったけど難しいので文章で・・・と。この選手は「不器用」で「ハードルドリル」をやったら手と足が一緒になるという感じがありました。他のことをやってもなかなか上手くできない。上級生が全くいない中でやっていく。「乱される」ことはあっても「お手本」として「真似る」ことがない中で競技をしてきました。何度も何度も私に呼ばれて指導される。これは下級生があまりにも酷かったのでそのことに関して指導するという部分でした。練習をきちんとしない。それに対してどうするのか。時間を守らない下級生。練習をしない下級生。そこに対してかなりのストレスを感じている部分がありました。よく耐えていました。

 

そんな選手から・・・。

 

高校から陸上を始めて正直ここまで陸上に本気になるとは最初は思いませんでした。高校生活1番頑張ったことは陸上だと思っているし、ここまで本気でやってきたからこそ自分の納得いく形で陸上生活を終えたいと思っています。今まで何回かやめようと考えたことがあったけどここまで頑張ってきたことを崩したくなかったし、陸上が好きなのでここまで続けてこれました。自分がここまで本気で取り組んできたからこそ今のままで終わったら悔いが残ると思ったのでどこまでやれるか分からないですけど続けていく方向にしました。

 

これも涙なしには読めませんでした。1年生の時には400mで60秒くらいかかっていました。それが2年生になって52秒台に入る。この冬は「50秒台を出して中国大会」という目標を掲げていました。周りが見たら「無理だろう」と思うかもしれません。しかし、ひたむきにやり続ける。短長で苦しい場面でも前を向こうとする。冬季練習の時に「TVでバスケット選手のニュースをやってたので俺も膝に手をつきません」と言っていました。そういう姿。大きな成長だと思います。

 

実際、目の前に試合がありません。「納得」がどのような形なのか。これは誰も想像できません。本人が進むべきことをやっていく。それでいいと思います。

 

「日本一」を目指してやっていた選手もいます。同時にこうやって「何もないところからスタート」した選手もいる。ここはすごく大切な部分だと思っています。「強い選手だけ」が注目されるのではない。高校生にとって「県総体」は大きな意味があるのです。他の大会とは明らかに違う。「学校」があるからできる。一人ではなく「仲間」と一緒にやっていくから「意味」があって「本気」だから見えてくる景色がある。そこは間違いない事実だと思っています。

 

続いて書いていたのですがさらに長くなりそうだったのでいったん切ります。すみません。

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やり場のない想い3

2020-05-24 | 陸上競技

続きを。

 

また、別の選手からも連絡が。キャプテン。この選手も色々な「想い」を抱えていたと思います。昨年度悔しい想いをしてきた。この冬は誰よりも真剣に練習に取り組んでいました。この時点ではチーム内で一番強いかなという感じでした。昨年県新人で4位に入った選手と遜色ない。スタートの部分があるので勝つのではないかなという感じで冬季練習をやってきました。幼い部分もあったので何度も何度も衝突しました。過去最高レベルの衝突だといってもいいくらいだと思います。それでも「速くなりたい」という気持ちは誰よりも大きい。それだけは分かっていたので向き合ってきました。

 

その選手からも連絡が来ました。

 

この状態で自分自身、やりきったってまだなかなか。引退っていうのが言葉で言えても頭の中ではなんかつっかかります。陸上が大好きなので陸上を離れるっていう選択がまだできません。大会がなくなり目標がないまま続けるのも辛いけどそれ以上に今まだ、曖昧な気持ちで陸上を離れるのはもっと辛いです。・・・本気で目標に向かって追い込むのは無理ですが、自分が今年活躍できなかった分、後輩に活躍して欲しいので、自分もやりながらもドリルなど自分ができる範囲で教えていきたいです。・・・まだ引退しますとは言えないので気持ちの整理がつくまで納得がいくまで陸上部にいます。

 

さらに。

 

一回インターハイを経験しているからこそ、もう一回先生とみんなとインターハイに行きたかったです。これは本当に今でもこれから先もずっと思うとおもいます。

 

この言葉。本当に胸に突き刺さりました。これまで「自分」が中心で進んできた。それがキャプテンになり学年が進んで大きく成長したと思います。自分の辛さも周囲への気遣いもできるようになっている。「速くなりたい」という「想い」が大きくあったからこそ成長できたのだと思います。涙が止まりませんでした。

 

競技を通じて人は成長する。今のご時世、「部活動不要論」はあります。やる必要ない。そう主張する人も多い。競技をするなら「社会体育でやればいい」と。私自身も少し前までは「やりたくないならわざわざ入ってやる必要はない」と思っていました。「人間的な成長」を求めていく部分がある。

 

「オンライン」が「今の教育だ」と声高に叫ぶ教育評論家。「学習」がどれだけ大切なのかを主張する。もちろん、大切な部分だと思います。しかし、「部活動」で成長していく子供たちがどれだけいるのか。「勉強」さえしておけばいいのであれば「学校不要論」がメインになります。塾に行って勉強だけすればいい。経済格差が懸念されるなら「オンライン授業」の内容を文科省が買い取ってそれをひたすら流せばいい。

 

学校でしかできないことがある。うちのキャプテン、中学時代は単独でやっていました。「競技は一人でできる」という感じがあったのだと思います。それが2年間の時間を過ごして上述のようなことが言えるようになる。「後輩」に対しての「想い」も口にできる。それが「学校」や「部活動」が持つ「教育効果」なのではないか。気づかなかったことに気づけるようになる。それは我々が「教え込む」のではなく「実体験」を通じて肌で感じていく。だから人は変わる。真剣に衝突することもある。それも「現場」だからできることではないか。そう思っています。

 

うーん。また書きます。まとまりません。この子達の「想い」は永遠に消えない。それだけは確かです。こうやって「成長」や「想い」を聞けること。これは私にとって本当に大きな部分です。私自身もこの子達のことは絶対に忘れられません。・・・。また書きます。

 

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やり場のない想い2

2020-05-24 | 陸上競技

続きを・・・。

 

「7月の記録会」の中止が分かる前の段階で「個人面談」がありました。学校が始まる前の段階で3年生の状況を把握しておくという感じで。色々とありましたから3年生は「不安」を抱えていると思います。そうであればこちらもしっかり対応していく必要があります。当然の話です。

 

その面談の中で担任をしている選手が最初から「ちょっと元気がないな」と感じました。進路の話をしていたというのもあると思いますが。「これは・・・」という感じがありました。話をしていくと「引退しようと思う」ということでした。前日まで毎日練習が終わった後に「様子」を報告してくれていました。少しずつ走りが作れているという感じを受けていました。それだけに「どうしたのか?」という部分がありました。

 

「県総体がなくなり中国大会、インターハイもない。」この言葉。私にとっては重かったですね。この冬、どんな思いで練習に取り組んできたのかは近くで見てきました。昨年、県総体で200mで7位となり中国大会に進めなかった。それをばねに県新人で3位に入り中国新人へ。中学時代に実績はない。決勝に残ったことがない選手が努力を積み重ねて中国大会をつかんだ。そしてこの冬は「リレーでインターハイへ」という思いの中で進んできた。それが「もうない」という状況の中でどうするのか。

 

私にそれを言うのは本人的にはかなりしんどかったと思います。それでもきちんと伝えてくれました。選手には前から言っていました。「自分の考えていることをしっかりと話してほしい」と。なんとなく引退するのではなく「しっかりと自分の考えを持ってほしい」という部分。譲れない部分です。この状況で私が「引き留める」というのはできません。自分の判断です。途中で「辞める」というのとは違います。やりたいけど何のためにやっているのか分からないという状況。それが痛いほどわかるから止める理由がない。

 

自宅の近くに「実業高校」がありますが、わざわざうちの学校を選んできてくれました。この意味は大きいと思います。「競技をしたい」という考え。周りがどこに進学しようと「競技を一生懸命できる環境」を選んでくれた。結果、これまで果たせなかった大きな目標を果たすことができた。そして「これから先」をみてやってきた中での「決断」です。本人もしんどかったと思います。

 

その話を聞いて全体にもう一度投げかけました。「記録会もない」状態でどうするか。しっかりと考えてほしい、と。7月末か8月上旬に「県内選手限定」で県選手権を実施する可能性がある。これも実際にできるかどうか分からない。「しっかりと進退を考えて欲しい」と。「何が何でも続けろ」とも「もうやらなくてもいい」とも言いませんでした。いや、言えませんでした。3年生の「想い」を考えるとこちらがなんと言葉をかけても「エゴ」になるのではないかと思っていたからです。一番辛い3年生に対して「想い」を尊重することにしていました。

 

上述の選手、夜個別に連絡をくれました。保護者と話し合って「引退する」ことにしたと。今まで走っているだけだった練習も高校に入って指導を受けて、初めて陸上競技を知れたと思っています。不完全燃焼なところはあるけど、とことんやって強くなろうという目標は叶えられたと思います。人としても選手としても成長できたと思っています。この文章を読んで涙が止まりませんでした。こうやって書いている中でもまた涙が出てきます。この子がどのような「想い」で「最後」を迎えたのか。考えると辛すぎる。しかし、その「選択」を何よりも尊重したいと思っています。

 

長くなりそうなので記事をいったん切ります・・・。すみません。

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やり場のない想い

2020-05-24 | 陸上競技

思うことを。これまでも書こうかなと思っていましたが・・・。

 

競技に関して。突然のように2月末に学校が「休業期間」に入りました。卒業式も卒業生のみ。きちんとした「別れの場」が作れない中での卒業。在校生は「先が見えない状態」で休業に入っていきました。この時点では「競技会」については一切触れられていない。通常通り試合が実施されるのではないかと信じて各自が練習に取り組むという形でした。

 

3月の「休業期間」に関してはかなり練習ができたと思っています。選手が練習について自分で「概要」を作成してそれに対してこちらが「詳細」を作り直す。毎日のように全員分をやっていました。作成しない者は一人もいない。集まって練習するというのは許可できないので「個人でやる」という感じでした。練習道具を持って帰って実施するという形。「なんとなくやる」というのではなく「計画をして練習をする」という部分を重視していました。「思い付き」で練習をすることが増えます。「身体を動かす」というのが目的ではなく「競技力を高める」ことを狙いとしてやっています。過不足が出ないような練習をしていかなければいけないと思っていました。

 

3月末、日本陸連から「6月中の競技会を実施しない」という通達が出ました。他の競技に先駆けてという部分がありました。春季サーキットの実施の関係もあったと思います。先が見えない状況で「6月末まで」というのは大きな衝撃を受けました。このことは当時blogに記していると思います。この段階で選手に対して「選択する」という話をしました。6月末まで。これは「5月末に県総体がない」という事実を意味します。この時点では「県総体中止」ではなく「県総体延期」ということになっていました。「先が見えない状況で本当に練習を続けることができるか」という部分です。かなり話をしました。選手を前に話をするということでこちらも涙を流しながらの対応でした。この子達の「想い」を考えると単純に「前を向いて練習をしよう」とはいえないからです。

 

実際、選手には「たぶんインターハイは実施されない」という話もしていました。状況が状況だけに「全国各地から人が集まる」というのは難しいと考えていたからです。「県総体延期」で「インターハイは通常通り実施」というのは考えると無理だろうなという感じがあったので。その部分も含めて「進退を考える」という提案をしました。「そんなに早く言う必要があるのか」と批判されるかもしれません。実際に「インターハイ」が実施されたらどうするのか。そういわれる可能性もあります。が、「暗闇の中ひたすら進め」ということが本当に「意味のある事」かどうかです。

 

さらに5月のGWに行われる予定の県選手権。通常であれば早い段階で「中止」または「延期」という判断をする必要があります。しかし、これも他県と比べてかなり遅い判断。申し込みをする必要があるのかどうかを他の指導者と悩みました。「実施される可能性があるのか」という部分。通常考えれば絶対に不可能です。県外に出ている大学生が戻ってきて試合に出るというのはほぼ不可能。そういう部分も踏まえての判断なのか。結局、申し込みをした後に「延期」が決まる。選手には「あるかもしれない」としか伝えられない状況でした。

 

この段階では選手は「7月に県総体があると信じて取り組む」ということでした。これは非常にしんどいなと思う部分がありました。4月に入って練習として学校で集まってできるようになりました。前向きに練習ができているなという感じを受けていました。通常、大会が実施されるかどうかわからない状況での「練習」というのは難しい。それでお「7月に実施されるであろう県総体に向けて」やるという思いで進んでいました。2週間経過してから、2週間の「自宅待機」期間となる。これにより私だけではなく選手も「自宅待機」となります。この2週間というのは大きいなと思います。この期間の終了とともに「山口県での県総体の中止」という通達が。私よりも選手のほうが先に知っていました。辛すぎる。

 

ここでもう一度、全体に連絡をしました。2・3年生に対して「進退を考える」という部分の話をしました。このあたりで中国大会も実施されないというのは決まっていたと思います。インターハイも実施されないだろう。それに加えて大きな目標であった中国大会までも実施されない。その中で「何を目標に進むのか」という部分。「7月に記録会があるかもしれない」という話はしていました。が、県総体と記録会では重みが違う。この時は「走る場所を提供できれば」と考えていました。実際、その話をして以後「現実」を突き付けられることが何度かありました。この状況で本当に競技会がができるのか。うちの選手を守る。それだけではなく「県内のすべての選手を守る」ということを考えると「7月に競技会」というのが適切なのか。

 

そしてこの「7月の記録会」も「中止」となる。この段階で「3年生」に対してどうするのか。「前を向いてやれ」というのは完全に指導者側の「エゴ」だと思います。「走る場所を」という思いがないわけではないですがそれは「こちら側の理論」でしかない。「選手の立場」からすれば「何のために?」「いつまで?」という気持ちが大きくなると思います。「7月の記録会」というだけで「進学校」にとってはすでに「参加する可能性はない」という大会になっています。すでに2か月勉強が遅れていてその中でまだ2か月も練習を続けていくことができるのか。「インターハイが8月だからそこまではやってみれば?」なんてことはナンセンスです。「力を試す」場所さえない状況で何を目指してやるのか。

 

「穴を掘れ」といって掘らせる。が、入れるものがないので「埋めて」といって穴をふさぐ。それを何度も何度も繰り返すことができるのか。私には無理だと思いました。選手にとって「意味のある時間」を過ごさせたい。それが一番の信念です。「続けることに意味がある」という人もいるのかもしれません。その「意味」を教えてもらいたい。「何もなくても続けていくことが大事だ」というのは違う。そう感じていました。

 

まとまりません。長くなるのでいったんここで切ります。

 

 

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