書き続けています。何の意味があるのか。それさえも分かりません。しかし、記しておきたい。強くそう思います。
「代替の試合」が実施される。それはそれで意味があると思います。しかし、忘れてほしくないのはこの子達は「インターハイ」を目指して、「中国大会」を目指して、「県総体」を目指してやってきたのです。その「想い」というのはどのような形であっても「消化できない」と思います。「走って終わればいい」という単純なものではない。「これまで頑張ってきたのだから」という理由で「代替の試合」を作る。甲子園が中止になる。「県で独自の大会をする」と声高に宣言する。高校生にとっては「高校の試合」だから必死になれたというのはあると思います。「試合をする」ことだけを求めて競技をやってきたとは思いません。
コメンテーターが甲子園中止に対して「新幹線を貸切って移動させてあげればいい」というようなことを言っていました。「本当に頭、大丈夫ですか??」と言いたい。表現は悪いかもしれませんが本音です。何が何でも「甲子園」をやる。そこが本当に大事なのか?現場を知らない人があれこれ言っても「机上の空論」でしかない。「身体を動かす程度」で「部活動をやる」という子供たちもいます。これは当然「あり」だと思っています。同時に「必死に自分の限界までやる」という子供たちがいることも「あり」だと感じています。
「大人が一生懸命にやれることをやってあげる」ことが大事だとコメントしていました。インターハイの代替試合をどのような形でやっても「インターハイ」ではないのです。当初、昨年度のランキングや「7月中旬までの記録」でインターハイを実施しようとしていました。インターハイは「日本一」を決める場です。国体もU20も同じ「日本一」ですが、「インターハイ」での「日本一」は子供たちにとって全く別ではないかなと思っています。支部大会、県大会、ブロック大会を勝ち抜いてのインターハイ。「記録」だけではない。「仲間」と一緒に目指していく場所。だから意味がある。
中学時代に実績がなくても「きちんとレースを走る」ことで勝ち上がっていける。「1発の強さ」ではなく「安定した強さ」を目指してやっていくのが「インターハイ」です。その代わりになるものは申し訳ないですが「提供できない」と思っています。だからこそ「言葉にならない」なと思っています。
「大学に進学する手段として競技をやっている」という選手はほとんどいないと思います。高校生にとって「目の前のインターハイ路線」は何物にも代えがたいのです。「結果を出せば大学に進学できる」という「想い」で競技をしている選手はいないと思っています。これは「プロ」がある種目でも同様ではないか。もちろん、活躍をすれば大学などから注目されます。しかし、「記録を出す」ことだけを求めてやっている選手というのがどれだけいるのか。
「やればいい」という話ではない。「今もこれから先もずっとなくならない」とキャプテンが書いていた。まさにこの部分だと思います。「県総体」をやればいいのか。もちろん、最初は「走る場所」を与えてあげたいなと私自身強く思っていました。この子達の努力が何の形にもならないで終わってしまうというのは避けたいなと。だから「7月末」にでも試合があればきっと「消化できる」と思い込んでいました。
が、それは全く違う。今の3年生にとって「県総体」はもうないのです。「試合をやる」ことを目指していたのではなく「仲間とともに進む」ことを目指してやってきた。「県総体」で勝ち上がって「中国大会」に進み、「中国大会」で勝ち上がって「インターハイ」に進む。ここを目指していたのです。
7月末や8月に「代替試合」がある。実際は夏休みが短くなって授業時間に充てられている時期です。同時に進学を目指す進学校の子にとっては「その時期に試合があっても続けることはできない」のです。「大人が一生懸命にやってあげる」とコメントしていた人たちには分からないと思います。子供たちは「現状の把握」ができています。そこを分からない人たちが「もっともらしい」意見を公言するのはどうなのか。絶対に分からないと思います。
「日本一を目指していた」選手にとっても「県総体で勝ち上がりたい」選手にとっても「現実」は辛いものです。そのことに対して我々がかけてあげる言葉は少ない。「戦う場」を失った選手たちにとって「消化不良」はずっと残るからです。
しかし、私は今の選手たちと一緒に競技に取り組めたことを「誇り」に思います。こうやって選手が「自分の考え」を示す時に「成長できた」と言葉にできる。他の選手、後輩たちに気遣いができる。自分が一番つらいはずなのに私に対しても配慮してくれる。本当に涙が出ます。号泣しました。この感情は他の人には分かりにくいかもしれません。選手と向き合ってきた自負はあります。「技術指導だけしておけ」とコメントされたこともありますが、「こちらが伝えたいこと」は選手に少しずつ伝わっていたのだなと感じました。
世界中が大きく変わりました。この中で「大切にしたいこと」の確認はできました。さらに「人の本性」という部分も見えてきます。「表面的」ではなんく「本当の姿」がどうなのか。ここは重要だと思います。きれいごとではない。
まとまりません。やり場のない想いが心の中にあります。それでも止まっていたら何もできません。しっかりと考えていきたいと思います。長文になりました。相応しくない表現があったかもしれません。