続きを。前の記事にも書いていますが「3年生になっていきなり担任をした」という部分が自分の中ではかなりネックになっていました。学校行事なども一緒にやっていません。修学旅行にも一緒に行っていない。今年は学校行事などもほとんどないので写真を撮る機会さえもなかった。この中で私が「担任」としてこの子たちに受け入れられているのかどうか。そんな気持ちを抱えながらの1年間でした。
例年であれば色々企画したいなと思っているのですが、今回は「できるだけ早く終わる」というような流れがありました。最大で1時間程度ということでした。そのためほとんど何もできないなと考えていました。生徒には事前に何かやりたいことがあるか?と聞いていました。「一人ずつ前で一言話をする」ということだったのでそれを実施。いつも通りの感じですね。一人1分話すかどうか分かりませんがそれで40分くらいかなと。私が少し話をして最後に「全体で写真を撮りたい」という要望に応えて1時間程度か。そんな計算でした。
一人ずつ卒業証書を手渡す。この時に一言ずつ前で話をしてもらうことにしました。特別なことができないので今回は私が自分でポストカードをを作成。私自身が一番好きな言葉を送ることにしました。
最期にこのことについても話したいなと思って。この裏側にはメッセージを書いて送ることに。何か特別なことができない今だからこそ「気持ち」だけは伝えたいなと。そう思ってポストカードを作りました。
前で生徒が一言ずつ話す。今年は学校行事がないので朝のSHR時に「1分間スピーチ」を行っていました。1回目のテーマは自分の「好きなこと・もの」。2回目のテーマは「近い将来にやってみたいこと」。少しのことですが人柄が分かります。人前で話すのは嫌だという生徒もいますが強制的に。就職試験、進学の面接にも役立つだろうなと思って。その流れがあるので少しは慣れていたかなと思います。
人ひとり色があります。うまく話ができない者もいますがそれはそれでいいと思います。保護者に感謝を伝える者も。こういう機会だから言えることがあると思います。すごく大切なのかなと。涙を流して言葉が出ない生徒もいました。
何人かは「クラスが替わって本当にやっていけるのか不安だった」と口にしていました。新しい学期が始まってすぐに休校になったのも影響していると思います。それでも「明るく前向きなクラス」だったと自負しています。口々に「このクラスで良かった」と。救われます。私自身が抱いていた不安は払しょくされました。良かった。
ここで私が話をして終わるという流れに。が、主導権を生徒に奪われました。ん??という感じ。「先生、ポストカードを一人ずつ書いてくれたのですが、私たちからも」と。何?という感じでした。「一人ずつ先生に感謝の言葉を伝えたいと思います」と。これは・・・。卒業式の際にクラスの生徒から花をもらうことがあります。儀式的な部分かなと。しかし、今回は39人の生徒が一人ずつ1輪ずつ花を持って前に出てきて一言ずつコメントを・・・。ズルい・・・。「先生はさっきからウルウルしていたので泣かそうと思います」と(笑)。花を一輪ずつとメッセージカードをもらいました。
一人ずつが前に来ます。目を見ながらコメントをくれます。感激しない話はありません。涙は堪えながらですが。「先生が担任で良かった」と社交辞令かもしれませんが言葉にしてくれました。「SHRの時の先生の話が面白かった」「最初はこれはやばいと思っていたけど、怒らせなければ問題ないことが分かった」などの言葉がありました。エビの話、ラーメンの話、どうでもいい話。様々な話をしていました。「他の先生と比べると距離が近く感じた」とも。これも嬉しいですね。別にこの子たちに合わせるつもりはありません。自然体で話をするだけ。掃除の時間や休み時間に雑談もします。私が話をしたいだけ。それで生徒たちが「学校に行きやすい」と思ってくれるのであればありがたい。
部活の選手もいます。この子は「担任の名票を見たときに驚いた。初日に先生が入ってきたから夢かもしれないと思っていたが、次の日もその次の日も先生が来たから夢ではなかった・・・」と(笑)。まー部活もクラスもとなるとなかなかだとは思います。仲は悪くありません。問題ないです(笑)。
これだけでかなりの時間を要しました。私自身が主役になる場面ではないのですがこうやって「感謝」の言葉を伝えられると本当に幸せだなと思います。良い生徒に恵まれました。
最期に少しだけ話をしました。元々3つだけ話をしようと思っていたからです。その前に「いきなり担任だったので戸惑いがあった」ことだけは話しました。しかし、こうやって一人ずつ花をもらう経験はこれまで一度もない。本当にこのクラスの担任で良かったと。これは2学期末にも伝えています。思ったことはきちんと伝えておきたいので。
1つ目は『ポストカード』に書いてある言葉について。とにかく「一生懸命にやる」ことが大事。これは重要だと思っています。適当にやっていたら何も生まれません。一生懸命に物事に取り組むから壁にぶつかる。その時に「どうすればこの壁を超えられるのか」と考えるようになる。中途半端やいい加減だとその時に「真剣になれない」のです。物事に一生懸命に取り組む。ここが重要だと。
2つ目はミスチルの歌から。これは学校新聞にも書きました。そのことを文字ではなく自分の言葉で伝えたかった。「羊吠える」という歌の歌詞に「良いこと49嫌なこと51の比率」というのがあります。特別な歌詞ではない。しかし、私の中に印象的に残っています。大半の人は「自分はいいことはない」と思います。嫌なことのほうが印象が強いからです。しかし、良いことも49はある。嫌なことのほうが少し比率的には多いかもしれないけれど、ずっとずっと嫌なことばかり続かない。必ずいいことが同じくらいくる。しんどい時もあれば必ず「良かった」と思える時がある。そう思って生活できればしんどい時も乗り越えていけるのではないか。
3つ目は「バッシング論」の内容から。タイムリーです。自分の中の「正義」をどう思うか。私自身は自分を一番疑っています。何かあれば「自分がミスをしているのではないか」と考えます。提出物が出ていなかったら「私がなくしたのかもしれない」と思って必死に探します。それでもなかった場合、「提出物出した?」と聞くようにしている。自分自身が「正しい」と思えば自分自身の「正義」を他者に押し付けることになります。自分自身が「正しい」と思い続けるのではなくいつも自問自答しながらやっていく。それが物事をうまく進めていくためには必要ではないかと思う。
まー雑な話かもしれません。それでも今伝えたいと思うことは言葉にする。これは今までも一緒。クラスの中で何かあれば必ず真面目に話をするようにしています。タイミングは逃したくない。
私自身がこの子たちに救われていました。学期当初から本当に嫌なことが続きました。職場に行きたくないと思うことも何度も。それでもクラスに行けば生徒がいて。色々な話をして。雑談をして。その中で救われてきました。「先生が担任で良かった」と言ってくれましたが「この子たちの担任をさせてもらって本当に感謝」という部分も伝えました。本当にそう思います。
最期に写真を撮って終了。忘れられない時間になりました。
全ての花を飾るとこんな感じになりました。持ちきれないくらいの量です。一つにまとめるとさらに大変なことになります。本当にありがたいことです。何度も担任をさせてもらっています。こういう部分があるから大変なことがあってもやりきれます。今年のように進学も就職も一度に対応しなければいけないという「しんどいこと」がありましたが、最後に「良いこと」がやってきました。必ずやってくる。そう思っています。
クラスの生徒のこれからの人生が幸多きことを心から祈ります。本当におめでとう。