自分自身でいろいろな想いがあって。それを言葉で表現できない部分がある。難しいですね。
葛藤。「どこを目指すか」という部分。この葛藤の中でタイミングよくなのかタイミング悪くなのか「練習を見てほしい」という流れにありました。これが4・5日に。プライベートな時間なので好きに使いたいなと思っています。「練習を見てほしい」と言われて「嫌です」とは言わない。よほど予定合わない限りは「良いですよ」と答えるようにしています。
スプリントの基礎とハードル基礎。この部分はやっておいて損はないと思っています。これから先につながる部分です。自分自身も「基礎」の部分を再確認することができます。段階を追って練習を組み立てていくのが私の好きなパターンです。「練習を見てほしい」という部分があったので今やっている練習に合わせてポイントになる部分を伝えるという感じでしょうか。前任校の選手と一緒に指導していて異動された指導者の学校の選手を教えることに。
本当に本当に基礎的な部分。前任校の選手には何度も話してきています。しかし、人は忘れる。そして言われなければ疎かになる。この部分の徹底をどれだけするのかという部分は「指導者のこだわり」だと思っています。丁寧にやる。が、あまり多くの情報を提供しても混乱を招く。そういう部分では「自分を見つめなおす時間」だったのかもしれません。
前の記事にも書きましたが「どこを目指すのか」というのが自分の中で処理できない感覚がありました。どうするのが正解なのか。日本一を目指す練習をするのか、基礎的な力を上げていくための練習をするのか。これまでも「日本一」を目指す選手に国体の関係で何度も何度もかかわってきました。その指導の中から気づくこともある。一昨年のkrk君に関してはこちらが「やりたい」と思うことと本人の感覚が一致するのでこちらも「楽しい」と思う部分が多くありました。日本一を目指す中で「楽しい」と思う感覚。
同時に前任校の選手の指導をさせてもらう中で「できないことができるようになる」という「楽しさ」を感じました。一緒に練習していたときにはできていたのに細かい部分が疎かになってできなくなっている部分がある。それを丁寧に修正していくことで再びできるようになる。その時に「嬉しそうな表情」は私にとって幸せな時間だと感じました。これも私にとって「楽しい」のです。
自己矛盾のような感覚がありました。正直、どちらも「楽しい」のです。選手にはそれぞれの目標がある。その目標に向けて進んでいく。それを手助けするという部分ではどちらも変わりません。見えてくる景色が違うのかもしれませんが自分の中では「同じ」なのです。それでも「13秒台を目指す」という練習と「中国大会に進む」という練習では違う部分が出てきます。どちらか一方の練習しかできないとなると自分は何を選ぶのか。
そんなもやもやがずっとありました。「楽しさ」の違いが自分の中で明確にできない。どちらも「楽しい」という部分。こういう性格ですからこれが自分の中で苦しさに変わっていました。何をやるのが正解なのかわからない。進めないなという感覚。そんな中で「ハードル基礎」を教えることに。本当に基礎的なことです。それができない。が、できるようにしていくことで間違いなく記録は伸びていきます。繰り返し書いていますが17秒かかっていた選手が15秒3で走るというのは「基礎の徹底」の影響だと思っています。それができなければ絶対にその記録まで届かなかった。中学時代に特別に強かったわけではない。それでも日々の積み重ねで15秒3で走れるようになる。この「楽しさ」は言葉では表現できません。
同時に14秒8だった選手が14秒5を切るために何をするのか。これは見ていて感じた部分を練習の中に入れていきました。中間以降のピッチの維持。これをどうやって身に着けさせるか。限られた時間の中で最大限の効果を高める。少ない本数で最大限に質を上げる。これは自分が経験したことのない話になるのかもしれません。未知の部分に対してどのようにアプローチしていくのか。十分だったかどうかはわかりませんが幸い「結果」につながりました。それにより選手は償る目標に進んでいくのだと思います。
指導をしているときに親しい指導者が「楽しそうに指導している」と言っていました。この日の練習もですが、前回14秒5を切るために何をするかという練習の指導をしているときも「楽しそうに指導している」と言っていました。どちらか一方だけではない。分かりきっていることなのですが自分の中で「別物」としてとらえている部分がありました。少し話が前後しますが苦しくなって最も尊敬する指導者に相談しました。「13秒台を狙う練習」と「中国大会を目指す練習」に関しての自己矛盾があるのだと。答えは単純でした。「同じことやろ」という返事。「強くなったら特別なことをやる」というのはこれまでも「だから上手くいかなくなる」という話をしてきました。客観的に見たときには「余計なことをするからうまくいかなくなる」というのがわかっています。しかし、自分のこととなると「何が正解かわからない」という感情になる。
正確に言うと「13秒台」と「中国大会」は自分の中で「別物なのではないか」と考える部分がありました。頭では「同じ」だとわかっていても「心」の部分でうまく処理できない。トップを目指す練習を否定するつもりはないですし、自分自身もそこを目指してやっていきたいという想いがあります。同時に「力がそれほどない選手が上を目指してやっていく練習」というがこれまでの中心だったので「日本一を目指す練習」に切り替えることでこれまでの自分の取り組み自体が否定されるような感覚があった。これにうまく対応できないので「競技って何だろう」という自己否定の感情が生まれていました。
「同じことやろ」という言葉。結局はそこに尽きるのです。競技力は違っても「やることは同じ」なのです。その競技レベルにあったことをやるだけ。目の前にいる選手が何を目指すのかに合わせてやっていくだけなのです。それが「13秒台」なのか「中国大会」なのかは関係なくて「その選手に必要なことはなにか」を考えて一番最適なものを見つけていく。ここに変わりはない。競技レベル云々は「後付け」なのかなと。
まとまりません。もう少しだけ書かせてください。