わけのわからないことを書いています。お付き合いください。
私が「楽しい」と思うこと。これは「強くなりたい」と切に願う選手に対して「こうやったらもっと良くなるよ」と伝えること。できなかったことができるようになって選手の表情が明るくなること。ここに「楽しさ」を感じています。これは今も昔も何も変わらない部分です。そこには最低限の条件があって「一生懸命にやる選手」であるという部分。これは絶対に譲れません。表面的に「一生懸命やっています」という選手は間違いなくボロが出ます。これは行動などを見ていたらわかります。
4日に練習をしたと前の記事に書きました。この練習に前任校の選手とは別の選手が3人参加していました。選手の気持ちを考えると「何をするのかわからない」中にいきなり入れられて不安しかなったと思います。それでもわざわざ休みの日に練習に参加するために市外に来る。ここは本当に評価できる部分だと思います。今は力がそれほどないかもしれません。しかし、こうやって「強くなるためのヒント」を得ようとする姿勢がある限りは「応援したい」と思います。
逆に力があっても「何でこんなことをしないといけないのか」というような言葉を発したり態度をとる選手に対しては「応援したくない」と思っています。それが日本一になれる可能性がある選手であっても私自身の「楽しさ」とは違う。そこに対して頼まれても「断る」という行動に出ると思います。「一生懸命にやる」と言葉にしてもきちんとやらない選手はたくさんいます。そこに対して私が時間を使って指導するというのは「望まない時間」です。私の中での葛藤。これは「13秒台を目指す」「中国大会を目指す」という選択肢ではなくて「一生懸命にやる」「一生懸命にやらない」という選択肢だったのではないかなと感じました。
そうであれば今指導させてもらっている選手も「一生懸命」ですし、15秒3で走った選手も「一生懸命」です。そこに対してどのようにかかわるか。目指す部分は同じなんだと思います。その選手が望む方向に進んでいく。そのために私が持っているものを提供していく。ここに尽きるのではないか。そうであれば「自己否定」する必要性もなくなってきます。これまでの自分自身も「一生懸命にやる」選手のために何ができるのかを考えてきただけ。だから指導していて「楽しい」と思える。
17秒台で走っている選手に対してはその競技レベルにあった練習があります。13秒台を狙う選手にとってはそこにあった練習があります。17秒台で走る選手に13秒台で走る選手の課題を与えても「できない」のです。それを見極めながら何を提供するか。目の前にいる選手にとって必要な要素を端的に表現して与えていくことができるかどうか。ここはすごく大切な部分だと思います。
親しい指導者が「こういう機会を増やしてほしい」と言っていました。指導したくても何をしたらいいのかわからないという指導者がいる。何がポイントでどこを視点に見ていけばいいのかがわからない。また、選手も「一生懸命」だけどどのような練習をしたらいいのかわからない。課題克服のために何をすればいいのか見えない。そういう選手のために何をしたらいいのかを伝えていく場面が欲しいと。それが県全体の強化につながっていくのではないか。その一端を担う必要があるのではないか。そんな話をされました。
残念ながら私自身はそんな大きな話をするつもりはありません。ありがたい話ですが。私は「目の前にいる選手」に対してどうするかだけで精一杯です。だからといって「速く走れるようになりたい」「方法がわからない」という選手に対して拒否することもありません。表面的な「頑張ります」という軽い発言をするような選手に対して自分自身の時間を使う気にはなりません。しかし、それが「本気」の言葉であれば受け取る側もわかります。冷たいようですがどれだけ親しい指導者からの頼みであっても「きちんとやらないな」と感じた部分があれば次からは断るつもりです。
利用してもらっても構わないと思います。師匠から多くのことを学び、先輩方から様々なヒントをもらってきた。県外の素晴らしい指導者と出会って自分自身が身につけたことを伝えることは必要なことだと思います。それは指導者に対しても同じだと思います。「礼」「義」を欠くような指導者に対してこちらから何かをしようという気にはなりません。こういう性格ですから「あいつの態度は何だ」と言われることもあるでしょう。私の態度が悪い部分があるとすればそこには間違いなく理由があります。自分で言うのもどうかと思いますが、「長いものに巻かれる」という生き方はできません。頼まれても断ることがあるのかもしれません。誰のために指導をするのか。私自身が評価されるためにやるならやりません。そこに自分の価値観がないからです。
葛藤。今でもあります。しかし、この数日間悩んだ結果、自分が何をやりたいのかを考えることができました。これが正解かどうかはわかりません。最優先するべきは何かを常に考えなければいけないと思っています。その中で自分が「やる」と決めたことに対して進みたいと思います。原点に返る。競技力に左右されるのではない。優先するべきは「心」の部分です。非礼なことがあればやはりこちらも拒否する権利くらいはあると思っています。気遣いをしてもらう必要はないですが、最低限のことは存在するのかなと。
こういう性格です。自分でも面倒な性格だというのはわかっています。納得できないことに対しては断固拒否するという部分。歳を重ねているのである程度我慢しなければいけない部分もあるのでしょう。納得できればどこまででもやるつもりです。今回自分の中で出てきた答えが正解なのかどうかはわかりません。それでも自分の「柱」となるのかなと。
何を悩んでいて何が自分の中で処理できなかったのか。難しい。それでも進むことができそうです。長々と書いていました。お許しください。