思うことを。言葉を選びながら。
県総体を迎えます。
1年前に異動してきて数か月で迎えた県総体。何とか出来る限りのことをして戦えるようにしたいなと思っていました。全てはできないというのもあったので「せめてハードルだけは」という想いがありました。それが正解だったかどうかは分かりません。巡りあわせもあり、Miさんがショートハードルで戦いたいと思ってくれていました。「先生が転勤してこなかったらハードルは辞めていた」と後日話をしてくれていました。こちらに気を使ってくれての発言の部分はありますが。ありがたいことでした。あれよあれよという間に14秒2くらいまで出して、中国大会の決勝で13秒9。色々な要素があってIHに間に合わなかったというのがあります。本当は決勝を狙っていました。力を出し切ることができなかった。
同時に400mHの男子。100mの代表枠が取れないというのもあって1年生の秋くらいから400mHをやっていました。ハードリングは・・・でしたが。県総体に向けて5台目まで15歩という流れを作っていました。55秒台を出して優勝し、中国大会で54秒台。そこを目指してやっていました。4継に故障者が出たため県総体ではリレーを走ることに。決勝で1走が肉離れ、アンカーを走る400mHの選手は全身を攣りかけた中で完走。何とか走り切ってくれたという感じでした。その結果、本来勝負したい400mHは8割くらいでしか走れずに2位。中国大会は4継があるので400mHには出場しないという流れでした。この選手がリレーを走ってくれなけれインターハイもありませんでしたから。400mHで力を出し切る姿が見たかったなと今でも思います。
勘違いされるかもしれません。私自身は「強い選手」を指導することが「楽しい」わけではない。「強い選手」を指導して「結果」を出すことで周囲から評価を受けるということに価値は感じません。何度も何度も書いていますが、「強い選手は強い」のです。もっと力を引き出すというために「指導」が必要であれば力になりたい。そこが原点です。勝てるから指導する、勝てないから指導しないという気はサラサラありません。
どのレベルの選手でも「本気で強くなりたい」と思うのであれば、力になりたいなと思っています。それは私の価値観です。「私が見て本気だな」と思える部分に対してのみ「力になりたい」と思う。それは誰かから強制されるわけではない。ひょっとしたら「県総体出場」だけで終わってしまうかもしれない。それでも「本気で強くなりたい」という想いを感じられるのであれば私は「力になりたい」と思います。必要とされないのであればそれはそれでいいと思っています。この世の中には「何とかしたい」と思っている選手がいます。指導者がいます。その人たちの力になれるかどうかは自分自身の「価値観」のなかで大きな部分を締めます。
上述の2人。MiさんはIH決勝が狙えた。男子はIH出場の可能性があった。その中で本当に力を出し切れる関わり方ができたかどうか。もっと関わり方を考えていたら力を出せたのではないか。そう感じる部分があります。それは今だから感じるのか。元々感じているのか。分からない部分はあります。「強くなりたい」という想いに対して何ができるか。
Miさんは「補強」が嫌いでした。能力的にはかなり高い。それでも補強が劇的に弱い。そこに対してひたすら「身体作り」を求めました。波がある部分もありましたが、「徹底的に補強をする」ということに対して素直(?)に聞いていました。もちろん「強くなりたいから」というのがその根底にあります。補強をするのは「嫌」なのです。しかし、レースに出て勝てないことは「もっと嫌」というのがありました。だから努力できる。まー半強制的(強制かも)にやっていた部分はありますが。ワーワー言ってはいましたが「競技で勝ちたい」という気持ちは本物でした。だから「嫌」だけどやる。
その姿を見ていて「対応が大変だな」と思いながらも力になれたかなとは思っています。皮不必要な故障がなければ・・・というのはありますが。そこも含めてもっと言って聞かせておけば違ったのか。正解は分かりません。
色々な思いを持ちながら県総体を迎えた記憶があります。「強くなりたい」「勝ちたい」と口では言えます。それに対してどれくらいのことが必要なのか。そこを突き詰めてやっていくことの難しさはあります。「弱いところを補う」「弱点を潰す」という中で「戦える可能性」が出てくると思っています。「好きなことは頑張る」という今の風潮で本当に勝負ができるのかどうかは分かりません。「勝負」とはどのようなものなのか。自分の中でもう一度整理したいなとは思います。
まとまりません。記録しておきます。