kanekoの陸上日記

毎日更新予定の陸上日記です。陸上競技の指導で感じたことやkanekoが考えていることなどをひたすら書きます。

技術的なことについて

2022-05-09 | 陸上競技

こちらも思うがままに。

 

卒業生に対して「スプリント」を少し見させてもらいました。越権行為だと思っています。そのことに関しては監督さんに謝罪しました。本人が「何とかしたい」と思っていることに対して、少しでも力になれたらと思っています。これは「自己満足」だと思います。感覚的に確認をすること、崩れているであろう部分を修正することが少しできれば変わるのではないかと思っていたからです。

 

走れる選手は「進む能力」が高いと思います。元々それができる選手もいます。が、積み上げていってやっとできるという選手もいます。これまでの経験上、「圧倒的に速い」という選手は出会ったことはありません。不器用で上手くできないけど一生懸命やるという選手が多かった気がします。だからこそ時間をかけて取り組んでいくことで変化が生まれる。大人数の指導には向かないタイプのスタイルかなとは思っています。

 

で、本題。動きを見ていると「進みたい」というのが出てきます。そのため「膝締め」ができなくなる。欲張るので膝が開きます。膝が開くと「接地」の場所が前にずれる。さらにそれにより「足が遅れる」部分があります。kd先生が以前から言われていますが「重心移動のない中での感覚づくり」が重要だと思っています。私たちは「普通の選手」をどうすれば「強くできるか」を考えてやってきました。「普通の選手」が強くなる方法があれば「強い選手」はより強くなるのではないかと。ここも正解かどうかは分かりませんが、時間をかけて少しずつ移動ができればいいのかなと思っています。地味ですが。

 

やっている選手は一生懸命です。思い込みでやっていてもそれを一生懸命にやります。正確な動きではなくても一生懸命やる。今回動きを見ていた選手は監督さんからも「真面目によくやる」と評価をいただいていました。が、思い悩む部分が大きくなるので上手くいかない。これも性格だと思います。不器用なので多くのことを一度にやろうとすると失敗します。様々なベースが上がっているのは間違いない。普段の練習でやっていることは間違いなくレベルアップにつながっている。少しの「きっかけ」で何か変わるのではないかと思っています

 

「接地」と「切り替え」がずれている。それだけかなと思っていました。動画で何度か見ましたがやはり「目の前で見る」ことで課題が顕著になります。普段やっていることを大きく変えるとかは不要だと思っています。やっていることに「正確性」を加えるだけで動けるようになるのかなと。ベースアップしていると思うので「正確な動き」がどれだけできるのかだと思っています。

 

私は個人的に「確認」しながらやるのが好きです。やってみたときの感じがどうか。何か変化があるか。無理やり「良くなりました」と言わせる意味はありません。その選手にとって何がプラスになるのかを把握することが必要です。タイプもあります。真面目にやりすぎる選手に対して(これは他の選手に対しても同じではありますが)多くの情報を与えすぎるとよいことにはならない気がします。「新しい技術」とかではなく「基礎基本」に特化してやっていくことが一番の近道なのではないかと思います。

 

やはり「接地場所」と「切り替え」が重要なポイントだと思っています。ymd選手と少し話をしましたがヨンパをやるためには少し接地を長くしてストライドを伸ばします。決められた歩数で走らないといけないので「切り替え」の部分よりも「ストライド」が必要になる場面が多いからです。スイングのタイミングがほんの少し遅くなることで少し浮きながら走る感じになります。その部分も考えながら「接地」と「切り替え」を見ていく。多くのことを考えるのではなく「シンプル」に考えていくようにしたいと思っています。

 

どうしても「あれこれやりたい」という感じになります。が、たくさんのことを処理できる部分は少ないと思います。オリンピックに出場する選手の「感覚」を雑誌などで見ることもあります。が、それはその選手に「固有の感覚」だと思っています。それを真似てやれば速くなるというわけではない。最も重要な部分はシンプルに必要なことに特化することではないかなと思っています。難しい言葉を使うと「知っている人」みたいな評価を受けます。が、それを良いと思う指導者もいると思いますが、今の私にとってはそんな評価は一ミリも興味がない。大きな力を地面に伝えてその方向を変える。それだけではないかと思っています。

 

時間をかけて「重心移動が小さい」状況で足運びと接地のポジションを作る。少しずつ進んでいく。3か月くらいかけてやっていくことで自然に進めるようになると思います。「縦」の動きが「接地」の部分、「横」の動きが「切り替え」の部分かなと。「横」の動きになってくると「接地」がずれる。そのずれが速く走れない原因だと思っています。着目点だけはっきりさせれば実は誰にでも指導ができるのではないかと思っています。

 

「速く走る」ためには「進まない」という矛盾した内容になりますが。進もうとすればするほど動きが崩れます。さらには「加速段階」に動きに関しても「重要なポイント」があると考えています。ここの区間は「足運び」と「リズム」だと考えています。まーこんなマニアックな話を楽しく聞いてくれる人は少ないので。「スタート」について某大監督に聞かれました。そのチームの選手のスタートに関して聞くと「もはや1からやり直すほうが良い」という結論に。興味のないスプリント分野にまで手を伸ばそうとしている大監督に請われて教えに行けるというのはありがたいなと思います。

 

こういう部分に関しては「一切隠す必要はない」と思っています。持っているものをシンプルに伝えていくことが必要かなと。自分で持っていて秘密にするって意味がない。誰かに伝えてやってもらうことで初めて意味が出てきます。崩れた動きの要因は「接地」のずれと「切り替え」のタイミングであることが多いと思っています。今回指導させてもらったときには顕著にその部分でした。こういう機会は本当にありがたいなと思いますね。気持ちが乗ればまた書きたいとは思いますが。

 

その気になれば…ですが。

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思うままに

2022-05-09 | 陸上競技

「幸せの青い鳥」という話があります。詳しい内容は割愛しますが、どこかにいるという「青い鳥」を探して回る。その「青い鳥」を見つけることで「幸せ」になれる。が、実際は遠くではなくすぐそばにその「青い鳥」が存在した、という感じの話です。

 

なんとなくこの話を思い出しました。「どこかにある幸せ」を求め続ける。が、結局はそんなものはない。「自分探しの旅」みたいな言葉が一時期流行りました。モラトリアムという部分もあったと思います。結局はどこに行ってもどこにいても「同じこと」なのだと。

 

親しい指導者と少し込み入った話をしました。正直、私自身も「変わっている」と自覚しています。その「変わっている」というのは「競技」に対して貪欲に考える部分です。そして「速くなりたい」と思う選手に対して最大限の成果を出させてあげたいというのもあります。これは「指導者」としての責務だと考えています。私自身は「幅」がない人間です。「やる」と決めたらやるほうがいいと思っています。中途半端に何かをするというのはこの上ないストレスになります。誰もが同じかもしれませんが。

 

話をした指導者も「変わっている」と思います。「突き詰めてやりたい」と思う部分に関して共有できる感覚があります。なんとなくやっているというのではない。相性は悪いかもしれませんが、考え方の根本にある部分は「同じ」だと思っています(笑)。だからこそ「今」について考えさせられます。これから先も「今」と同じことができるのか。できなくなる可能性は高いと思っています。

 

ある指導者から「選手がベストを出した」という報告をもらいました。別に何かをしているわけではありませんが。短距離の指導者ではないですが熱心さはある。とはいえ、短距離のことは分からないので「基礎トレーニング」「動きの基礎」と「短い距離の走練習」について話をして、直接指導もさせもらいました。その中で男子が「11秒台で走れた」という報告でした。11秒1を切るくらいでなければ中国大会には進めないと思います。その中で「11秒台が出た」ということに対して「どのような意味があるのか」と考えさせられます。

 

正直、「11秒台」では勝負にはなりません。が、「陸上競技」はそれだけではない。「勝つことを求めてやる」選手もいる。それを口にするならそれに見合うだけのことをやるべきだと思います。が、そうではなく「少しでも速くなりたい」という気持ちの中でやっている選手もいると思います。もちろん幅があります。本当はもっと上を狙えるけどある程度のことろで満足してる選手もいるでしょう。「IHに出場する」と口にしてもそれに見合うだけの「取り組み」や「意識」ではない選手もいるでしょう。それが「現実」だと思います。

 

「突き詰めてやる」ということに対しては私的には「当たり前」だと思っていますが、そうではない人たちのほうが多いのではないかと思っています。「異端」だという自覚はあります。だから競技のことに関して「本気」で話すことはほぼない。周りが引くからです。そんな中で何をするのか。「スプリントについて突き詰めたい」というのは常にあります。それができるのは大きなことなのかなと。

 

「やっていたことを続けていたらベストが出た」といわれる。前任校の選手が3年生になりしっかりと走れる。やっていることは1年次にやったことのみ。それを繰り返しやっているだけです。それでも飛躍的に記録が伸びる。もちろん、今の顧問の先生の理解と選手たちの本気度も大きく影響していると思います。それでも「戦える」という水準になることは「ベストを出す」というだけではない「面白さ」や「楽しさ」があります。自分がどこまでできるのかという「楽しさ」です。

 

そう考えると「高校の指導」という枠の中だけでやるって本当に自分の中で「楽しい」と思えるのかなというのがあります。高校時代に関わった選手たちが大学生や社会人になって戻ってくる。その中で「技術的な話」をすることができる。「もっとこうしたほうがいいのでは?」というのを理論的に話ができる。もちろん、競技レベルに合わせて求めることは違うと思います。それでも「陸上競技」が楽しめるのなと感じることが多くありました。

 

「今」ではなく「これから先」まで見ながら「システム」を考えるほうがいいのかなと思っています。本当に自分自身がやりたいことを模索しながらやっていけたらいいなと思っています。これまで学んできたことを生かせる場面がどれくらいあるのか。「部活動での指導」という枠の中でだけ考えるのではなく、社会体育としてかかわる部分も必要かなと強く感じるようになっています。

 

どこに正解があるのか分かりません。「青い鳥」を探していても見つからない。自分自身で切り開くことも必要なのかなと思っています。様々な要因を考えながら生きていきたいと思います。

 

まとまりませんが。思うがままに書いておきます。

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