木曜日、この日も色々とありました。中国新人に向けての壮行式が行われ選手は壇上で激励を受けました。そのことに関して思うことがあるので放課後話をすることにしました。今回は投擲陣も一緒に私が話をすることに。「チーム」として一緒に活動する時間は少ないですがやはり全員が同じ方向を向いて取り組んでいく必要があります。
水曜日の練習が始まる前に短距離の選手が数名注意を受けたとのことでした。理由は「スカート丈が短い」というもの。長さを調整していたのは「少し」だったようですがこの「少し」が大問題だと思っています。また、朝練の後のSHRに同じ者が「少し」遅れ気味に入ってくると担任から話がありました。この部分も放置しておくわけにはいきません。「少し」のことかもしれませんが「大問題」です。
現在うちの学校の陸上競技部は東部地区の「強化指定校」になっています。だからといって特別なにかがあるわけではありませんが。しかし、「注目される」という部分はあると思います。注目されるということは選手の行動の一つ一つが「評価」されるのです。これは学内においても同じこと。どれだけ実績があり中国大会などに出場したとしても、基本的な生活習慣が身についていたいのであればその活動には意味がないと思っています。「強ければ何をしても良い」わけではない。勘違いしてもらったら困ります。このような指導を本校の指導者はするつもりはありません。「基本的な学校生活」が送れて初めて「競技」があるのです。
辺りを見渡すと「運動部」とは思えない行動や服装で活動をしている者もいます。部活動ではなく「放課後の時間つぶし」レベルです。このような状態では「応援する」という感覚にはなりません。しかし、うちの選手が「服装で注意を受ける」「時間が守れない」というのがあれば「同じレベル」だと思っています。その「程度の差」はあるとしても結果的に同じ。「少し」だろうが「大きく」だろうが同じ部分なのです。ここが分からない限りは部活動をする必要はないと思っています。強くなれば強くなるほどその部分の「意味」を理解しなければいけません。
うちは「陸上部」ではなく「陸上競技部」です。「競技」をやっています。趣味の延長で身体を動かしているのではなく「より高いレベル」を目指しています。競技場面で「日常生活」の指導をしなければいけないというのであれば間違いなく戦えません。放課後の時間は「より強くなるため」の時間でなければいけないのです。細かな技術指導であったりしっかりとした専門練習ができる時間でなければいけないのです。練習というのはそのようなものだと思っています。勘違いしてもらいたくないのはうちの部活が「日常生活」の指導をしないと言っているわけでありません。「日常生活」がきちんと送れて初めて「競技」の指導になります。「競技」の指導に至るまでの時間が非常に長いというのも特徴だと思っています。とはいえ、こういう場面でもう一度指導をしないといけないというのは非常に情けないことですが・・・。
また「少しならいい」と思う気持ちが最もいけないことだと思っています。大きく逸脱しなければ問題がないと思っているのであれば勘違いです。大きくルール違反をしているというのであればこれは問題外です。結局練習どころではありません。どれだけ「練習する」といっても根本的な部分ができていないのあれば最終的に何も変わらないまま終わってしまいます。問題外です。
日常生活の「少しなら良いだろう」は競技をしていくうえで大きな問題につながると思っています。私は「生活」が「性格」を作ると思っています。日常生活でとる行動が間違いなく「性格」を作ります。普段の生活の中で「少しならいいだろう」と思っていたら、競技場面では絶対に「少しなら」という「甘え」が出てきます。苦しい練習の中で「少し楽をしよう」と思ってしまったら絶対に強くはなれないのです。練習中の本人たちの「心」の部分は選手自身しか分かりません。ほんの一瞬でも気が緩んでしまうとそこに意味はなくなります。だからこそ「少し」を許してはいけない。ここが大きく崩れてしまう原因となるからです。この意味が分からずにうちの部活動を辞めていくものもいます。私の考え方が「絶対正しい」と言うつもりはありません。指導者の考え方に共感できない者は「去る」必要があると思っています。自由参加はありえません。
本当に強いチームになっているときは「日常生活」の話を一切することはありません。「最低レベル」の話ですから自分たちで管理できます。ここ数年その部分が曖昧になっていて「選手任せ」になっていた部分があるのかもしれません。とはいえめちゃくちゃ言い続けてきたつもりですが・・・。それでも「できていない」というのが現実です。こういう部分をしっかりと指導できなければ「チーム」としての活動はできません。まだまだ雰囲気が大きく変わらないのもここが原因だと思っています。「何が何でも強くなってやる」というチームの状況になってもらいたいですね。
やはり先は長い。地道にやっていきます。
水曜日の練習が始まる前に短距離の選手が数名注意を受けたとのことでした。理由は「スカート丈が短い」というもの。長さを調整していたのは「少し」だったようですがこの「少し」が大問題だと思っています。また、朝練の後のSHRに同じ者が「少し」遅れ気味に入ってくると担任から話がありました。この部分も放置しておくわけにはいきません。「少し」のことかもしれませんが「大問題」です。
現在うちの学校の陸上競技部は東部地区の「強化指定校」になっています。だからといって特別なにかがあるわけではありませんが。しかし、「注目される」という部分はあると思います。注目されるということは選手の行動の一つ一つが「評価」されるのです。これは学内においても同じこと。どれだけ実績があり中国大会などに出場したとしても、基本的な生活習慣が身についていたいのであればその活動には意味がないと思っています。「強ければ何をしても良い」わけではない。勘違いしてもらったら困ります。このような指導を本校の指導者はするつもりはありません。「基本的な学校生活」が送れて初めて「競技」があるのです。
辺りを見渡すと「運動部」とは思えない行動や服装で活動をしている者もいます。部活動ではなく「放課後の時間つぶし」レベルです。このような状態では「応援する」という感覚にはなりません。しかし、うちの選手が「服装で注意を受ける」「時間が守れない」というのがあれば「同じレベル」だと思っています。その「程度の差」はあるとしても結果的に同じ。「少し」だろうが「大きく」だろうが同じ部分なのです。ここが分からない限りは部活動をする必要はないと思っています。強くなれば強くなるほどその部分の「意味」を理解しなければいけません。
うちは「陸上部」ではなく「陸上競技部」です。「競技」をやっています。趣味の延長で身体を動かしているのではなく「より高いレベル」を目指しています。競技場面で「日常生活」の指導をしなければいけないというのであれば間違いなく戦えません。放課後の時間は「より強くなるため」の時間でなければいけないのです。細かな技術指導であったりしっかりとした専門練習ができる時間でなければいけないのです。練習というのはそのようなものだと思っています。勘違いしてもらいたくないのはうちの部活が「日常生活」の指導をしないと言っているわけでありません。「日常生活」がきちんと送れて初めて「競技」の指導になります。「競技」の指導に至るまでの時間が非常に長いというのも特徴だと思っています。とはいえ、こういう場面でもう一度指導をしないといけないというのは非常に情けないことですが・・・。
また「少しならいい」と思う気持ちが最もいけないことだと思っています。大きく逸脱しなければ問題がないと思っているのであれば勘違いです。大きくルール違反をしているというのであればこれは問題外です。結局練習どころではありません。どれだけ「練習する」といっても根本的な部分ができていないのあれば最終的に何も変わらないまま終わってしまいます。問題外です。
日常生活の「少しなら良いだろう」は競技をしていくうえで大きな問題につながると思っています。私は「生活」が「性格」を作ると思っています。日常生活でとる行動が間違いなく「性格」を作ります。普段の生活の中で「少しならいいだろう」と思っていたら、競技場面では絶対に「少しなら」という「甘え」が出てきます。苦しい練習の中で「少し楽をしよう」と思ってしまったら絶対に強くはなれないのです。練習中の本人たちの「心」の部分は選手自身しか分かりません。ほんの一瞬でも気が緩んでしまうとそこに意味はなくなります。だからこそ「少し」を許してはいけない。ここが大きく崩れてしまう原因となるからです。この意味が分からずにうちの部活動を辞めていくものもいます。私の考え方が「絶対正しい」と言うつもりはありません。指導者の考え方に共感できない者は「去る」必要があると思っています。自由参加はありえません。
本当に強いチームになっているときは「日常生活」の話を一切することはありません。「最低レベル」の話ですから自分たちで管理できます。ここ数年その部分が曖昧になっていて「選手任せ」になっていた部分があるのかもしれません。とはいえめちゃくちゃ言い続けてきたつもりですが・・・。それでも「できていない」というのが現実です。こういう部分をしっかりと指導できなければ「チーム」としての活動はできません。まだまだ雰囲気が大きく変わらないのもここが原因だと思っています。「何が何でも強くなってやる」というチームの状況になってもらいたいですね。
やはり先は長い。地道にやっていきます。