木曜日、この日は色々な意味で大変でした。物事に対する考え方というのは多種多様です。表面的な話やきれいごとは好きではありません。何のために物事に取り組むかというのが大きい。その雰囲気に浸ってしまうと客観的な視点を失っています。この感覚が分かる人が意外と少ないということを痛感しました。「目的を達成する」ことが最大テーマなのか?そういうことをやっていたらそういう人間が育つ。そういう方向に持って行っていることに気づけないといけないと思っています。かなりぼやかして書いていますが想うことはかなりあります
話は多少変わりますが、この日3年生の総合実践がありました。やりたい内容、やらなければいけない内容はかなりあるのですが、色々なことがあって面接練習を行うことに。とはいえ、「面接のための練習」という位置づけにしたくはありませんでした。自分の考えていることを相手にきちんと伝える。その手段の習得という位置づけです。これも物事の捉え方だとは思いますが。この総合実践では「コミュニケーション」という部分を最大限に重んじています。シナリオをすべて準備して生徒が活動をするのではなく、大まかな道筋だけをしめてしてその中で試行錯誤しながら進めていく。このプロセスにおいて多くのことが学べると考えています。
面接練習と言えば通常(?)教員側が面接官になりあれこれ指導をしていくという形だと思います。「声が小さい」「礼の仕方が・・・」という「形式的な部分」を指摘する。加えて内容について細かく指導するという流れだと思います。しかし、私はこの手の面接練習を嫌います。「10人いて10人が同じ」というのが面白くないからです。もちろん、基本的なマナーというか所作は共通するものでなければいけません。これを自分勝手にやっていくというのは大間違いです。「個性」の履き違えがここに生まれてきます。「やるべきことはやるというスタンスは絶対です。
面接練習では「生徒同士」で行わせるようにしました。面接官は生徒。答える者も生徒。通常であれば恥ずかしがってなかなかできません。自分が考えていることを他の生徒に話すというのは年頃の子供たちにとってはこの上なく照れるのではないかと。この部分は最初の段階でかなり話をしました。これから先、自分が考えていることや想いを他者に伝える必要性が出てきます。そのトレーニングをしておく。「やらなければいけない時に真剣にやる」ことを恥ずかしがっているようでは成長はできません。生徒同士であっても真剣にやればこれ以上ない練習となります。「練習」という気持ちはないのですが(笑)。どのようにすれば自分の考えを相手に伝えることができるか。ここが一番大事だと思っています。
客観的に見ていてかなり真面目にやっていました。当然ですが。「できない」のではない。やらせる機会を作らないから成長しないのだと思っています。それを授業中に作るかどうかというのは全く問題は別だと思いますが。基本授業は授業。「身につけさせたいもの」があって授業が成立する。きれいごとではありません。それがなければ授業の意味はなくなってしまう。価値観の部分だとは思いますが・・・。
想うことをつらつらと書いてしまいました。お許しを。
話は多少変わりますが、この日3年生の総合実践がありました。やりたい内容、やらなければいけない内容はかなりあるのですが、色々なことがあって面接練習を行うことに。とはいえ、「面接のための練習」という位置づけにしたくはありませんでした。自分の考えていることを相手にきちんと伝える。その手段の習得という位置づけです。これも物事の捉え方だとは思いますが。この総合実践では「コミュニケーション」という部分を最大限に重んじています。シナリオをすべて準備して生徒が活動をするのではなく、大まかな道筋だけをしめてしてその中で試行錯誤しながら進めていく。このプロセスにおいて多くのことが学べると考えています。
面接練習と言えば通常(?)教員側が面接官になりあれこれ指導をしていくという形だと思います。「声が小さい」「礼の仕方が・・・」という「形式的な部分」を指摘する。加えて内容について細かく指導するという流れだと思います。しかし、私はこの手の面接練習を嫌います。「10人いて10人が同じ」というのが面白くないからです。もちろん、基本的なマナーというか所作は共通するものでなければいけません。これを自分勝手にやっていくというのは大間違いです。「個性」の履き違えがここに生まれてきます。「やるべきことはやるというスタンスは絶対です。
面接練習では「生徒同士」で行わせるようにしました。面接官は生徒。答える者も生徒。通常であれば恥ずかしがってなかなかできません。自分が考えていることを他の生徒に話すというのは年頃の子供たちにとってはこの上なく照れるのではないかと。この部分は最初の段階でかなり話をしました。これから先、自分が考えていることや想いを他者に伝える必要性が出てきます。そのトレーニングをしておく。「やらなければいけない時に真剣にやる」ことを恥ずかしがっているようでは成長はできません。生徒同士であっても真剣にやればこれ以上ない練習となります。「練習」という気持ちはないのですが(笑)。どのようにすれば自分の考えを相手に伝えることができるか。ここが一番大事だと思っています。
客観的に見ていてかなり真面目にやっていました。当然ですが。「できない」のではない。やらせる機会を作らないから成長しないのだと思っています。それを授業中に作るかどうかというのは全く問題は別だと思いますが。基本授業は授業。「身につけさせたいもの」があって授業が成立する。きれいごとではありません。それがなければ授業の意味はなくなってしまう。価値観の部分だとは思いますが・・・。
想うことをつらつらと書いてしまいました。お許しを。