闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.391&ある晴れた日に 第121回
どこからか飄然と南海の孤島にやって来た謎の女性、そして彼女をとりまくこれまた不可思議な民宿の男女たち。
彼らはほんの短い断片的な会話しか交わさず、従って登場人物がどのような生活をしているのかはほとんど説明されないが、迷い込んだ島の限りなく透明な海や白い浜辺やたそがれについては、その美しい映像によって雄弁に物語られる。
民宿の人々の風変わりな暮らしぶりと対応に最初は大いに戸惑う主人公だが、次第にその飾り気のない生き方に惹かれてゆく、というそんな映画だが、これは生きること自体に付着しているユーモアとペーソスを描こうとした点で現代ではきわめて貴重な意欲作となった。
また別の角度から眺めると、これは「たそがれる」がキーワードの映画である。神々の黄昏ではない。この映画のキャメラは、私たち日本人の黄昏、美しい黄昏への幻視と希求に向けられている。
ということで、皆さん以下の私の即興詩をご唱和願います。
ギンギン、ギラギラ、夕陽が沈む。
海の向こう、水平線の彼方に真っ赤な太陽が沈む。
と思ったのは目の錯覚で、じつは私たちが沈んでいるのだった。
ドンドン、グングン、沈んで行くのは私たち。
依然としてさっぱり沈まない太陽は、ギンギン、ギラギラ、どこか遠い別の国を照らしている。
ドンドン、グングン、沈んで行くのは私たち。
まるで地球の引力にまっすぐ引かれるように、柔らかい地表をぶち破ってマグマが燃え盛るマンガン層に向かって、ドンドン、グングン、沈んで行くのは私たち。
さあこうなると、いくら泣いても笑ってももう止まらない、止められない。ドンドン、グングン、沈んで行くだけ。
でも私たちはこうなることをずいぶん昔から分かっていたはずだ。
と、そう思いつつ、身も心までも小気味いいまでに落下していく。
ギンギン、ギラギラ、夕陽が沈む。
海の向こう、水平線の彼方に真っ赤な太陽が沈む。
毎日の生活苦に追われているので世界苦などに遊ぶ暇が無い 蝶人