照る日曇る日第758回
冒頭の「街へ行く電車」を読んでいるうちに、黒澤明監督の名作「どですかでん」の記憶が鮮やかによみがえりました。
「どですかでん」というオノマトペは、一度聞いたら忘れられなくなるほど魅力的ですが、この本を読んでその意味が初めて分かりました。
もちろん六ちゃんが走らせる電車が、レールの継ぎ目を渡るときの擬音なのですが、交差点にかかると六ちゃんは「どでどで、どでどで、どですかでん」と声をあげる。
これは交差する線路の4点の継ぎ目を、電車の前部車両4組と後部4輪とが渡る音を忠実に模倣した音で、私はこれを読みながら、今を去る半世紀前に、京都左京区百万遍の交差点を通過していった市電の6番の轟音を懐かしく思い出していました。
本巻には六ちゃんのほかにも、「僕のワイフ」の島さん、「牧歌調」の4人の夫婦、「プールのある家」の親子、房事の最中に身投げと鉄道自殺とどっちが苦しいかを亭主に尋ねる「箱入り女房」、「とうちゃん」の良さん、「がんもどき」のかつ子、「枯れた木」の夫婦、「半助と猫」、「たんば老人」などなど、一読終生忘れがたい印象を残す巷の人々が登場致します。
しかし、思えば私の丹波の郷里にも、左京区田中西大久保町にも、北区飛鳥山公園前の陋屋にも、中上健次が描いた紀州の路地にも、大勢の「六ちゃん」が蠢いていたのでありました。
担当者はどんどん変わるが君だけは同じ所に立っていた40歳の障ぐわい者 蝶人