あまでうす日記

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高橋和巳著「邪宗門下」を読んで

2024-09-17 10:34:52 | Weblog

 

照る日曇る日 第2108回

 

てっきり大本教の軌跡をなぞる小説家と誤解していたのだが、川西政明氏の解説を読むとそれは大いなる間違い。現に大本教への第1次弾圧は大正10年2月、第2次は昭和10年12月であるのに対して、本作の「ひのもと救霊会」への第1次弾圧は高橋和巳が生まれた昭和6年の春、第2次が昭和7年だから異同があるうえに、小説のラジカルアナキストの主人公に乗っ取られた「ひのもと救霊会」はわが故郷で武装蜂起し、それに続く民衆蜂起を経てあらゆる地方権力、行政、企業、農業&労働組合を傘下に収め、超短期間ながらパリ・コンミューンならぬアヤベ・コンミューンを実現してしまうんだからまるで夢のような噺である。

 

この時高橋和巳の脳内革命を領導した「ひのもと救霊会」の教義は、「三行、四先師、五問、六終曲、七戒、八誓願」であり、これなしに「邪宗門」という壮大な思考実験を理解することはできない。

 

五問とは「6人の子を産んで4人に先立たれ、残った母親の生に何の意味があるか」という半狂乱となった開祖が発する執拗な問いかけで、これが出口なおの「お筆先」と微妙にシンクロしていると、川西政明氏はいう。

 

「六終局」とは、ジャイナ教の教祖大雄と論争して敗れた古代インドの異端宗教家マッカリ・ゴーサラが空想した世界の終局の姿で、最後の一人に到る最後の殉難。最後の愛による最後の石弾戦。最後の悲哀を産む最後の舞踏。最後の快楽に滅びる最後の飲酒。最後の廃墟となる最後の火の玉。そして、宇宙一切を許す最後の始祖。である。

 

さらに1最後の飲み物 2最後の歌 3最後の踊り 4最後の挨拶 5最後の激しいあらし雲 6最後の香水を撒き散らす象 7最後の巨石を用いた戦い 8最後の始祖(ゴーサラ)「八終局」という補遺もある。

 

「八誓願」は「たとえこの世の破滅し、この世の永遠に呪われてあるとも、己一人にて救わるる心あらんよりは、むしろ世と共に呪われてあれ!」という強烈な呪詛をもって終わるのであるが、まさしくその通りの恐ろしい形相が「邪宗門」のフィナーレの地獄を、おどろおどろに彩るのである。

 

犬猫を移民たちが食べてると出鱈目を言うバンス、トランプ 蝶人

 

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