照る日曇る日 第2110回
思いがけず恵送賜った詩誌「アンエディテッド」を拝読しました。この詩誌は、水島英己、小林清明、フジイカズマサ、鈴木祟、郡宏暢の6名によって制作されている季刊誌ですが、前号同様その充実した内容に驚くと共に、大変新鮮な刺激を受けることができました。
今号の冒頭は、ゲストライターたる秋山基夫さんによるエッセイで、私がてんで知らなかった澤村光博という詩人と「幻影の日々」という作品を、1950年代の詩壇?を背景に記憶に止めることができました。
水島英己さんは、「オウィディウスの末裔たち」というエッセイと「彼方人へ」という詩を寄せておられますが、とりわけ小生は、「吾が待ちし秋萩咲きぬ今だにもにほひに行かな彼方人に」という万葉集の秀歌などに霊感を受けた詩編「彼方人へ」にいたく心惹かれ、このような古代歌謡を原器とした、「永遠の相」を保持するゲンダイ詩の可塑性と可能性に着眼した作者の、先見の明に大きな刺激を受けました。
フジイカズマサさんは、「八王子駅南口」という詩を書かれていますが、私事乍ら八王子には小生の次男が住んでいるので、なるほど彼はこんな躍動的な光景の中を行き来しているのか、とその光景が眼前に広がったような気持ちです。
鈴木祟さんは、「舟」というタイトルの17の俳句を載せておられるのですが、「太刀洗ひの水迸り夏はじめ」という作品は、私が毎日のように散歩に行く鎌倉五名水のひとつを、このように鮮やかに詠み下した腕前にいたく感服した次第です。
その他、郡宏暢さんの詩「お茶」と詩論、小林清明さんの「ブラック ジャコバンを読む」という、「史上一度だけ成功した奴隷による奴隷解放の革命」について論じた書評も大層興味深いものでした。
ことしの末か来年早々に発刊されるという、次号への期待が膨らみます。
午前午後来客がなく公邸でただ一人過ごす総理大臣 蝶人