あまでうす日記

あなたのために毎日お届けする映画、本、音楽、短歌、俳句、狂歌、美術、ふぁっちょん、詩とエッセイの花束です。

真夏の夜の音楽 その2

2021-08-25 10:59:20 | Weblog

音楽千夜一夜第482回&蝶人狂言綺語&バガテル―そんな私のここだけの話第406回


モートン・フェルドマン(1926-1987)が1985年に作曲した長大なピアノ独奏曲「バニタ・マーカスのために」を、わが高橋アキさんが2007年にベルリンで演奏したCDで聴く。高橋アキさんの演奏に感動したフェルドマンは、それ以降は、彼女のためにしか作曲しなくなったと言われている。
モートン・フェルドマンというビロードのやうに優美な名前と作風は、毎年近藤譲氏が擦れた声で紹介する現代音楽の番組「コンエンポラリーを聴く」で知り、その往年の聖林の名優エドワード・G・ロビンソンに似た温顔は、このCDのジャケットで初めて見知った。
ここで聞かれるフェルドマンの音楽は、割合簡素な音型を微妙なバリエーションを加えながら反復しつつ緩やかに匍匐前進していく体のもので、ある点ではミニマム音楽に似ているが、本質的には全然そうではなく、「命の糸、創造の糸」が、カブトムシの幼虫のやうに螺旋状に旋回しながら地軸を突き破って、遥かなる銀河系の彼方にまで飛翔していくのである。
乱暴に譬えるとピアノによるお経、あるいは石庭の傍らに安置してある複合式の獅子脅しから、宇宙と交感共鳴するような妙なるコールサインが発信されているようなものである。
ピアノによって虚空に打ち上げられたエクスプローラーだ。
高橋アキさんが奏でる、その単純にして複雑なパターン音楽に身を委ねていると、ある地点までは聴者の私的な過去の回想や夢幻的なイマージュが脳内に頻出するような気持にもなってくるが、それはあくまで副産物としての恣意的な幻想に過ぎず、フェルドマンが私たちに投げて寄越すのは、やはり「有線の絶対音楽」であって、その螺旋状に前進する「命の糸、創造の糸」の前後左右の空間は「無限の絶対的な沈黙」によって囲鐃されているのである。
まあ自分でも何をいうているのか、何が言いたいのか分からなくなってきたのでこの辺で止めるが、作曲者と演奏者は、静謐な一音の響きが切り開く、無限かつ夢幻の沈黙を聴いてほしいのではないかと思った。

  この国が滅びていくのを薄眼開け時々見ながらまた眠りゆく 蝶人

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