吉田秀和著「バッハ」を読んで
照る日曇る日 第2157回
「ブラームス」に続く河出文庫のセレクションだが、バッハ命のヒデカズ選手の信仰告白が聞かれる。なんせあらゆる音楽家からたった一人を選べというならバッハ、その中からたった1曲を選べというなら「マタイ受難曲」と「ロ短調ミサ曲」であるというのだから、その迫力たるや某国某大統領のMAGAなる軽薄なアゲアゲ音頭なんぞ足元にも及ばない。
しかもそのベストはカールリヒター指揮ミュンヘンバッハ管弦楽団の演奏だというので久し振りに聴いてみました。
中世の壮大なゴシック造の教会の尖塔を仰ぎ見るような至高の演奏である、とは私なりに確認できたが、ヒデカズ選手の熱烈な信仰告白には遠く及ばないのは、むかしオルガン奏者として来日したリヒター選手の演奏が余りにもおざなりなものであったことに業を煮やしたある女性が、舞台に駆け寄って「お願いだからもっと真面目に演奏してください!」と懇願したエピソードを、今なおしっかり記憶しているからでもある。
あとは繰り返し出てくるグレン・グールドの「ゴールドベルク変奏曲」の噺。なんせ日本中のクラシック評論家がは洟にもひっかけなかった当時のCBSソニーから出た旧録音のレコードを買いまくり、これはと思う人物に配りまくったというのだから、なかなか出来ないことではある。
そんなヒデカズ選手のお陰で、グールドの実力は正当に評価されるようになったが、それはヒデカズ選手の眼力だけではなく、この人の目が、昔からニッポン国を超えて遠く欧米のクラシック世界に向けられていたからだと思うのである。
解説を書いているのは小池昌代という詩人。彼女はむかし大学の弦楽合奏団のヴィオラ奏者で、当時音大在学中の大友直人の指揮でブランデンブルク協奏曲を演奏したことがあるそうだが、とりわけ地味なその第6番に親しみ、「好きだった女の思い出を吐露するように」、「私は本当に好きだった」と書いているヒデカズ選手への好意を告白しているが、これが本書の白眉かもね。
自由自在に二足歩行を楽しめる車椅子の人には申し訳ないが 蝶人