あまでうす日記

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「ただごと歌」が「ただごと」を超える時~奥村晃作歌集「蜘蛛の歌」を読んで 

2023-12-13 11:48:52 | Weblog

 

照る日曇る日 第1992回

 

私の朝は敬愛する歌人、奥村晃作のXツイッターを見ることから始まる。

 

そこには「おはようございます!」の挨拶とともに始まる「古今集」と「新古今」の作品が毎朝1首ずつ取り上げられ、それぞれに簡にして要を得た独自の解釈が施されている。今朝は慈円と紀貫之だ。私はこのコーナーで2つの大事な歌集の勉強をさせて頂いているのである。

 

次は来る朝毎の「目覚めの短歌」。ここでは歌人の出来立てのほやほやの新作をいち早く鑑賞することができる。今回の「蜘蛛の歌」に収められた作品の大半が、かつてこのコーナーに登場した原案から誕生しているのである。

 

それから本日の外出レポートだ。氏は平日の大半は各所で短歌教室を開かれているので、東武東上線赤塚駅からお茶の水や市川などの向かう歌人の行動の軌跡を写真付きで追うことができる。

 

その他、毎日のように出版される新作歌集の丁寧な紹介や、故郷飯田への帰郷報告、歌人の趣味である学士会館学士会囲碁会での戦績報告、自作をオープンAIさんに批評させるという前衛的な取り組みなど、いかにこの歌人が労苦に満ちた晩年の日々を命懸けで生きているかを我々は逐一知って驚き、感嘆すると共に、どうかいつまでも頑張ってほしいと限りなきエールを送らずにはいられない。

 

そんな八十七翁の濃すぎる日々から誕生したのが、最新19歌集にして自称最終歌集「蜘蛛の歌」である。

 

精選された353首の歌を繰り返し読んでいると、Xツイッターで見た通り、この老歌人が、日々の暮らしを全力で生きていること、そして、目の前にあるほんの些細な事柄にも、遠く世界の果ての果てで起こっている大事件にも、同じように旺盛な好奇心を発揮し、目を凝らしてじっと観察する森羅万象から次々に余人を以て代え難い貴重な「発見」をなし、それらその都度見事な歌に詠んでいることに気づいて、いたく感動させられる。

 

さて例歌だが、わたくしは俄かに天邪鬼精神を発揮して、恐らく誰も引かないだろう、しかしただごと歌の歌の神髄を突く「白い舌状花」というタイトルがついた4首を紹介しよう。

 

 管状花の巡りに白い舌状花あるのがヒメムカシヨモギと知る

 

 管状花の巡りに白い舌状花殆ど無いそれがオオアレチノギクとぞ知る

 

 管状花咲けばどちらも白い花ヒメムカシヨモギもオオアレチノギクも

 

 ヒマワリのお皿の部分が管状花、巡りの黄色い花が舌状花

 

最後の歌が懇切丁寧なる説明になっているのが微笑ましいが、(Xツイッターでは多数の写真でこのささやかな発見を裏付けていた(私ら夫婦は、昨日本書とスマホを持って近所の原っぱを歩きながら、この歌のリアルを実地で学んだのだった。

 

奥村短歌の代表作を振り返ると、どの作品も「単なる発見やただごと」であるはずの歌が、ある境界線を超えると、ある種の眩暈を伴って、一瞬にして「ただごとならぬ、ただならぬ世界」へと変容していくことが分かる。

 

ここがロドスだ。ここで奥村は跳んで、オクムラに転生するのである!

 

運転手は、なぜ一方向だけを熟視しているのか? 満員電車の中のリーマンは、なぜ豚にも劣る哀れな存在なのか? 世間では軽蔑されている犬猫は、なぜ人間よりも卓越した素晴らしい存在なのか? ヒメムカシヨモギとオオアレチノギクの違いをどこまでも闡明し続けてやまないこの厳粛なる精神とは何なのか?

 

謎は謎を呼んで、あしたのXツイッターに続いていくのだった。

 

    ウクライナ、ガザ、ジミン、オスプレイ 大谷さんに夢中な理由 蝶人

 

 


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