あまでうす日記

あなたのために毎日お届けする映画、本、音楽、短歌、俳句、狂歌、美術、ふぁっちょん、詩とエッセイの花束です。

きさらぎ、きさらぎ~「これでも詩かよ」第124番

2015-02-13 13:17:13 | Weblog


ある晴れた日に第284回


きさらぎ、きさらぎ、寒さの極まり
さんさん、さんがつ、ややに近付く

ひさかたの 春の待たるるそのあした
妻とふたりで 朝夷奈峠

おたまじゃくしの 卵を求めて
うろうろ、うろうろ、鵜の目、鷹の目

草の根かきわけ 探したけれど
三つの小池を 覗いたけれど

どこにもいないぞ ぬるぬる卵
浅き夢見し ぬるぬる卵

きさらぎ、きさらぎ、寒さの極まり
さんさん、さんがつ、ややに近付く


「温かき心は挨拶から」と書いてある標札にして掲げるはいかがなものか 蝶人
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ジャックの豆の木~「これでも詩かよ」第123番

2015-02-12 07:44:39 | Weblog


ある晴れた日に第283回


金曜日の朝、渡辺派がいよいよ私を粛清しようとしている気配を察知した私は、急な坂道を駆けのぼった。

追い詰められた私たちは、階段を登ろうとしたが、その階段は途中で終わっていたので、階段のたもとまで下って、階段の左の脇道を進もうとしたのだが、そこでにっちもさっちもいかなくなってしまった。

眼の前に大聖堂が聳えていた。

無人の大聖堂をいっさんに通り抜け、私はその裏道を急いだが、どうも誰かが私の跡をつけているようだ。

真っ暗な小道をひた走りに走ると、いつのまにか異人街に辿りついた。教会では大柄な人々がクリスマス・キャロルを歌っている。

教会の外の広場には、大勢の人たちが集まっていたが、彼らの表情には不安の色が浮かんでいた。

そこはロンドンのトラファルガー広場のような広場で、親子が見せものを見物しているが、実際は彼ら自身が見世物になっていて、そこではシャツ1枚で冬の極寒にどこまで耐えられるかの実験が行われているのだった。

そこで一計を案じた私は、仲間のドイツ人たちと一緒に広場に乗りこんで、彼らを落ち着かせようとした。

身軽なドイツ人の若者は、音楽に合わせてマイケル・ジャクソンを凌駕する完璧な幽体移動の必殺技を繰りだすと、次第に暗欝な雰囲気が崩れて笑顔が戻って来た。

ぬばたまのお伝は、「お客さん、よってらっしゃい、みてらっしゃい、これはほんとに美味しいお酒ですよ」と巧みに客引きをしながら、じつはこえたごから汲んで来た汚ない水を売りつけている。

いまや広場ではアジア、いな世界最大の万博が開催されており、広大な会場には自然館と商品館の2つの球形のパビリオンが並んでいた。

自然館はそのまま地球の7つの大陸がそっくり内蔵されており、商品館で買い物をした大勢の客たちは、レジを終えるまでに数時間も待たされていた。

そこで私は、喉の奥に生えているジャックの豆の木にぶらさがりながら、どこまでも、どこまでも地中深く降りていった。

 すると下水配管が集まっている場所に、巨大なサッカー練習場があったので、ここでボールを蹴り合っていたら、四方八方から押し寄せる人々によって、私は黄泉の王として戴冠されたのだった。


    いぎたなく美食飽食し尽くして猪八戒になりし人々 蝶人
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夢は第2の人生である 第23回 

2015-02-10 13:41:18 | Weblog


西暦2014年神無月蝶人酔生夢死幾百夜


日本百名山に次々に挑戦していたが、いよいよ富士山を征服しようといつものようにヘリに乗り込み、頂上から縄梯子を伝って降り立ったのだが、待てよこれは「登頂」ではなく「降臨」ではないかと思い当たり、すべてをやり直すことにした。10/1

その会社の経営者が幹部に示す月次方針は、いつものように絵と文字が複雑に入り組んでいるために解読するのに骨が折れるのだが、今月のは文字がなく、パウル・クレーのような絵しか描かれていなかったので、経営会議は紛糾した。10/2

その村の入り口にひとりの老人が座っていたが、私に「ネットのことをわしに聞くな。auに電話して聞け」と告げると、また眠りこんでしまった。10/3

ラムパル峠のてっぺんまでやって来たので、私は「きみがここまでわざわざ送ってくれたから、僕はもう寂しくなんかない。寂しくなったら、きみのことを考えるさ。もう充分だから村に引き返しなさい」というと、彼女は「でも私はどうすればいいの」と呟いた。10/4

久しぶりに授業に出ようと思って大学にやって来たのだが、友人とお喋りしている間に時が経ってしまい、いつどこの教室でどんな講義があるのかも分からないので、焦った私は校舎のはずれの鉄塔の下の夏草に潜りこんで、いつまでもキリギリスの鳴き声を聴いていた。10/5

断崖絶壁に白い中古のフォルクスワーゲンを停めた男は、白い手袋を嵌めてハッチバックを開け、(私はこんなカブトムシを初めて見た)、大量のバイブルをその後部空間に並べて販売を始めると、いつのまにやら大勢の人々がやってきて、競うようにそれを買うのだった。10/6

全国シューズ学会における彼女の発言は、出席者から拍手喝さいで迎えられたが、それは彼女の赤裸々なプライベート・フィルムの上映に対して贈られたものだった。10/7

酔っぱらった吉村氏がナイフを振りかざして襲いかかって来たので、私はカスバの木賃宿を飛び出し、そこに止まっていた自転車に飛び乗って大砂漠の底に通じる坂道を猛スピードで降りながら、もう二度とカスバの女王には会えないだろうと思って、紅い涙を流した。10/8

クグツのごとき風体の正体不明の3人組を見た瞬間、脅威を直感した私は、襲われる前にやれ、とばかりに彼らを馬から引きずりおろして奪い取ったスコップでめった打ちにし、顔面を靴で蹴り上げたが、のたうち回っている彼らを見ながら、待てよ、これは私よりも弱い無辜の民ではないかという後悔が擡げてきた。10/9

ネットを開くと、だいぶ時間が経ってから、鮫と人間の頭と石榴が出てきた。道理で時間がかかったわけだ。10/11

「雌鶏」を「面食い」と取り違え、「大事にしてください」を「お大事にされてください」などと言う教養のない男が、親のコネで理事長に就任したので、私たちは嫌気がさして仕事を怠けるようになった。10/12

しかもその新たな経営者は、「野球の試合でホームランを打った者には、おいらのカミさんを抱かせてやる」とおふれを出したのだが、彼女の写真を見た私たちは、一層やる気を失ったのだった。10/12

台風が来るから早く寝ようと思っていると台風が早く来るから早く寝ようと思っていると台風が早く来るからと思っていると台風が来るから早く寝ようと思っていると……10/14

台風がやってくる/雨か風か/トイレにいかねば/台風がやってくる/雨か風か/トイレにいかねば/台風がやってくる/雨か風か/トイレにいかねば/台風がやってくる/雨か風か/トイレにいかねば/台風がやってくる/雨か風か/トイレにいかねば10/14

真っ暗闇の道を、オートバイのうしろに彼女を乗せて疾走している。左側から張り出している樹木を避けて右にハンドルを切り、また左に戻ろうとしたら、巨大な茶色のヒグマが両手をバンザイして立ちふさがっていたが、私はそのまま突っ走った。10/16

現在では国家警察によって、我々のすべての私生活が動画に記録されるようになってしまったのだが、私は長年にわたって鋭意研究努力を続けた結果、彼奴らによってそれが再生されないようにする特殊技術を開発することに成功した。10/18

港町の安宿で呻吟していたら、橋本氏が「Tender is the Night だよ」と囁いたので、「ダーバンの港はほのぼの明け染めて今宵限りはデボラも優し」なるアフリカ短歌が生まれたのだった。10/19

商社の巴里駐在員の私は、日本の某有名企業から物見遊山にやってきた3人の女性の接待を命じられた。初日はA子をアテンドして終日市内観光、晩飯の後で踊りに行ってホテルまで送っていったら、そのまま朝帰り。翌日はB子、その翌日はC子の繰り返しで、私は死んだ。10/20

夜中に妻が突然頭部への激痛を訴えたので、タクシーを呼んで湘南鎌倉病院へ行くと、救急外来には多くの患者が思い思いにソファーに寝そべっていて、ほんの2,3人しかいない新米医者から名前を呼ばれるのを待っているのだった。10/21

公金を横領して会社を首になり、起訴されて有罪判決を受けた情けない男の話が新聞に出ていたので、ケケケと嘲笑っていたら、なんとそれは私のことだった。10/22

いつものように大方の反対を強引に押し切り、大人向けの製品なのに、「ユベッ子」という商標を押しつけて裁断しようとするマエ・セイゾウを、私は面と向かって「いい加減にしろ、世界はお前を中心に回っているんじゃあないぞ!」と怒鳴りつけた。10/22

 久しぶりに省線電車に乗ると左に井出君が座っていて、右側にチイチイパッパと群れている若手女子デザイナーのあれやこれやについて、くわしく伝授してくれた。

 会社の中で大勢のスタッフが展示会の準備をしているのを見物しながら、あちこちうろついていると、いつの間にかどこかで見たことがあるような、しかし実際は初めて見る可愛らしい女の子が頬笑みかけ、私の右腕を取って暗がりに導く。

接吻をうながされたので唇を近付けると、彼女は「そうじゃなくて猫又キスよ」と言いながらいきなり上半身を海老反らせて一物を含もうとするので、私は大いに慌てふためいて進退に窮したのであったあ。10/23

その商業施設には、「オールウエイズ・ハッピー」という標語を掲げた店が出店していたが、その真後ろには「トゥジュー・トラバイエ・ボクウ」と書かれたショップが、向こうを張っていた。10/24

おひるごはんを立食べてから、みんなで立ち新井のの道を歩いていると、ドングリの実がたくさん落ちていた。すると妹は、「私はどうしてここにドングリの実が落ちているのかを説明する本を書いた。そしてどうしてドングリが姿を消すのかについて説明する本は私の友人が書いたのです」と云うた。10/25

短歌の五七五七七をデジタルではかる測定機が開発された、というので、大勢の歌人たちが、我も我もと自分の歌を積算しようとしていた。10/27

夜遅く書斎で仕事をしていると、家の外でなにやら物音がする。恐る恐る窓を開けると誰かが逃げ出したので、「こらああ」と怒鳴ろうと思ったが声が出ない。そいつを見ようとしたが眼が開かない。10/28

私が小説だか論文だかを死に物狂いで書きまくっていると、だんんだん小さな石のような物になって、海の中に沈んでしまった。しばらくするとその石のような物が動き出して、私の分身のような者となり、またしても小説だか論文だかを死に物狂いで書きまくるのだった。10/29

お萩を食べても食べても、新しいお萩が出てくる。10/30

私の治めている城に、和泉式部を名乗る女が「一夜の宿を借りたい」と申し出てきたので、泊めてやった。式部とともに城内を歩いていると、恋人との別れを辛がって泣く関野や、早く子供をおろせと女を責める桐野など、兵士の心中が手に取るように分かった。10/30

鈴木正文課長は、「今日から3日間特別教習を行う。徹底的に扱くからそのつもりでおれよ」と発破をかけたが、私は「またここから坂が下るのか。そいつを固く踏みしめねばならぬ」と思っていた。10/31

   新聞屋は親切な商売なり朝晩届けて集金に来る 蝶人
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ドン・シーゲル監督の「真昼の死闘」をみて

2015-02-09 14:00:56 | Weblog


bowyow cine-archives vol.768

かの有名なハイヌーンそっくりの邦題で見るのをやめようかと思ったが、意外にもクリント・イーストウッドとシャーリー・マックレーンの凸凹コンビが新鮮で最後まで楽しく鑑賞することができた。

イーストウッドはいつも通りだが、実は娼婦なのに尼僧に扮したマクレーンが半裸を見せたり、ロバに乗ったり、ガラガラ蛇をつかんだりして大活躍。しかしメキシコがフランスに占領されていたなんて全然知らなかったな。

2人はメキシコ人に同情して反仏テロ活動に挺身するのです。1970年製作の珍品西部劇映画なり。


私には「ご主人様」妻には「奥様」と礼儀正しきミサワホーミングの桑名君 蝶人
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金子兜太著「他界」を読んで

2015-02-08 10:26:38 | Weblog

照る日曇る日第756回


 俳句の大家、金子兜太翁もこの本のなかで、「他界」すなわち「異界」すなわち「来世」、すなわち「あの世」はあるという。

 おそらくそれは彼のトッラク島における凄絶な戦争体験からきているのだろうが、もしそれがほんとなら大変だ。

 この世の生物は肉体は失せても魂はみなあの世でしっかり実在していることになるから、私らが死んじまっても、とっくの昔に亡くなったはずの父母や祖父母や親戚や愛犬ムクやお富さんなんかとも、あちらのどこかで近接遭遇するという素晴らしい出会いが待ち構えていることになる。

 いまのところ私は神も仏も基督もモハメットの神にも依拠していない無信仰者だから、死ねば終り、空の空にてハイさようなら、ジ・エンドで結構な人なのだが、考えてみればかなり淋しい死生観の持ち主ということになる。

 なかにはその空虚と孤独に耐えられず、真の前にぶら下げられた縄にすがってあの世へスイングする人なんかもいるようだが、私なんかはさしずめ足首に縄目をつけないで谷底めがけてバンジージャンプするようなものだなあ。

 ワン、ツー、スリー、鬼が出るか
 ワン、ツー、スリー、天使が出るか、
 ワン、ツー、スリー、さあここで飛べ。

 バンジージャンプで地獄に着いて、待ち構えていた閻魔さまにわが来し方の罪状を洗いざらい告白させられて、ダンテの神曲の出てくるような身の毛のよだつような煉獄で生かさず殺さず永久に業火に焼かれるようなことなったら、どうしよう。

 どうやら、どうにもこうにも始末に負えない困った本を読んでしまったようだ。


  眼を瞑れば此岸から彼岸へ一っ跳び眼を見開けばこれまた此岸 蝶人
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すべての言葉は通り過ぎてゆく 第19回

2015-02-07 13:41:43 | Weblog


西暦2015年睦月蝶人狂言畸語輯&バガテル-そんな私のここだけの話op.191


しかし少し考えてみると、この国にお目出度いことはあっても、目出度いことなど何ひとつないのだった。1/3

晦日から新年にかけて大切にしていた手袋や万歩計を失くす。失せ物占いでもしてもらおうかしら。1/5

モーツアルトはあんまり難しくもやさしくもない。中間のところで音楽を書く。しかしブリリアンスには欠けない。きいていてとても気持ちがいい。吉田秀和

そして音楽通がきくと「なるほどなあ」と思うところがどこかここかにある。しかしそれは露わになっているわけじゃなくて、素人がきいても「どうしてかはわからないけど、やっぱりいい曲だなあ」と思うようになっている。吉田秀和

k456のピアノ協奏曲、第2楽章のト短調の主題の後、ピアノの第1変奏の最初の音をきいただけで、「ああ、これはもう世界中のどんな作曲家でもなく、モーツアルトのものだなあ」ということがわかるような味わいがありますね。吉田秀和

ハイドンはレオポルド・モーツアルトに「私は正直な人間としてあなたに申し上げるけど、あなたの息子さんは、私が名前をきいたり、あるいは親しくお目にかかったなかで最大の作曲家です」と言った。これはかつて音楽家が同時代の音楽家について言った言葉として一番感動的な表現じゃないでしょうか。吉田秀和

モーツアルトは短調で書いてもその中に長調が混ざってくる。長調で書いても短調が混ざってくる。晴れたような曇ったような、曇ったような晴れた日本の4月の空を、桜の花の下から眺めたときのように。吉田秀和

明るい調和した優美な世界とデモーニッシュな悲劇的な世界と、どちらかが本当というのではなくて、その両方がモーツアルトの本質なのでしょうね。吉田秀和

「フィガロの結婚」第2幕のフィナーレでは937小節の長さにわたって音楽が事件を運びながらどんどん流れてゆく。「よくもこんなに何でも音楽で書けたものだ」と思って感心しますねえ、僕は。吉田秀和

カールベームが死ぬ2、3か月前にゲッツ・フリードリッヒの演出で「フィガロ」を振ったとき、第3幕のフィナーレのファンダンゴで登場人物たちがみんな緩やかに踊って、まるで夢の中の風景みたいでした。これは僕、本当に忘れることができませんね。吉田秀和

いくら有名歌手がぐあんばってカヴァーしても結局原曲の歌い手に敵わないのはなぜだろう? おそらくオリジナルに似せようとしているからだ。
ボブ・ディランのThe First Noelを聴け。http://misterme.ro/category/video/Bob-Dylan-The-First-Noel-audio-2009/035961e58ed3acfe2ffb248a1c7d3d0f/162

カラヤンとクライバーは良かったが、メストやバレンボイム、マゼール、メータ、アーノンクールは良くない。小澤なんかは最悪だった。ウイーンフィルのニューイヤーコンサート。来年からは指揮者なしでやったほうがいい。1/6

昨年読んだ思想書で最も感銘を受けた1冊は、加藤典洋氏の「人類が永遠に続くのではないとしたら」です。40年以上前に国立国会図書館員だった彼と門君と3人で東京文化会館で聴いた若杉&都響のブラームス2番の名演を思い出しながら読んでいました。
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1931728268&owner_id=55010941/7

安倍自民党のPRメディアと化したNHKでいちばん役立っているのは毎日夕方首都圏版で流しているオレオレ詐欺防止番組「私はだまされない」だろう。1/8

凶悪な台湾リスどもがコジュケイの親子を襲うのではないかと心配だが、多勢に無勢でどうしようもない。狸は昔から見かけるが、先日は50キロくらいの猪が出たそうな。冬の鎌倉の里山には食い物がないのだろうか。1/11

「マッサン」をみているとニッカ創業者の竹鶴より寿屋の鳥井信治郎の方が大物のように描かれているが、これはまったく事実と異なる。竹鶴は信治郎とは無関係に独立資金を得た。1/17

身近に迫るテロの脅威への反対、表現の自由の擁護と説かれればそうかと思うのだが、いまフランスで起こっている一大デモンストレーションの真因はどこにあるのかよく分らない。よく分からないときには、黙って人の言うことを聞いていればよいのだろう。1/17

イスラム原理主義者のテロルには、彼ら以外の誰もがこぞって反対するだろうが、そのテロルに対して、もっと巨大な組織されたテロルで対抗すれば、地上に平和が訪れるというのは、かつてかの阿呆莫迦ブッシュが夢見て大失敗した誇大妄想である。1/17

偏狭で狂信的な原理主義者のテロルには、私も反対する。しかしいくら言論が自由だと言うても、その直接の引き金になったフランスの新聞社のモハメット風刺自体はけっして褒められた代物ではない。ああいう下品で野卑で非常識な表現は自主規制しなければならない。1/20

イスラム危機打開のイニシアチブを取ることなぞ出来もしないのに功名心に駆られてノコノコ中東ツアーに出かけて国民の血税をばら撒き、テロリストの邦人殺戮の恫喝に遭うや人命第一と驚愕してトンボ帰る。長州の士なら「私を人質に取れ」とどうして言えないのか。1/21

この問題についてこの人物に聞けば多分こう言うだろう、と思って耳を傾けるとその通りを語っている。そういう事例が何度か続くと、私たちはだんだんその人物に興味を失ってゆくものだ。1/18

そのことをよく分かっていたので、吉本隆明は時々世間や自分の中の「常識」に逆らってあえて異論を打ち上げたのではなかろうか。その異端的な言動そのものが世の思想の多様な在り方に資するとひそかに考えながら。1/18

3番目の交響曲をナポレオンに捧げることは止めたけれど、ベートーヴェンにおける巨大なもの、権力へのあこがれは、ワーグナーほでではなくとも彼の音楽の底辺を流れていた。クナパーツブッシュ、クレンペラー、フルトヴェングラー、ティーレマンの演奏はその流れを遡行し再現しようとするものだろう。1/18

自称「積極的平和主義者」が、長年にわたって培われてきた親アラブ友好政策をイスラエルへの急接近によって著しく毀損したことが、このたびのイスラム国の邦人人質事件につながったことは言うを待たない。1/25

聞こえたのは「人命第一」の掛け声だけ。現地で悪戦苦闘する若い副大臣にもっとも難しい外交交渉を丸投げして、事態をただ静観、追認するのみで「認知症対策」などにうつつを抜かしている。これでは戦後最悪最低の宰相と呼ばれても仕方がないだろう。1/27

安倍蚤糞が頼まれもしないのにイスラエルと中東へ行って、「イスラム国対策に2億ドル」などと見得を切らなければ、このような事態には陥らなかったと思うのだが、それについては全部棚上げとなり、いまや万事ヨルダン任せということか。1/28

死んであの世があるものか。死んで花見が咲くものか。それが問題じゃ。1/29

サッカーも負け、テニスも錦織が敗退したので楽しみは失せ、残ったのは胸が痛む人質問題だけ。1/29


 私の代わりにトイレに行ってくれる小便小僧どこかにいないか 蝶人
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すべての言葉は通り過ぎてゆく 第18回

2015-02-06 12:57:26 | Weblog


西暦2014年師走蝶人狂言畸語輯&バガテル-そんな私のここだけの話op.190




織田信成っていいキャラクターだな。解説で泣くのも悪くないしCMの漫画顔もいい。すっかりファンになってしまいました。12/1

なんでも「ダメよ~、ダメダメ集団自衛権」というのが今年の流行語大賞になったそうだ。12/2

過ぐる3年半に民主党は何事もなさなかったが、自民党は2年間悪事悪行のみをなした。12/4

モーツァルトは非常にすばらしい音楽を書きながら、ベートーヴェンと違って、書き過ぎない。そしてあるところは暗示でとどめたりする。彼はけっして行き過ぎない芸術家だった。吉田秀和

モーツァルトは人間の心のありのままを音楽に写そうとした。しかし「音楽はどこまでも音楽で、美しくなければならない」と考えていた人だった。吉田秀和

モーツァルトの音楽を聴いていると、「やっぱり心の広い人がいい音楽を書くのかしら」というような気になるところがありますね。吉田秀和 12/5

高倉健、菅原文太、羽生、日本人は昔からマッチョが大好き。石原慎太郎、安倍晋三、日本の政治家もマッチョの振りをしたがる。NHKの朝ドラは「マッサン」が女々しくなったので視聴率が急落したそうだ。12/6

物言えば唇寒し安倍蚤糞。富めるをますます富ませ、貧しきはまずます貧しく、その間の者を陥没させるのが安倍蚤糞。12/6

安倍蚤糞の最大の功績?は、円安元高となり中国および中国人のニッポン買いが進んだこと。尖閣はもとより列島全体が超廉価で買い上げられる日もそう遠くはないだろう。12/6

ああ! 今朝もまた、こんなに死んでしまいました! 急性肺炎、89歳、心臓発作、69歳、気管支肺炎、83歳、 ああ!この方はフグ中毒研究の元祖でございました! 動脈血栓、74歳、肺癌、86歳、 ああ!またこんなに死んでしまいました!大江健三郎「新しい人よ眼ざめよ」

高倉健や菅原文太が亡くなって回顧上映されたのは、彼らの代表作である任侠ヤクザ映画ではなかった。若い担当者の無知なのかそういう土壌がこの国から失われたせいなのか知らないが。

本日の遺言。ともかく棄権をせず、自公に1票も与えないこと。さもなくば我らもろとも地獄に落ちるだろう。12/14

自公が想定内の圧勝。本日より地獄の日々が始まる。されど絶望は希望に相似たり。12/15

全国で3議席減らして沖縄小選挙区では全敗。精確には負けているのだよ安倍自民党。12/16

そうです!がんばって長生きいたしましょう! シべリウスは92歳、スカルラッテイは99歳、エドアルド・ディ・カプアは112歳まで生きたのでしたよ! ああ!すごいもpのだなあ! 大江健三郎「新しい人よ眼ざめよ」

協調と競争の2つの局面において「合わす」ことを心がけるのが日本文学の基本的性格だった。「合わす」意志と「孤心に還る」意志との間に戦闘的な緊張、そして牽引力が働いている限りにおいて作品は稀有の輝きを発した。大岡信

「“散華”どころか“犬死”なのである。この本に登場する人物はすべて強制的に“犬死”させられたのである。後に残った人々がそう認識することが、彼らに対する“慰霊”なのである」吉行淳之介の随筆集「なんのせいか」

せめて君ひとりくらい君が面白いと思っていることをもっと面白がって小説を書きませんか。文学賞がもらへないと判ってゐるにに小説を書くのは、時間の浪費だと言ふ人もあるかもしれません。しかし、文学といふのはもともと暇つぶしなのです。丸谷才一

「裏切り者、いかす女、新入生、女たらし、クズ、駄馬、売れない品物、額面割れの債権」などの意味をあわせもつ単語を我々日本人は想像できるだろうか。答えはdogである。これと比べるとcatにはさほどの柔軟性はない。所詮猫とはその程度のものなのであろう。富山太佳夫

「まっ暗だ。どっちを向いてもまっ暗だ、なに一つ見えない、どこかで道に迷ったんだな」「虚空遍歴」山本周五郎12/21

在京のオーケストラを聴きまくっていた頃、私が一番好きだったのは新星日響だった。ある日全盛時代のコバケンが、チャイコを振り終えたあと、後ずさりしながら東京文化会館の地面に落下して、彼の頭がコンクリートに激突するゴツーンという音が鳴り響いた。

幸い大事に至らず、一瞬静まり返った聴衆は安堵の胸を撫で下ろしたのだったが、当時の文字通り炎のように燃え上がる熱血演奏が、それから次第に影をひそめていったのは、あの事故のせいではなかったろうか。12/22

新星日響のコンサートマスターが交通事故で急死した直後のコンサートは、彼の細君も演奏に加わっていたためにいっそう悲劇的で悲壮で観衆たちの魂を激しく揺さぶった。この不滅のパトスは今もなお彼らが合併した東フィルに伝えられているような気がする。12/24

おもい切ろうとあきらめて、それから恋になりしとや、浮名も立たで。山本周五郎「虚空遍歴」

テレビ朝日系「ドクターX~外科医・大門未知子~」は面白かった。脚本もいいが、ヒロインの米倉涼子をはじめ脇役がみなイキイキと演じていた。しかしもう続編は作る必要はない。

フジテレビ系のふぁっちょんドラマ「ファーストクラス」が終了。最後は古着再生手作りブランドの立ち上げというもっともらしい妙案で終わったが、沢尻エリカの圧倒的な演技力のなさが素晴らしかった。

文壇とか歌壇、俳壇というのは世間の人は誰も知らない小さな蛸壺なのだが、覗いてみるとその底は意外に深くて、古狸や女狐などが蠢いている。

ところで文壇が消滅して久しいのに、俳壇や歌壇がまだ存続しているのはなぜだろう。

いまどきシラーやベートーヴェンのように愚直に「歓喜の歌」をうたえる人はいないだろうが、それでもオオ、フロイデ!という言葉の真実らしさを信じる演奏と、まったく信じられない冷めた演奏の違いだけは聴き取ることはできよう。12/28

バッハやブルックナーの音楽を聴くと、彼が神を信じ、神を見た人であることが分かるが、だからといって神を信じる人による演奏が優れていて不信心な者による演奏が駄目というわけでもない。しかしどちらかというと私は前者の演奏を好む。12/28

「伊賀越道中双六」通し狂言の「竹藪」などでは、滑稽なスローモーションによる活劇が繰り広げられるが、このスローモーション演出は、江戸時代から行われていたのだろうか?世界の演劇史の中でスローモーションはどのように位置付けられているのだろうか?12/28


  またしてもモンゴルの怪物現れて日本の土俵を席巻せんとす 蝶人

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西部劇2連発!!

2015-02-05 13:45:10 | Weblog


ゴードン・ダグラス監督の「鷲と鷹」をみて

bowyow cine-archives vol.766

筏渡しのリー・ヴァン・クリーフが、強盗のウオーレン・オーツと戦って最後は2人で決闘するというバカみたいな噺。せっかくいい役者を使いながらこのくだらなさはどうだ。監督がアホバカなんだろうけど、じつに勿体ない。


ウォルター・ヒル監督の「ワイルド・ビル」をみて

bowyow cine-archives vol.767

明治維新の頃に実在した西部のあらくれ男が若冠39歳で凶弾に斃れるまでをモノクロ回想シーンをうまく使いながら老功ヒル監督が淡々と綴ってゆく。

それにしてもあの有名なカラミティ・ジェーンと酒場でからんでいる最中に、敵に取り囲まれるとは、ちと過去悪すぎるのではないかいな。

結局敵どもを皆殺しにしながら、かつて愛した女の息子の不意打ちに遭う主人公は、身から出た錆とはいえ可哀想なり。


「モーレツからビューティフル」のコピーを書きし人の死を告げていた美しい筆跡 蝶人

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ジョージ・コストマス監督の「トゥームストーン」をみて

2015-02-04 13:26:20 | Weblog


bowyow cine-archives vol.765

またワイアットアープとクランクトン一家の決闘噺かと馬鹿にしてみていたら、出てくる役者はみないまいちだけど、なかなか面白かった。

OK牧場の決闘も、その後長く続いた両陣営の対立とその終焉もだいたい史実に忠実に追ってあるので、感心した。とくにアープと妻との冷戦や、新しい伴侶との関係をしっかり描いた点は評価できる。

本作は事実とは大いに異なるけれど映画としては遥かに優れている「真昼の決闘」や「OK牧場の決斗」には一籌を輸すけれど、これはこれで悪くない西部劇だった。


  20年をボランティアに捧げて全身ガンで73歳で果つ 蝶人
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アンドリュー・デイヴィス監督の「沈黙の戦艦」をみて

2015-02-03 13:38:45 | Weblog



bowyow cine-archives vol.764



1992年製作のアメリカ映画なりい。

 どこが「沈黙」なのかわけのわからん邦題だが、Under Siegeというタイトル通り、極悪人トミー・リー・ジョーンズ一味に乗っ取られ、乗員全員が人質に取られた戦艦ミズーリの危機一髪を、料理人のスティヴン・セガールが見事にやっつける一大海洋冒険活劇なりい。

 缶コーヒーのCMでは老成したいい顔つきのトミー・リー・ジョーンズが、ここでは反権力の革命家に扮してハワイ軍港に向けてトマホークミサイルをぶっ放すのだが、それを追尾したF13戦闘機が撃滅できるのだろうかと怪しむ。


 なにゆえに「今日から日本人との戦いが始まった」“偽イスラム国”を逆上させし厚顔と無恥 蝶人

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なにゆえに第11回~西暦2014年睦月蝶人花鳥風月狂歌三昧

2015-02-02 13:26:30 | Weblog



ある晴れた日に第282回


なにゆえにベーム、バーンスタインは振らなかったのウイーンフィルのニューイヤーコンサート 

なにゆえに降誕祭によく似合うバッハのオルガン小曲集「オルゲンビュヒライン」

なにゆえに自公に票を入れるのか自分の首を自分で絞めるな

なにゆえに憲法「改正」などとほざくのか今より悪く変える話なのに

なにゆえに滑川の底に沈んだかじっと動かぬ緑の手袋

なにゆえに歌壇俳壇は生き残る文壇はとっくの昔に消滅したのに

なにゆえに歌壇より花壇が好きなのか心静かで美しいので

なにゆえに同じニュースを繰り返すNHKは鸚鵡放送局

なにゆえに耕君は戸を壊す誰も気持を分かってくれない

なにゆえに歳月のみが流れ去るわが身ひとつを置き去りにして

なにゆえにホーム介護員を辞めたのかふぁみりーな宮下の高橋さん

なにゆえにサザンは安倍蚤糞をおちょくった我ら民草さんざん苦労してるから

なにゆえにパナのエアコンは寒いのかパワフル30度に設定したのに

なにゆえに手袋も万歩計も消え失せた失せ物出てこいと空に叫ぶ

なにゆえにそはタブーなるか知らねども指差して物言うは止せとまた妻がいう

なにゆえに跡形もなく消え失せた鎌倉雪の下吉田秀和邸

なにゆえに私はてんで眠れない自称右翼の国家主義者の「顔」ゆえ

なにゆえに年賀状の返事を寄越さない耕君が毎日待ち焦がれているのに

なにゆえに障「害」者などと言う誰かを害したことなどないのに

なにゆえに誕生日の知らせがまだ届く君はまだ電脳界に生きているから

なにゆえに鼠は餅を齧りしやどこからも侵入できないはずなのに

なにゆえに夜中の屋根裏で音がする鼠か鴉かそれとも鵺か

なにゆえに滑川で金魚が泳いでいる謎の男が金魚鉢ぶちまけた

なにゆえに東京行き帰りがしんどいの寄る年波には勝てないからさ

なにゆえに松竹歌舞伎座に行かないか阿呆莫迦再建計画に反対したから

なにゆえに朝から晩まで身を粉にする働かないと食べていけない

なにゆえに朝から晩までSNS漬けそこしか世間の風が吹かないので

なにゆえにお気に入りの腕時計が無くなった桑港で買ったあの時計が

なにゆえに無くなった腕時計が突如姿を現す奥様は魔女

なにゆえに邦人拉致殺戮の地から逃げ帰る松陰に恥じることなき政治家であれ

なにゆえにイスラム国は襲撃するこの国の政治の変化を見抜いてるから

なにゆえに危険を承知でシリアに入る軍隊会社で金儲けするため

なにゆえにお巡りさんが立ち並ぶ皇太子さんがお墓参りするため

なにゆえに日本人の首が斬られる親アラブ友好政策を転換したから

なにゆえに「人命第一」などとほざいてる命懸けで交渉することもなく

なにゆえに外付けHDDに録画できない東芝のレコーダーが故障したから

なにゆえにイスラエルに余計な肩入れをした雉も鳴かずば撃たれまいに

なにゆえに耕君はふきのとう舎から今日帰る明日は大雪になりそうだから

なにゆえに鎌倉では雪が降らないの戸塚なんかじゃ大雪だというのに



  なにゆえに十九歳は人を殺す殺される痛みが分からないから 蝶人
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わが指揮者列伝~「これでも詩かよ」第121番

2015-02-01 12:53:58 | Weblog

ある晴れた日に第281回


ムラビンスキーはムラムラさせる

ホロビッツはホロホロさせる

トスカニーニは凸撃隊長

フルトヴェングラーは振ると面食らう

カラヤンは真昼間から眼をつぶる

クライバーは暗いCRYバア

セルはなんにも売らない

モントーはもっともらしい髭男

 カール・ベームは鞭声粛々

 クレンペラーはクラシックのエンペラー

 バーンスタインはバーンと飛んだ

 ムーテイはしんねりむっつり

チェリビダッケはゆっくりだっけ

朝比奈隆は鈍行阪急

バレンボイムは暴れん坊

マゼールは混ぜっ返す

 小澤征爾は小わざ小僧

エッシェンバッハは水のない川

アバドあっさり死んじまったあ


   障がいのある息子と並んで剃られている土曜の朝の小林理髪店 蝶人
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