時々、いやしょっちゅう、ブログを書く目的というのがわからなくなる。毎日、30分近くを費やす行為の確たる目的がわからないというのも困ったものだ。人間、生きる時間は限られていて、その貴重な資源を無駄に使っているようで考え直した方がいいのかもしれない。
ブログを始めたきっかけは自省の日記といったところだが、心の奥底までは踏み込むことなく、日々つれづれ思うことを書き連ねている。書いているのは表層の、ええかっこしいのことばかり。ならば暗黒面全開の小説でも書いたらいいのだが、それには文才がついていかない。
そもそも、”生き方、世の中、家族、犬。鎌倉、読書、病理、医療。日々あれこれ考えたことを書いています。”といっても、漠然としていて、一体なんのことだかわからない。かといって、私の専門的な仕事の内容を書くのであれば、書く場所はブログではなく学術書の方がふさわしい。

例えば、元気がないときには、自分を鼓舞し、言い聞かせるようなことを書いている。では、それをなぜ人様に読んでいただく必要があるのか。言葉にするのであればそれは声に出した方がいい。ただ、それは聞いてくれる人がいたらの話で、ブログの場合独り言と同じようなもの。毎日数十人の人がここにきてくださって挨拶がわりにボタンを押してくださる。そのことが励みになることもあるが、偽善者然として耳障りのいいことを書き連ねている自分が浅ましく思える。
自動翻訳機能が向上すれば、このブログも世界各国の言葉で読まれるようになり、より多くの人の目に止まるようになるだろう。そのとき、私のこの思いが読んでくださる方の幸せの役に立てばいいなと、葛藤しながら書いていこう。
またしばらく続ける