今朝の鎌倉は濃霧。
前に濃霧のことを記事書いたのは去年の7月(霧の向こうにはなにがある - 2020年7月22日)。そこで、『日本の将来も、世界の行方も、そして自分の人生そのものも五里霧中。』と書いていた。まさかそれが、こんな新型コロナウイルス感染症によることで、訳のわからないことになるとは思ってもみなかった。
『コロナの時代の新たな日常』として、「新しい生活様式」なるものが提示された。1.基本的な感染対策(人との距離は2m、症状なくともマスク着用、家に帰ったらまず手と顔を洗う)、2.日常生活(毎朝検温・健康チェック、3密回避)、3.買い物(電子決済、店頭で物はむやみに触らない)、4.娯楽・スポーツ(ジョギングは少人数、歌や応援は十分な距離かオンライン)、5.公共交通機関(会話は控えめ、時差通勤)、6.食事(大皿は避け、料理は個々に、対面での食事はダメ)、7.冠婚葬祭(多人数での会食は避ける、発熱・風邪症状があったら参加しない)、8.働き方(テレワーク・ローテーション勤務、会議や名刺交換はオンライン)とのことだ。ほんの半年前とはもうすっかり世界が変わってしまった。たしかに、これだけのことを国民全員が実践していったらおそらく感染者の数はこのまま漸減傾向となっていくだろうと思う。
でも、多分そうはいかないだろうと思う。このような生活パターンを破る人が必ず出るからだ。
現時点での外出自粛要請を破ってあちこちに出没する人はあとを絶たない。
この前、緊急事態宣言をなし崩しにしてはいけない (2020年4月8日)で話したが、私の高校時代の苦い思い出がふつふつと蘇ってくる。人口の99%は休業、自粛で一生懸命頑張っている。本当に一生懸命頑張っているのだが、1%ぐらいは全くそんなこと無視だ。一瞬でも襟を正そうというきちっとしたことができないのだ。だらしないといったらそれまでだが、そういう人を変えることはできない。罰則規定ができたら話も変わるだろうが、私の高校ではそうしてくれなかったと同様、国も都道府県もそうはしてくれないだろう。
自分は感染してもいい、などと嘯いている人は本当に自分勝手で手のつけようがない。そういう人は権利意識が”猛烈に”強いから、文句を言われたら開き直るし、自分がいざ感染したら医療機関を受診して医療崩壊に手を貸す。さらには自分の行動が蟻の一穴となっているということも理解していない。自分とその身の回りにしか目が行かない人たちというのはどうしようもないのだ(アリンコのように小さい人たちが一番タチが悪い - 2020年4月8日)。そういう人たちは深い霧となって、私たちの前に立ちはだかっているが、私たちが自粛警察をやったところで無駄なのだ。だから、あんまりカリカリしないほうがいい。
コロナの霧はいつ晴れる?