こんな気持ちでいられたら・・・一病理医の日々と生き方考え方

人生あっという間、私の時間もあと少し。
よりよく生きるにはどうしたらいい?

スポーツを応援したい気持ちが薄れていく

2021年06月25日 | 日々思うこと、考えること
 湿気が肌にまとわりついてくる感じのする朝。気温はそれほど高くないのに、気持ちが悪い。今日から向こう一週間は雨模様が続くようでいよいよ梅雨本番。NHKでは防災情報を繰り返し流している。今年の集中豪雨は軽いもので済んで欲しいものだ。

 朝日新聞の朝刊一面に、”誰のためのオリンピック”というタイトルで、特集記事が載っていた。時間がなくて斜め読みになってしまったけれど、閣僚の中には中止を検討する声もあったようだが、総理大臣は”やめるのは簡単だけど、やめるわけにはいかない、やるしかない”というようなことで現在に至っているようだ。

 この1年半、コロナ対策に関する迷走を見せつけられ、政治に期待することなどもはやほとんど残っていないが、あらためてガックリさせられる記事だ。オリンピックの強行が何をもたらすか、想像できていないのだろう。テレビはせめてもの抵抗として日々の感染状況を放送しているが、オリンピック期間になったらこれらは一体どうなってしまうのだろうか。

 コロナ患者一人にかかる医療費を考えると、無観客にして入場料を払い戻した方がコストはいいのではないだろうか。世界選手権を東京、神奈川、千葉埼玉のいくつかの会場で行なっていると考えたらいい。多くの不要のものが露呈する中、”コロナ前”の価値観を引きずるものを捨てきれないでいるのが今回の東京オリンピックだ。オリンピックを開催して、感染が再拡大してこの国が医療崩壊を招いたとしたら、参加する選手たちはどう責任を取ってくれるのだろうか。勇気も感動も与えてくれなどしない。
 選手の間からボイコットの声が聞こえてこないのはどうしてなのだろう。そうした発言がもし仮にあったとしても封殺されているのか。それともボイコットする人は予選の段階で消極的にボイコットして敗退の道を選んでいるのかもしれない。そうまでしてやらせるオリンピックの意義というものを全ての選手、大会関係者に聞いてみたいものだ。
選手も責任を

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