おとといの党首討論、ここまで極限状態まできてしまっているからにはさぞ建設的なディスカッションが行われるのではないかと、一縷の望みをかけていたのだが、ネットニュースのトップ記事にはなっていなくて、”政治”のところにやっと入っているだけだったのには、大リーグエンゼルスの大谷が3打数3三振1四球だったと同じぐらい、拍子抜けした。その夜のテレビニュースで総理がオリンピックに関し、”国民に対して(また例によって)丁寧に話すことができた”という様なことを話しているのをみたので、具体策の様なものが提示されたのかと思っていたら、どうもそうでなかった様だった。CPCでヘトヘトだったので、詳しい話は見ないで寝た。
そして昨日になって、党首討論で総理が”少年の頃のオリンピックにまつわる思い出話”をしたとかいう話を知って、この世の終わりというか、なんというか虚脱感に襲われた。”対応している感”、”説明している感”、そんなのがいつまでも通用すると思っているのかよくわからないが、一体どうなっているのだろう。一つは、優秀なブレーンが周囲にいないことが想像される。前総理には恫喝上手な官房長官はじめ、彼の行いたい政治のために適材適所に人を置いていたが、現総理にはそういった人がいそうもない。だが、コロナ対応で参謀を疎んじる様なことをするのでは、今後もついていこうという優秀な人はおそらくいない。そして、時間ばかりが浪費されていく。
この光景を見て、自分の学生時代のことを思い出した。試験対策情報を集めるのが下手くそで試験には苦労した。初めのうちは講義はよく聞いていたので、自分1人でどうにかなると思っていたが、試験前になると、膨大な講義内容が平面的に広がっていてどこから手をつけていいかわかない。焦ってあれこれやろうとするが、浅く広くとなってメリハリ無くちょっと突っ込んだ問題が出るとお手上げだった。今の政治も、大した能力のない人たちが右往左往して、茫然自失の体をさらけ出している。このまま何も手を打つことができずに、オリンピック・パラリンピックに”なんとなく”突入してしまうのは火を見るよりも明らかだ。
ある意味、人間がすべて消え去るまでは新型コロナウイルス感染症を完全に解決することは不可能だと、開き直ってしっかりした参謀のもとどうやったら正面突破ができるかを考える時ではないか。たとえば開会式、閉会式を含め全試合を無観客でやるとか、損切りしてでもやることを考えたらいい。なんのためのオリンピックなのか、なんのためのスポーツなのか、その存在意義そのものが問われているのだから、それらを守るにはどうしたらいいかということだ。あたふたしているうちに、否応なしに試験は始まる。
オリンピックと大リーグ