夢を持とうといっても、そんな魔法の言葉をつぶやけば自動販売機の下の口からガチャンとただちに夢が現れてくるわけがない。昨晩、寝入り端に夢を探していたらいつの間にか眠っていた。夢を持つことは簡単なことではないとわかっているから、”夢を持つ”ということに意義がある。そんなことを忘れることなく日々探していけば、そのうちヒラメクものがあるかもしれない。
夢は夢でも、このところ夢見がよくない。うなされる様にして目が覚め、サイアクなのは内容を比較的よく覚えていて、それらにはロクなものがない。何かの兆しかと思い、夜中にスマホでこんな夢は吉夢、凶夢?なんていうのを調べ、案の定凶夢で余計にガックリすることもあった。
村上春樹の小説には夢がよく出てきて、主人公の”僕”は夢の中で様々な体験をし、それがしばしば現実に反映され、物語が展開する。ほとんどすべての人がそうだろうが、私の場合もその様なことはない。夢はただ単に過去に経験したことの脳による再整理作業だということがよくわかる内容で、夢見が悪いというのは実生活にストレスがあるということかもしれない。
夢は夢、夢見が悪からといっても、心のうちに隠しておけば誰に見られるわけでもない。そもそも、何を夢見るかを自分で決めることはできない。凶夢で心配だったら口に出して誰かに聞いてもらって、言霊にして吐き出してしまったらいい。眠るのが怖いというほどではないので、あまり深刻にならずに過ごすことにしよう。
夢ガチャ