こんな気持ちでいられたら・・・一病理医の日々と生き方考え方

人生あっという間、私の時間もあと少し。
よりよく生きるにはどうしたらいい?

私にとっての日課とルーティンワーク

2022年11月24日 | 病理のこと、医療のこと、仕事のこと
昨日の寒くて暗い1日が嘘のような明るくて爽やかな朝。
これでは元気にならざるを得ないし、体も勝手に反応して出勤のために起き出す。
オンラインミュージックの選曲も自ずと変わる。

私が朝やることはほぼ定型化していて、まずはベランダに出て写真を撮り、顔を洗い、自分の分の朝食を準備し、コーヒーが沸くのを待つ間に家中のゴミを集める。
着替え終わったら、コーヒーをマグカップに注いで朝食をとる。
寒くなるとセーターを着るので、髪型を整えるのを最後にするとか、細かいところは前後したり、割愛することもあるが、大抵はこんな感じ。
こういう一連の行動はパターン化しており、ルーティンワークという言葉に表されるが、日本語にはない。
もちろん、表現することは可能だが、ハマる言葉はない。

辞書的には、日課とか習慣と言うのだろうが、ちょっと違う。
日課というと、もう少し外部要因が入ってくることがある。
私の日課といえば今や、このブログ書きしかないが、かつては犬の散歩もあった。
だが、犬が亡くなってしまってその日課は無くなってしまったし、ブログ書きも書くことが無くなってしまったらやめてしまうだろう。
そういう意味では、日課とはある程度の意思を持っていなくてはできないことであり、逆にやらなくても別に困らないことと言える。

ルーティンワークにピタッとハマる日本語がないというのはどうしてなのだろう。
”いつも通りのこと”とか”普段通りのこと”というようなことは、曖昧でなんらかの定型化された行動を具体的に示してはいない。
仕事だったら、チェックリストでも作ってその通りにしなくてはいけないことだが、日常生活ではそこまではしない。
そういえば、チェックリストというのも日本語にはなく、トゥードゥーリストなんてのも最近になって膾炙してきた言葉だ。
これらは、行動目標、点検表といえるが、ちょっと仰々しい。

こういうビジネス用語が溢れるようになったというのは、これまでの日本社会には馴染みの薄かった概念だったということだろうか。
このような言葉を使って仕事を可視化するようになったのが、日本社会にとってよかったのかどうかと考えてしまう。

日本にはカイゼンがある

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