朝焼けで真っ赤に染まった空が見えた。
庭木が大きく揺れていたが、この谷戸に吹く風は南からのもので、案の定ベランダに出たら生暖かく強い風が吹いていた。
天気予報では、夜は冷えるということでコートを手に持って出てきたが電車に乗ると汗ばんだ。
今、江藤淳の西御門雑記というエッセイ集を読んでいる。
ご近所の方から紹介していただき、ネットで探したら古本を手に入れることができた。
その中に、『理工系大の人文社会科学』という一文があり、一生に一度しか出会うことがないであろう文系の学問を東工大の学生たちに熱意をもって伝えようとする氏の講義、課題に、学生たちが熱心に取り組んでいるということが綴られていた。
こういう真面目な学生の話を読むと、自分が学生時代、その時々のことに真面目に取り組んでいなかったことを思い出し、しまった、と後悔する。
私はいかにして講義をサボるかばかりを考え、仮に出席していてもろくに聞いていなかった学生だった。
武勇伝はいくつかあったものの今となっては恥ずかしくてその一つも口にはできないガラクタばかりだ。
部活には比較的熱心に取り組んだが、せいぜいそれだけだし、チームプレイの何たるか、支えてくれる人への感謝の気持ちなどは、傲慢さのうちにかき消されていた。
若かった頃の貴重な時間を無駄遣いしたツケがいまになって重くのしかかり、人生とは取り返しのつかないものだと思い知らされる。
人間はこうして後悔という人生の澱のようなものの上を、死ぬまで生き続けなくてはならないのだろうか。
だが、いくら後悔しても過去を変えることはできない。
そうであれば、”後悔すること”すなわち過去にとらわれることは意味のないことだ。
後悔よりも未来を生きるために何をすべきかを考えることこそが必要だ。
後悔よりも過去を振り返ることで、それを2度と繰り返さないよう、行動したい。
いつもいつも全力で取り組むことは難しいが、その時々の状況に対して緩急をつけながらそれぞれを決して疎かにすることなく生きていったら、この先後悔することはあるまい。
今を丁寧に生きる
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