なかなか暖かくならないし、今夜は雨の予報。
こうしているうちに本格的な春がやってくるのを待っているというのはわかるのだが、せっかちなものだからそれが待ち遠しい。
昨日のような陽気だと、とっくりのセーターが暑く感じられるようになったし、来週からはコートは不要になりそうだ。
もうすぐ3月。
ロシアによるウクライナへの軍事侵攻が始まって1年。
去年の2月25日のエントリーに私は、
『昨日、ロシアがウクライナに侵攻した。単なる独裁者に堕してしまったプーチン大統領は、大義すらないまま一つの独立国家を衆人環視の中で凌辱している。先の大戦後、何とか維持してきた世界秩序を覆す暴挙であり、さすがの中国もいまのところ静観の構え。食料、エネルギー供給の点で苦しくなるだろうが、世界中の民主主義国家群は、徹底した経済制裁を科していかなくてはなるまい。』
この思いは1年経ってもまったく変わらないし、今日もまた同じことを書く。
そして変わったのはプーチン大統領の言い方だ。
先日の年次教書演説でプーチン大統領は、この戦争は西側によって仕掛けられたものだと述べた。
ロシアが解放を目指すウクライナの東部地域になぜ親ロシア派住民が多いのか、なぜキーウを攻める必要があったのか、ウクライナのどこにネオナチがいるのか、背景にある歴史的経緯、戦略、そういったことについてここで考察するつもりない。
事実として、特別軍事作戦などという、ろくな大義のないまま始めた戦争により、多くの命が失われているというのに、いまさらのように全く違う理由をつけることで大義をすり替え、戦争を継続し、その終わりはますます見えなくなってきている。
人間というのは大なり小なり自分を正当化しながら生きている。
それを表に出すことができるか否かというのには個人差があるだろうが、どんな人もそうしなくては生きていけない。
私の周りにも、都合よく解釈をコロコロ変える人がたくさんいる。
いや、たくさんどころか私を含めて全ての人がそれぞれの解釈を持って生きている。
だから、多くの人はまともに生きているにも関わらず、常に諍い、争いが生じる。
人間は言葉をあたえてもらった。
言葉のせいで、物事へのいろいろな考え方が生まれてしまうものの、言葉を使うことで、互いの考え方を示し合うことができる。
話し合うことをせず、殺し合うこと、傷つけ合うことは最たる愚行であって、人間であることの否定であると私は思う。
こんな残念な時代がやってくるとは思っていなかったが、今この地球上でそんなことが起こっている、そのことをいま一度真摯に受け止めどうしたら争いのない世界を取り戻すことができるのかを考えたい。
話してもわからないのか
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