冬型の気圧配置が崩れるとかで、空はどんよりしている。
季節の変わり目となる今日は節分。
寒さは底を打ったようで、あとは暖かくなるらしい。
今年の冬もなんとか乗り切ることができそうだ。
天寿をまっとうするというのは難しいということで、話がおわった一昨日からの続き。
生きている限り、自分の意のままにならない死というものが訪れる可能性がある。
無事(?)に自分の家で死を迎えるためにはどうしたらいいかと考えたが、そんなことは土台無理だと思ったほうがいい。
いつどこで大怪我を負うかわかないし、いつ癌が見つかるかもしれない。
その都度それらを乗り越えなくてはならないと考えるか、それともそれらを受け入れて生きてく方が楽だろう。
痛かったり苦しかったりと体の自由がきかない辛さはあるが、それに立ち向かうのではなく、その状況を生きる、その状況と共存する、それこそがうまい生き方だろう。
機能障害があっても、生きる。
そして、いつも死を覚悟して生きる。
それが難しいからこそ、死を考え、恐れおののくわけだが、死から目を背けて生きていては、突然の死に立ち向かうことはできない。
かといっていつも死ぬことを考えて生きるのも馬鹿馬鹿しい。
ただ、その瞬間、
ああ、自分という人間はいつかこうして死ぬ存在だった、そしてその時がいまなのだ
と死を思い、受け入れ、とにかくここまで生きてくることができて、いい人生だったと思えるのではないか。
そうやって、自分の死を客観視することは可能かもしれないが、では死による別離はどうするかというと、こればかりはどうしようもなく、やはり死はやっかいなものである。
これが宿命か
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